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2014/05/21

「スペクテイター」<29号> ホール・アース・カタログ<前篇><6>

<5>からつづく

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「スペクテイター」<29号> ホール・アース・カタログ<前篇> <6>
エディトリアル・デパートメント (編集) 2013/12 幻冬舎 単行本: 191ページ
★★★★★

 さて、そろそろ<後編>も読みたくなったので、残りの部分は急いで目を通して、メモだけ残しておくことにする。

 「ホール・アース・カタログ」概論 ぱるぼら p064~071

 ここには歴代のWECが掲示されているが、正直言って、あまり関心が湧かない。ひとつひとつを熟読していた読者であれば、想いも深いだろうが、このような形でWECをモノ化してしまうことに、大きな意義を見い出すことは私にはできない。

 1972年に最初にWECを見た時のショックは、雑誌そのものというより、それをDIY的な衝動に代えていくもの、その誘惑力にあったのであり、モノとして雑誌ではなかった。そして、あの中で、確かに一番私の目を引いたのは、フラードームだった。

 「バックミンスター・フラーの影響力」デザイン評論家 柏木博インタビュー p094~105

 フラー・ドームは魅力的であり、たまに車の中から、その建築物を見たりすることがある。住宅街の一角に見つけたりすると、いいなぁ、と思うとともに、それを維持する人びとが実際に満足しているかどうか心配になることがある。

 フラー・ドームに魅力を感じ、実際に具体化しようとすると、かなりなハードルがある。まず、高い。安く確実な住居スペースを作ろうというフラーのもともとの発想だろうが、建築キットなど買うと、普通の住宅を建てるのとほぼ同じ値段と手間がかかる。

 そして、さらに面倒そうなのは法制上の問題である。およそ永住住宅として建築するとすれば、許可も必要だろうし、インフラ整備もままならない。内部空間も本当に使いやすいものであろうか。

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 この画像は2011年に森の生活をしようと、私が住まいの骨組を作ったところである。例のフクシマ縁発の事故により、プロジェクト全体が崩壊したため、これ以上すすめなかったが、なんせ、家を建てるのは楽しい。このくらいお手軽に、本当にお遊び程度にDIYで作るんだったら、フラードームはぜひやってみる価値がある。

 「べジタリアニズムと『ホール・アース・カタログ』」 鶴田静 p106~p117

 私は雑食人間だが、別に肉食に偏っているわけでもなく、また菜食主義というほど偉そうなことは何もしたことがない。まぁ、いくつかの試みを繰り返したことは確かにあるのだが、結果的には、雑食で落ち着いた、というべきか。

 著者の本「ザ・ファーム ベジタリアン・クック・ブック」(1982野草社)は、リアルタイムで購入し読んでいると思うが、読み物として楽しむ以上のことはなかった。私自身は、マクロビオティックを実践して体調が良くなったこともあったし、菜食に近いようなことをして体調を崩したこともある。

 また、体調を崩した友人が、西洋医学を拒否し、食事で体調を整えようとして、治療に励んだケースもいくつか知っている。時に命を落とす仲間もいたりして、必ずしも、ベジタリアン崇拝者ではない。ただ、味そのものを楽しんだり、おいしいベジタリアン料理に会ったりすると、飛び上がるほどうれしい。

 彼女の文章の中には、プラサード書店のきこりとの交流がしるされ、またきこりの文章の一部が引用されている。

 「『ホール・アース・カタログ』と『自分を育てる教育』」 末長蒼生 p118~129

 このわずか10ページほどで著者の魅力が表現されているとは思わないし、さて、このような形で著者が登場するのもどうかとは思うが、私は10代の高校生時代に見た「黒の手帖」以来、一貫してこの方の後塵を拝して来た。その教室を訪問したことや、氏の生地である長崎でのイベントの手伝いや、雑誌への原稿の依頼など、さまざまな関わりを持たせていただいた。

 当ブログでもすでに追っかけ済みである。ただ一点、この方でいまでも気になっているのが、2006年の「クレヨン先生と子どもたち」あたりを見ると、 1999年にはホノルル大学で心理学博士号を取得したとある(裏表紙)。あらま、ご立派と最初は思ったのだが、どうもこの大学については、私は今のところ、まだ眉唾である。検索するといろいろでてくる。

 「ウルトラ・トリップ」長髪世代の証言! (1971大陸書房)が、私がリアルタイムで読んだ、著者の最初の単行本だが、今回の読書ブログとしては、まだ図書館等で発見していなくて、再読の機会がない。いよいよ流峰に連絡して、まだ持っているなら、貸してもらおうかな。

 「『ホール・アース・カタログ』の成果、および全球時代の幕開け」 津村喬 p132~142

 私個人は、この方をカウンターカルチャーやヒッピーという概念で捉えることは、なかなか難しい。それより新左翼とか評論家という概念で捉えたほうがいいように思う。したがって、ここで書かれている内容や方向性は、あまりこちらのハートには繋がってこない。

 著者には、1991年の「スピリット・オブ・プレイス」のパネラーとして参加していただき、一度軽くご挨拶しただけだが、それだけでも、身近な人だと感じている。なにやらきこりとは深い関係のようだ。

 以上、<前篇>をざっと、目を通してみたところ、かなり共感できる部分と、やはりそれぞれだな、と思う部分といろいろあった。一番面白かったのは、「70年代、日本の若者雑誌になにが起こっていたのか?」橘川幸夫、あたりだろうか。

<後篇>につづく

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