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2014/05/20

「スペクテイター」<29号> ホール・アース・カタログ<前篇><4>

<3>からつづく 

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「スペクテイター」<29号> ホール・アース・カタログ<前篇> <4>
エディトリアル・デパートメント (編集) 2013/12 幻冬舎 単行本: 191ページ
★★★★★

この雑誌を読むスピードはどんどんゆっくりになっている。時には休み休み、一呼吸も二呼吸もおいて、ゆっくり、大事に読み進めたいと思う。その点、併読していた池田純一の三冊シリーズとは、まったく別な感覚だ。

 池田のほうは、年代が1965年生まれと、世代が一回り下である上に、視点が2010年代の現在から過去を見るという解説的な点にあり、なお、大きなテーマがアメリカを舞台に展開している。それに比すると、「スペクテイター」の編集者・青野利光も、おそらくはリアルタイムで、70年代のカウンターカルチャーを知らないだろうが、その歩み寄りは、かなりかゆい所に手がとどくような気使いが多い。

 今朝は橘川幸夫「70年代、日本の若者雑誌になにが起こっていたのか?」(p072~083)を読んでいた。わずか10ページの文章なのに、ふーと、ため息をついたり、天井を見上げたりしながら、あるいは朝飯を食って、お茶を飲みながら、読み進めていた。

 橘川幸夫という人、どこかで名前を見ているはずなのだが、当ブログの読書記録では簡単にはでてこない。著書リストを見てみるのだが、確かに20冊近くある著書のタイトルには記憶がない。ただ、雑誌「ロッキング・オン」を除いては。この人、名前だけみていると、細身で神経質そうなイメージだったが、巻末の小さなプロフィールを見てみると、丸まっこいお顔で、賑やかな感じの人のようである。

 この方は1950年生まれだから、私より3学年上で、しかもその青春を東京で過ごしているわけだから、一貫して地方にいた私などとは、時間も空間もずれていることは確かなのだが、1975年前後のことについては、実に、ほとんどリアルタイムでクロスしていることを感じる。

 大型の写植機を買い込み、東中野の駅前のマンションの一室を借りて、「たちばな写植」を開業する。23歳の時である。
 大学はそのまま行かなくなる。そして、その事務所に、事務所代を払えない「ロッキング・オン」も同居することになった。
p074「『ロッキング・オン』創刊」

 1950+23で、1973~4年頃のことだろう。私は音楽ファンでもロックマニアでもなかったのでこの雑誌を深く読んだわけではないが、地方都市の書店に並んでいた時に、何度も手にとって頁をめくった記憶がある。

 別冊宝島の創刊号は、1976年の「全都市カタログ」である。この本こそが、日本のある種のカルチャーに大きな影響を与えた「ホール・アース・カタログ」の日本での最初の紹介本であり、コンセプト・ブックであっただろう。p075「『全都市カタログ』と『名前のない新聞』」

 「全都市カタログ」については別途書いておいた。ここでもこの書名がでたので、そうだよね、と共感度が深まる。あの本に私たちのミニコミ雑誌も収蔵されたことを、今でも誇りに思う。

 当時のメディアで、もっとも「ホール・アース・カタログ」の実体に近い感覚で発行していたのは「名前のない新聞」だろう。それはあぱっちという人が編集していて、日本の古くからの生活の知恵から、インディアンなどの暮らしや考え方、反原発などの記事が小さな新聞形式の紙面に、ぎっしり埋まっていた。p076同上

 あぱっちについては、当ブログでも何回も取り上げているが、「名前のない新聞」を個別にピックアップしたことはない。実に膨大な実体で、取り上げるのは難しい。いずれあぱっちに総まとめとして一冊ものして欲しいと思っているところだが、量的にも本家WECをはるかに凌駕している「しんぶん」をまとめることは難しいだろう。おそらく創刊号から現在号までの「縮刷版」をつくることがベストアンサーなのかも知れない。

 あぱっちは、早稲田の学生だった山崎浩一と同居しており、「名前のない新聞」のイラストなどは山崎くんのものもあった。p076同上

 これはおそらく77~8年前後のことであろう。その後ライターに転じたと思われる山崎という人は、1995年、麻原集団事件かまびすしい時代に、「週刊ポスト」の署名記事でまぎらわしい形でOshoを取り上げている。当時、私は編集部に抗議文を送ったが、いつか一矢報いたいと思っていた。彼は77年に当時のGFのロマンポルノ女優と共にプーナを訪れている。

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  「週刊ポスト」1995/04/28号p76~77

 週刊誌とは言え、事件後の直後のこと。あまりのタイミングに、売文稼業のていたらく、ここに極まった、と私は感じた。2014年の現在時点で、この文を書いたご本人が自らに誇りを持てるなら、反論を待っている。私と同じ年の生まれだから、この方ももうアラ還なんだね。早いもんだ。

 さて、こちらの「スペクテイター」p078には、シルクスクリーン印刷のやり方が、イラスト入りで懇切丁寧に説明してある。英文だが。「WEC」1975年での紹介ページだという。ああ、なんとも懐かしい。当時、私の手元には日本語のシルクスクリーンの本は一冊しかなく、それを教則本として、独学で印刷していたのだった。涙。

 「ホール・アース・カタログ」は、インターネット上で復刻されたが、本来の趣旨から言えば、復刻ではなく、インターネット上で、全く新しく再構築されるべきものであろう。それらは、60年代も70年代も80年代も知らない、若い世代が担うべきだと思う。橘川幸夫p83「インターネット時代、『WEC』とは?」

 激しく同意する。ボールド体で強調しておこう。

 「ホール・アース・カタログ」は(バックンスター)フラーという父と、(ディヴィット)ソローという母の結合により、生まれた概念であり、ムーブメントであろう。

 自然を生きる技術と、自然を愛する力の両方がなければ、本当の生活にはならないということを、僕は「ホール・アース・カタログ」のムーブメントの中から学んだ。インターネットが普及した、この時代こそ、もういちど、学んだことを振り返る時かもしれない。p083同上

 この方の文章はここが結句である。これでいいのだと思う。

<5>につづく

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