ロイド・カーン「スペクテイター」<30号> ホール・アース・カタログ<後篇><2>
「スペクテイター」<30号> ホール・アース・カタログ〈後篇〉<2>
エディトリアル・デパートメント (編集) 2014/05 幻冬舎 単行本: 191ページ
★★★★★
スペクテイターは今年15年を迎えます。p019「Dear Readers」
へぇ、そんなに続いている雑誌だったのか。
気がつけば、今やペーパー・メディアは絶滅危惧種のような扱いをされつつあります。p19同上
たしかにその傾向はある。少なくとも私は、宅配の日刊新聞を読むのをやめたし、雑誌の類も銀行か床屋の待ち時間に備え付けのものしか読まない。ただし、単行本を読むチャンスは増えた。
ネット情報は便利だが、固定性がない。多くの人々、とくに時間や空間を超えて、遠大なテーマを語り会いたいな、という時は、印刷物として固定されているものがいいように思う。印刷物を共有するのはなかなか難しいが、ただ、図書館ネットワークが、その活動を助けてくれている。
私の見るところ、この「スペクテイター」は、雑誌というよりも、ムックの感覚に近く、印刷物として、多くの仲間たちとネットを通じたりして、論じるには、ちょうどいいように思う。
翻訳されたスチュアート・ブランドの近著「地球の論点」(仙名紀訳・英治出版・2011)に対しての違和感だ。p034赤田祐一「『注目すべき人々』に会いに行く」
まさにそのとおり。著者は<前篇>でつぎのように締めていた。
2011年、「地球の論点 現実的な環境主義者のマニフェスト」という翻訳書が日本で出た。ブランドの近著である。気候変動、地球温暖化問題に対する現実的な解決方法を数々のマニフェストとして提唱した内容で、一種「文字による『ホール・アース・カタログ』」といったおもむきがある。
同書でブランドは、原子力推進に関して肯定的に書いており、かつての『ホール・アース・カタログ』のファンたちを仰天させた。p63<前篇>赤田祐一「『ホール・アース・カタログのできるまで」「Earthrise」
このテーマは、2012/07/17に「地球の論点」に目を通して以来、ずっと気になっている問題である。
ブランドは「原発はクリーンエネルギーだ」と言い「勧原発」を唱えている。かつて「ホール・アース・カタログ」で反原発の意向に賛成していたブランドは、いつのまにか、原発推進論者になっていた。
その論旨は、じつにきめ細かく説明された見事なものでであるのだが、それでもおぼくは、なんとも奇妙な感覚におそわれた。p034赤田祐一「『注目すべき人々』に会いに行く」
まさにそのとおり。面喰ってしまった。
ブランドが書いていることは、理論的にはすべて「正しい」のかもしれない。しかし何かがちがうのだ。「地球の論点」における近年のブランドの主張は、テクノロジーの誇るべき成果とみなすべきなのか? それとも、もしかしたらカネ儲けのための、悪どく巧妙な戦略と見るべきなのか・・・・? 「ホール・アース」運動の完成が「地球の論点」なのか?p034赤田祐一「『注目すべき人々』に会いに行く」
まさにそのとおり。この問題意識は、まったく当ブログと同じである。ここから始めなければならない。
こうした疑問に決着をつけかねて、すこし憂鬱な気分を抱えたまま、ぼくたちはベイエリアにやってきた。
なんとか現地でスチュアート・ブランドをつかまえて、彼の”真意”をぼくなりに聞きださなくてはならない----そんなささやかな使命を帯びつつ、「サンフランシスコ狂想曲」が始まった。p034赤田祐一 同上
おお、この使命は、けっしてささやかではない。よくぞやってくれた。で、一体それはどうなったのだろう。あの本は、日本では2011/06に出版されたものだが、原著「Whole Earth Discipline」は2009年にでている本である。2011年の3・11の大災害を挟んで、ブランドの心境にいかほどかの変化というモノは発生していないものであろうか。
と意気込んだところで、まず登場したのは、WECに深い関係がある建築家ロイド・カーンだった。3・11を挟んで、森の生活を計画していたときに、すでにカーンを参考にしていたが、WEC関連の人だとは、最初気付かないでいた。彼の関連著書は次のとおり。
