「スペクテイター」<29号> ホール・アース・カタログ<前篇><2>
「スペクテイター」<29号> ホール・アース・カタログ<前篇> <2>
エディトリアル・デパートメント (編集) 2013/12 幻冬舎 単行本: 191ページ
★★★★★
さて、前篇から、各論的にこの雑誌を読んでやろうかな、と表紙を見、裏表紙を見て、改めて笑った。裏表紙には、マルーンカラーの胸ポケットつきの上着の宣伝が載っていた。昨日、当ブログでは、「お気に入り定番グッズ」私はこういう人間、というシリーズを始めたところであった。その二番目では、まさにこのイメージのことを書いている。
そうだねぇ、この色でこの機能だと、まずは私にとっては80点は獲得することになる。ただし、パタゴニアってメーカーはどうなのかな。アウトドアグッズのお店でよく見るブランドだが、私の予算の3倍くらいすることがあるから、ブランド品志向のない私には、豚に真珠とか、猫に小判、ということになりかねない。でもコピーでは「このジャケットは15年モノ」と言っている。値段相応の価値があるのかもしれない。
さて、表紙をあけて、そのざらつく質感を楽しみながらページをめくると、なにかこのざらつく感じがとてもいい。すくなくともテカテカのギラついたカラー印刷でないところがいい。しかも、一流メーカーでありながら、全頁広告のコピーがイカしている。おそらく、この雑誌のためにひとつひとつ書かれたものだろう。
「Dear Reader」とする巻頭言が、編集部の青野利光という名前で書いてある。この方はどんな年代で、どういう人なのか、ということは、今のところ推測するしかない。少なくとも、90年代末にアメリカの書店を訪ねたことがある若者。しかも、6~70年代のカウンターカルチャー・シーンをリアルタイムでは味わったことがない人のようである。
p23になると、目次がある。特集はおおよそ10のテーマに分かれていて、一つ一つがなにか、そそるものがある。基本、なかなかイケるかも、という予感に満ちる。次ページに他の記事の目次もあるが、まぁ、まったく関連のないものではない。
ところでこの雑誌は、やはり若者文化の雑誌のようである。私のようなアラ還の老人には、文字が小さ過ぎる上に、印刷方法が、ちょっと読みにくい。文章が余りにデザイン処理され過ぎるのは、困るのである。老眼鏡の度を上げたり、部屋の明かりを上げても、ちょっとまだ目が疲れる。
私がこの初めて「ホール・アース・カタログ」を見たのは、1972年の熊本のコミューン虹のブランコ族の自然食レストラン「神饌堂」でのことだった。18歳のバックパッカーの私の目にも、実にあざやかに飛び込んできた。
その後、この雑誌の影響で日本に出たとされるのが、「別冊宝島(1) 全都市カタログ〜都市生活者のフォークロア」 (JICC出版局 1976/04) である。このムックの中に、その後に自分たちで作った雑誌が収蔵されたわけだから、当時のカウンターカルチャーを意識していた私たちとしては、まずまずの満足感はあった。
執筆者紹介の中に、ヒッチハイクのイラストがあったりする。そうそう、ヒッチハイクこそ、当時のひとつのシンボル的なスタイルだった。先日、当ブログでも当時の古い写真をアップした。
執筆陣も、竹村健一、松岡正剛、山田塊也、北山耕平、小林泰彦、などの大御所もならぶ。この人たちが、カウンターかカルチャーだったのかどうかはともかくとして、今、当時をどのように振り返っているのかは、興味のあるところ。
○「WEC」創刊編集者スチュアート・ブランドの書いた「地球の論点」(英治出版・2011)という本も翻訳出版されました。
●原題が「Whole Earth Dicipline」というこの出版もジョブズのスピーチ効果かもしれないね。しかしこの本で、現在のブランドは「原発こそがクリーンエネルギーだ」と書いているじゃない? 心底驚いた・・・。
○かつてエイモリー・ロビンスなどの自然エネルギーを支持していたグリーン派時代の自分は誤りだったと書いていますね。
●そうなんだ。この本が書かれたのは日本の原発事故の前だったそうだけれど、まあよく正面切って書けたものだとは思う。
○現在、ブランドにインタビューを申し込んでいるそうですね。
●本誌次号でブランドの胸中を聞いてくるつもりだよ。創刊前の話から原発の話まで、いろいろ聞き出してくるつもりです。
○本号は「WEC」紙の時代の「カウンターカルチャー編」で、次号はおもにパーソナルコンピュータ登場以降の時代を中心にした「ソーシャル・ネットワーク編」というかんじですね。
●この特集で「WEC」のことをみんなに広く知ってもらいたいと思っています。「WEC」は文明のあらゆる要素を含んだ本なので、これからの時代を考えるときに、まずこの本の中身とブランドのビジョンを知るところから始めてほしいですね。きっと未来のための良いヒントが見つかるはずです。p35 「In The Biginning」
この対話は、誰と誰の対話か分からないが、おそらく上掲の青野利光という人の、編集子としての、一人二役のイントロなのだろう。とにかく、私も、このところが実に引っかかっているのであり、まぁ、このことがなければ「未来のための良いヒントが見つかるはず」なんて調子のいいことを言うかも知れない。だが、今はまだとても、そんな気分にはなれない。
赤田祐一という人の「『ホール・アース・カタログ』のできるまで」を読んでいると、なんだか、ちょっと遅れてきた自分たちの姿がほうふつとしてくる。生活費をかせぎ、旅をし、雑誌をつくり、また生活費をかせぎながら、旅をして雑誌を売りさばきながら、また取材して雑誌を作る、なんていうサイクルは、まさに自分たちの青春を思い出す。
誰にもある青春時代であり、私たちは私たちなりに、一生懸命、青春した、ってことだよなぁ。この辺になると「私」で文章をつづることがつらくなる。「ぼく」や「ぼくら」を使いたくなる。
当時の若者たちの変化をイエール大学の教授チャールズ・ライクは68年、「緑色革命」という本にまとめている。
出世をもとめるワーキングクラスの伝統的人生観を「意識1」、組織を重視する社会の価値を代表するものを「意識2」と定義し、それらの旧世代的な生き方に対して、自分自身のライフスタイルをつくりだそうと試みる世代を「意識3」と呼びならわすことを自著で広くアピールした。
チャールズ・ライクの主張と前後して67年、社会学者セオドア・ローザックは論文に「カウンターカルチャー」という言葉を初めて用いて現状を解説した。
カウンターカルチャーとは、物質中心文明、科学至上主義、頭脳万能主義に反抗する傾向をもつ文化という意味である。これまで繰り返されてきた愚かさや無意味さに満ちた歴史の流れを大きく逆方向に向ける力になるという概念として語られ、以来ヒッピーの思想をあらわす言葉として広く使われるようになった。
当時この「ホール・アース・カタログ」は、100年前の自給自足の生活記録を書いたヘンリー・ディヴィッド・ソローの「森の生活」とともに、若い人たちの間で、新しい生き方を志向する世代に示唆をあたえると教科書のように評価され、消費社会の行き詰まりから解放してくれる本として愛読された。p053赤田祐一「『ホール・アース・カタログのできるまで」「Earthrise」
うーむ、なんとも懐かしいフレーズの連続である。しばし瞑目する。文章の途中ではあるが、この辺で、すこし、リラックスが必要だ。一呼吸しよう。
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