「スペクテイター」<29号> ホール・アース・カタログ<前篇><3>
<2>からつづく
「スペクテイター」<29号> ホール・アース・カタログ<前篇> <3>
エディトリアル・デパートメント (編集) 2013/12 幻冬舎 単行本: 191ページ
★★★★★
1955年10月、ビートニックの詩人アレン・ギンズバーグは、ジャズとマリファナに浸りながら「吠える」という詩を書き、消費を煽りつづけるアメリカ政府を批判した。
彼らは人間をその生き方を基準にして二つのタイプに分けていた。現実の社会のシステムや価値観にかかわって生きている人たちを「スクェア」、社会のシステムや価値観の外側を生きていくことにした自分たちのことを「ヒップスター」と称し、両者を明確に峻別した。
この「ヒップスター」がのちに「ヒッピー」と呼ばれるようになった。p053赤田祐一「『ホール・アース・カタログのできるまで」「Earthrise」
ヒッピーの定義が語られる。1955年10月と言えば、私はまだ1歳半だった。そのころすでにこの「運動」は始まっていたのだ。
ちょっと書きそびれたが、p035にも気になることが書いてあった。
●今回寄稿をお願いした津村喬さんの話では、「宝島」「遊」そして自身が関わっていた「80年代」と、70年代から80年代にかけての有名なサブカルチャー誌が軒並み「WEC(ホール・アース・カタログ)」の影響下に創刊されたというから気にもなるよ。
○先ほど「「POPEYE」のルーツも「WEC」だという話も聞きました。
●パーソナル・コンピューターの歴史とつながってきたりと、いろんなところで、いろんな人が「WEC」の影響を反している。だけど、みんなそれぞれ「WEC」のある部分を語っているようで、全体をうまく説明してくれる人が見つからなかった。だから自分たちで「WEC」を総括してみようと思ったわけ。
○アメリカのメディア・コミュニケーションの専門家・池田純一さんが「ウェブ×ソーシャル×アメリカ」(講談社現代新書・2011)という本が、比較的わかりやすく「WEC」の通史を書いていましたね。
●「サイバーピア」(日本放送協会・2009)も参考になると思う。ジェイムズ・ハーキンというウェブジャーナリストが1章をさいて「WEC」のことを振り返っている。ソーシャルメディアの中の位置づけとして書いているね。p035「In The Biginning」
「サイバーピア」は知らなかったが、池田純一「ウェブ×ソーシャル×アメリカ」については、当ブログでもこの二年来読み込み中である。そして他の二冊の著書とともに、全体を俯瞰しているところである。
ところで、理想世界を目指したコミューンのヒッピーたちはその後どうしたのだろう?
彼らは自分らしさを回復するために田舎にコミューンをつくり、生活そのものの根底を問い直した。
しかし、その継続は思いのほか大変だったようで、彼らの大半は数年を待たずに、コミューンから都会に戻ってきたようだ。p059赤田祐一「『ホール・アース・カタログのできるまで」「Earthrise」
こう括られてしまえば、まぁ、そうとも言えるが、当然生き残ったコミューンもあったし、都会にUターンしたヒッピーも少なくなかっただろう。だが、IターンやJターンという形で、脱都会の生活に根差したライフスタイルを確立した元コミューンメンバーも多くいたことを忘れてはいけない。
日本にも「ホール・アース」のムーブメントは伝わってきた。しかし「カタログ」とひと口にいっても、当然アメリカとは時代背景、社会背景がまるで異なるものだった。日本ではアメリカのように若者がどこかの戦場で命を落としていたわけではなく、経済大国を目指して消費に走りだしていた時代だった。だから「ホール・アース」の消費社会を批判するという問題意識は、「宝島」(全都市カタログ)」以外の雑誌はほとんどが無視し、または頭から理解されず、誌面に取り入れられたのカタログの雰囲気だけだった。
日本におけるカタログ出版の流行は、「文化」にまで高められず、「買い物ガイド」に過ぎなかったという批判もある。p61赤田祐一「『ホール・アース・カタログのできるまで」「Earthrise」
この総括も、まぁ、当たらずとも遠からずだが、参戦国ではなかったにせよ、日本もまたベトナム戦争の中での協力国でもあった。1972年夏に18歳で沖縄に旅した私は、決して私たちは戦無派ではないことを痛感した。
また、安保条約をめぐる政治闘争や成田空港の建設にまつわる地域闘争などの中では、別な意味においての生死をかけた戦いが進行していたのは周知の事実である。日本のカウンターカルチャーといえども、坊やがハイハイしているような、お遊びごっこではなかった。
「宝島」の「全都市カタログ」(JICC出版局 1976/04)には、私たちの「コミューン」がつくったミニコミ「雑誌」も収容されているので、あまり悪くも言いたくないが、このカタログだって、私たちから見れば、ちょっと甘いものだった。そもそも当時の「宝島」は「シティー・ボーイ」路線である。私たち、少なくとも私は、その言葉に違和感を感じ、即座に、オレ達は、カントリー・ボーイ路線だ、と思ったものである。
スチュアート・ブランドその人がそうであったように、変なカリスマになったり、特段にベストセラーになることが、いわゆるカウンターカルチャーの「ヒッピー」たちにとっては勲章ではなかった。だから、日本には根づかず、「文化」まで高められなかった、とするのは、目のつけどころが悪いわけであり、実は、軽薄で流動的なマスメディアの関心をよそに、確実に、この日本においても根づいてきたカウンター「文化」はあるのである。それを見落としてもらっては困る。
2005年、「ホール・アース・カタログ」はふたたび脚光を浴びることになる。当時アップル社のCEOスティーブ・ジョブズが講演の中で、このカタログを熱く語ったのだ。p63赤田祐一「『ホール・アース・カタログのできるまで」「Earthrise」
このプロセスについては、当ブログにおいても、ジョブズ追っかけの方面から、何度も触れてきている。このスティーブ・ジョブズと、スチュアート・ブランドのもたれあいについて、はて、どっちがどう大地に足をつけているのかを見極めることが大切である。
2011年、「地球の論点 現実的な環境主義者のマニフェスト」という翻訳書が日本で出た。ブランドの近著である。気候変動、地球温暖化問題に対する現実的な解決方法を数々のマニフェストとして提唱した内容で、一種「文字による『ホール・アース・カタログ』」といったおもむきがある。
同書でブランドは、原子力推進に関して肯定的に書いており、かつての『ホール・アース・カタログ』のファンたちを仰天させた。p63赤田祐一「『ホール・アース・カタログのできるまで」「Earthrise」
このボールド体で転写した部分がこの赤田祐一という人の文章のエンディングである。これで終わっている。当ブログは、今、ここからスタートしようとしている。仰天したままでいいのか。これは、腰をすえて、検討していかなければならない。
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