「来たるべき地球人スピリット」<27>コンシャス・マルチチュード
「来たるべき地球人スピリット」--読書ブログから見たポスト3・11--
<27>コンシャス・マルチチュード
新緑が素晴らしい季節である。図書館までいく道筋を、いつもは車でいったりするのだが、最近は自転車に変え、しかも道筋をできるだけ緑の多いコースに変えた。庭々の木々、河原の土手、畑の作物。樹木が大きく成長して緑のトンネルを作っているところもある。
この「新」緑が、「真」緑になり、「深」緑になっていくのだ。一年の中で、一番外出が楽しい季節でもある。のんびりとペダルを踏みながら、私の頭の中では、何事かの活性化が起きた。
パーソナル・コンピュータは、コンテナであろう。パーソナルである。
ソーシャル・ネットワークは、コンテンツである。ソーシャルである。
であるなら、次なるものはなにか。非パーソナルであり、非ソーシャルであるもの。非コンテナであり、非コンテンツであるもの。それはやはり、コンシャスであろう。
パーソナル→ソーシャル→コンシャス、でいいのではないか。
では、コンピュータ→ネットワーク→ の次はなんだろう。物でもなく、事でもなく、それは「在る」ことであろう。
在る、とは、人間として生きている、ということである。当ブログの中で、ずっと気になり続けている概念、マルチチュード。それは多様性を意味する。マルチタレント、マルチメディア、マルチバーシティ、と親和性がある。
マルチチュードは、ネグリ&ハートの用語だが、そのルーツであるスピノザや他の哲学者たちもそれぞれの意味合いで使っているが、そこにこだわることもあるまい。再定義しなおすことも可能であろう。
ということで、コンシャス・マルチチュード、という単語ができた。
人間が、政治家や宗教家のドグマから離れて、パーソナルを獲得することは大きな成果だった。それは、人間としての尊厳だった。個人がソーシャルを獲得することも大きな確認だった。愛であり、受容であり、相互交流である。そして、パーソナル、ソーシャルの次は、コンシャスだ。
スティーブ・ジョブズは、PCを作ることによって、巨大コンピュータに対峙した。それをタブレットの時代にバトンタッチし、Facebookがソーシャルを繋ぎ続けている。もし、ジョブズが、56歳と7ヵ月以上の生命を持っていたとしたら、今、何をやっているだろう。
iRobotを作っているだろうか。ビル・ゲイツのように新しい原発をつくり始めるだろうか。たぶん、違うと思う。彼なら、新しいZENに取り組み始めるはずだ。テーマはコンシャスだ。
そして、今、市民でもなく、国民でもなく、人間を表現する言葉としてマルチチュードを使おう。マルチチュードだけでは、群衆、と訳されてしまう。そうではなく、それは一人の人間を表す。一人の中にマルチなディメンションがある。そして、繋がりを持ち得る。そして、全体的な一つをつくり出すことができる。それは意識だ。
パーソナル・コンピュータ、ソーシャル・ネットワーク、の次は、コンシャス・マルチチュードだ。
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