「朝日ジャーナル」特集:ミニコミ’71---奔流する地下水1971/03/26号 <3>
特集:ミニコミ’71---奔流する地下水 <3>
「朝日ジャーナル」 1971/03/26 朝日新聞社
★★★★★
70年代の文化史、あるいは精神史を考えていた。70年代があるということは、60年代もあり、80年代もある、ということだ。その前も、その後もある。ということは、さらにずっと前もあり、やがて、今現在までつながってくる道があるはずである。
しかしながら、今は敢えて70年代にウェイトをおいてみる。時あたかも、1975年周辺の話題が、SNS繋がりの友人達の中で話題になっている。その中心に置いてみるのが、別冊宝島「全都市カタログ」(1976/04 JICC出版局)である。70年代中盤の文化史、精神史を象徴する一冊としては、まずまずであろう。
そして、私なら、先立つ70年前後を象徴する一冊として選ぶのは「朝日ジャーナル」ミニコミ特集(1971/03/26朝日新聞社)であろう。当時高校生だった私にとって、この雑誌、この特集が、当時の社会状況にアクセスするためには、多大な影響を受けた一冊である。
さらに、80年代の入口を飾る一冊するには何がいいのか悩むところだが、ニューエイジや精神世界という言葉が乱舞する80年代の入口としては、「精神世界の本」メディテーション・カタログ(1981/08 平河出版社カタログ刊行会・編集)あたりはどうだろうか。雑誌「ザ・メディテーション」(1977/10 - 1979/04)をステップとして「精神世界」という潮流を形成しようとしていた一冊である。
もちろんこの三冊で時代をすべて包括することなどできはしない。むしろ、今、私たちが今取り組んでいるのは、文化史であり、精神史である。イベントや音楽、美術、演劇、写真など、多彩な文化史を網羅することなどできはしないし、瞬間に消えていくスピリチュアリティなど、記録できるものではない。
しかしながら、この三冊をひとつの誘引剤として、互いに共有しながら、そこに表現されたものと表現されなかったもの、埋もれてしまったもの、隠れてしまったもの、静かに眠ったものなどを、今一度、想起し、記録しなおしておくのも悪くあるまい。
さて、そう思い立つと、その時、私はどこにいたのだろうか、が気になって来る。それぞれの三冊の中に私自身の消息を見つけることが出来ない訳ではない。いや、むしろ、私は、この三冊の中に自らの消息を見つけていたからこそ、この三冊を思い出したともいえるだろう。
「朝日ジャーナル」誌のミニコミ特集の時、私は高校生で、個人ミニコミ誌「すくりぶる」を発行していた。この朝日ジャーナルの募集に応じて特集にリストが掲載された(p7)とたん、全国から連絡が相次いだ。友人石川裕人(p8)とともに、ミドルティーンの私たちは、世間の荒波の中へと歩み出したのだった。
76年の「全都市カタログ」では、前年に、私たちのコミューン「雀の森の住人達」が発行したミニコミ雑誌「時空間」10号がp112~113に収容されている。このカタログは「アース・ホールド・カタログ」に色濃く影響されていたものであり、その出版にまったく関与するものではないが、このカタログ作成の中に、私たちの雑誌がアクセスされたというのは不快ではない。
そして81年にでた「精神世界の本」カタログになると、もう私なぞは何にも関与しているわけではないが、むしろ、私のほうからアクセスすると、この本には当時発行されていたOSHOの翻訳本がp28~29に渡って10冊紹介されている。当時まだ少なかったOSHO瞑想センターを運営していた私には、まったく無関係な本とも云えない。10冊の最後を飾っているのは「マイウェイ」(ナルタン訳OEJ改訂版1984/03)である。
さて、この三冊の本の中に、さらに私自身の痕跡、消息を見つけることができるだろうか。「すくりぶる」誌は不定期に続いた二年間で12号まで続いたわけだが、その表紙の次の頁に、自画像を書いている。まぁ、高校生としての自己イメージはこんなもんだっただろう。
「時空間」もまた季刊として12号まで続いた訳だが、当時のカウンターカルチャー「星の遊行群」などの流れの中で、敢えて自己イメージを探るとすると、前後して出た9号の表紙にでている青年剣士のイメージであろうか。大正ロマンの画家・高畠華宵の絵をコラージュしたものだが、外面はともかく、内面はこのようなものであった。
さてすでにOSHOサニヤシンとなっていた80年代の私は、すでに「筆を折って」いたが、この「マイウェイ」の中に私の写真が収容されている(p313)のは珍しい一枚となる。撮影されたのは1978年当時のインドのOSHOアシュラムの中のブッタホール。エクササイズ風景である。
そしてまた、こうして時代の文化史の中に、自らの位置を見つけて、確認したとしても、本来、精神史や、そのスピリチュアリティにこそ焦点があるとしたら、実際には、この自画像や作品、写真の中にも、本当の、自分は、いない、ということになる。
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