「人や銀河や修羅や海胆は」 TheaterGroup“OCT/PASS” 石川裕人・作・構成・演出<4>
「人や銀河や修羅や海胆は」<3>
石川裕人・作・構成・演出 2011/12/24 TheaterGroup“OCT/PASS” センダード・エルパーク・スタジオホール
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<19>から続く
「来たるべき地球人スピリット」--読書ブログから見たポスト3・11--
<20>石川裕人
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数ある表現者の中で、石川裕人その人は、必ずしもビックネームではない。むしろ、地方に埋もれた芸術家列伝にでも名を連ねるかもしれないような、いわゆる文壇的には一部地方で知られた表現者である、と断言しても構わない。
私個人にしてみれば、小学生時代から、互いに還暦に迫ろうとする時代まで、互いに側にいた友人としては、これほど近くにいた表現者は、彼以外にない。私は彼のよき観客でもなかったし、よき理解者でもなかった。彼とて、私のやろうとしていたことに、十分理解が及んでいた、とも言い難い。
それでも、竹馬の友として、それほど大きく道が離れず、大きく物理的に音信不通にならず、人間関係もかなりの部分が重なり合うような人生を送った、という意味では、彼に変わる表現者はいない。私にとってはかけがいのない存在である。
私は、概して彼の作品については辛口であたってきた。私は、別段に演劇通でもなければ、芸術を愛する男でもない。ただ、私は私なりに、そのときそのときに、自分の生活まるがかえの中で、彼の芸術に対峙し、私は私なりの生き方を貫こうとしてきただけである。
彼については、当ブログでずいぶん書いた。ここでは多言を要すまい。敢えて、ここで当ブログにおける「来たるべき地球人スピリット」のリストに登録しておこうと思うのは、やはりリアリティにおいて、他の表現者に比較して、格段に優れているからである。
テレビで見る芸術、美術館でみる芸術、評価され箱詰めにされたパッケージとして見る芸術、すでに完成された安心してみることが出来る芸術。そういったものからは、彼は遠く離れていた。そうあろうとしたとは限らないが、そうあったことに、彼は決して不満ではなかっただろう。私側からしても、結果としてそうであった、としかいいようがない。
彼の数ある作品の中で、私を貫いたのは、この「人や銀河や修羅や海胆は」の山元町での講演である。3・11後の、被災者たちが避難する体育館で、押し寄せる余震の中で、演じられたこの公演は、彼、石川裕人の真骨頂であっただろう。
彼は、100本を超える脚本を書き、一冊の脚本集を残し、その命を演劇にすべてを賭けて、この世を去っていった。見事な人生であった。そういう存在の傍らで、彼の友人のひとりとしてあり得たことを誇りに思う。
彼に新しい戯曲を書け、とはもう言えない。彼を引き継いで、私が何かを書き残そうとしても、それは戯曲などになれるわけがない。でも、試みとしては、私は、彼が書くべきだった戯曲のその神髄を、私なりに表現できないであろうか、と思っているのである。
それは無理だろう、と最初から諦めてしまうべきではないと思う。彼はもう帰らないけれど、私はまだ命があるようだ。これからだって、どこまで行けるかは、正直、私自身よくわからない。しかし、まだ、こうしてブログを書いている限り、まだ生きてあるようだ。
「来たるべき地球人スピリット」。そのリストの中で、もっとも親和性があり、身近であり、一緒にいたな、と思えるのは、やはり、彼、石川裕人である。
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