「ボーイズライフ」1960年代の少年向け雑誌 小学館
「ボーイズライフ」
小学館 1963/03~1969/08 少年向け雑誌 B5版 平綴じ 月刊(隔週刊だったかな)Total No.3220★★★★★
この雑誌も実に印象的なシリーズだった。印象的ではあったが、大きく影響を受けた、という感じはしない。そもそもこの雑誌を読んだのは1966年中学一年になってからであり、しかも、自分で買ったのではなく、同級生のニュートン(石川裕人)がクラスに持ち込んだものを、見せて貰っていたのだ。
1966年6月にはビートルズが来日している。このタイミングが、私やニュートンの、少年期から思春期への変わり目だった。テレビでは、ヤング720(セブンツーオー)なんてのをやっていて、横尾忠則がアメリカから帰国して、なにやらサイケデリックな話をしたりしていた。この後、ビートルズまがいの、モンキーズなんてのもテレビ番組で人気を博していた。
いろいろな特集があったが、この雑誌で特徴的だったのは、随所にソフトヌードがカラーで掲載されていたりしたことだろう。モデルは特に日本人女性ではなくて、欧米人、とくに目の青いアメリカ人が多かった。付録のカレンダーが欲しくて、新年号は自分で買ったりした。
それと、付録には、車の図鑑のようなものがついていた。これは重宝した。車の名前を全種類覚えたし、外車もほとんど載っていて、当時のモデルなら大体一目で名前を言えた。それと相撲の決まり手とか、野球選手名鑑とか、プロレスラー一覧なんてのも付録でついていたように思う。
当時、私たちの街には書店が二店しかなくて、雑誌なんて手にとって読むチャンスはそれほど多くなかった。立ち読みなんてしていると、すぐ店主のおやじにハタキをパタパタされた。ヌードなんて見る機会はほとんどなかったから、「ボーイズライフ」は貴重な情報源だった。
この雑誌「ボーイズライフ」についてFBで語ったのが、旧友・沢田石信ととの最後の会話となった。彼にとっても(彼は訳ありで一学年上だったが)この雑誌は意味深いものだったと思える。たぶん、私の年配にとっては忘れられない雑誌なはずである。
私とニュートン(石川裕人)は、この雑誌から啓発されて、自分たちの肉筆誌を作っていくことになるのだが、そちらは、別途、項を設けることにする。深夜放送のヒット曲ベストテンをメモしてクラスに持ち込むとか、ホントに彼は、いろいろと啓発してくれた。同じ学校に9年間もいたのに、同じクラスになったのはあの中学校一年生の時だけだった。
ニュートン、あらためて、ありがとう。
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コメント
今や、まったくの幻になってしまった「ボーイズ・ファイター」。http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/1966-e7dd.html
なんか、ここにでもメモしておかないと、もう完全にこの世からなくなってしまうんだね。
5号まで毎号表紙は私が描いた。ニュートンは「V8」とかいうアメリカ・マイアミにおける車の話の漫画を描いた。フダは小説「父のかたき」、シシドは漫画「チビデメ」。カワムラ君とかも何か書いていたと思う。もう52年前の話。
投稿: Bhavesh | 2018/07/03 17:49