「シェルター」(2001/10 ワールドフォトプレス)
「小屋の力」(2001/05 ワールドフォトプレス)日本語の本だが、カーンは紹介文を書いている。
「家を建てたくなる力がわく『ホームワーク』」 ロイド・カーン( 2005/10 ワールドフォトプレス)
このおっさんの本はなかなかヘビーだ。75歳のスチュアート・ブランドのさらに3歳年上の78歳。ヒエー・・・・。まだまだ、俺はアラ還だ、なんて威張っている場合じゃない。アラ還なんて、まだまだひよっこだなぁ(笑)。
「2011森の生活」プロジェクトでは、実際にカーンの本を参考に、現地で調達できる資材を考慮して、その完成図をイメージしたが、なかなか、日本において彼の写真にあるようなビルドを実行するのは、至難の業だな、と痛感した。
スチュアートは最近、本を書いただろ(「地球の論点」)。原子力発電所を肯定するというような内容の本。原発に関しては彼の意見がただしいかもしれないし、間違っているかもしれない。わたしには判断がつかない。ヤツの言うように石油や石炭に比べると(原発は)環境を汚染する割合は少ないのかもしれない。だけどGMO(遺伝子組み換え。Genetixaliy Modified Organismの略)、あれは本当に嫌いだ。だから、この本は本当に好きじゃない。p044「ロイド・カーン」
ここでは、カーンも、原発についての発言は控えめである。3・11前なら、私も表現としては、これくらいにとどめていたのではないだろうか。GMOについては、私はまだ研究段階だ。
おれたちは神じゃない。人間は地球を構成するひとつの生命で、天から地球を見下ろしている神なんかじゃない。科学者などの主張のすべてには同意できない人も大勢いる。p044「ロイド・カーン」
カーンは、ブランドのブレーンと見なされつつ、年齢も3歳年上ということもあり、あるいは長年の友人であるだけに、フランクに、ブランドの主張にも堂々と意見を述べる。
わたしはまた新しいネットワークをつくっているんだ。それが「シェルターブログ」(ロイド・カーンのウェブサイト)だ。よりグラフィックな手法でね。p046「ロイド・カーン」
<前篇>の橘川幸夫がいうように、新しいWECは、新しいデジタル・ネイティブ世代が作るべきという意見にも賛成だが、80歳を目前とするロイド・カーンのような生き方も素敵ではないか。思えば、当ブログも、実は、かなりWEC的な部分がある。
まず、タイトルに「地球」を入れているところ。検索しておよそ3000冊の本のレビューを読むことが出来ること、ネットを活用し、あるいは、1人でも安価に作成して、時にはアフェリエイトが発生したりすること。
残念ながら、この私のWEC的ブログは、私の、私のよる、私のためのブログである。Googleの窓に、本のタイトルと「Bhavesh」という単語をプラスしてやると、あっという間に私の書いたレビューに行き着く。私にとっては、こんなに便利なカタログはない。一応、本に限ってだが。
いろんな人がいるし、誰もが既存の価値観を転覆させようというのではなくて、自分の手でやってみることの良さを発見しているいうか。自分の家を建てられるなら高額なローンを払う必要もなくなるし、たとえ都会で暮らしてていても自分のアイディアを活かして手で何かをつくることができる。そのほうが自由度が高いからね。p046「ロイド・カーン」
私の現在の住まい方は、決して都会というわけでもないが、田舎でもない。普通の住宅街の住まいだが、カーンのように、いろいろ手を入れて、天井ロフト、ガレージオフィス、ガーデンハウス、など、出来る範囲で自分のアイディアを活かしているのは確かだな。
いいね、このオジサン。このインタビューでは結論はでなかったけど、あまり相手を決めつけるものでもないし、場合によっては、互いの意見が逆転する、って可能性も常に開いておきたい。だが、原発はなぁ・・・・・。現在進行形だよ。
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