カウンター・カルチャーは終わったのか「スペクテイター」<30号> ホール・アース・カタログ<後篇><3>
「スペクテイター」<30号> ホール・アース・カタログ〈後篇〉<3>
エディトリアル・デパートメント (編集) 2014/05 幻冬舎 単行本: 191ページ
★★★★★
さて、いよいよ本丸である。ハワード・ラインゴールド、ケヴィン・ケリー、そしてスチュアート・ブランド。少し早目に目が覚めて、寝床の中でこの記事に目を通しながら、ふ~~、とため息がでる。やはり、いずれ、魅力的な人物たちではある。
<ハワード・ラインゴールド>p048~053
1947年生まれ。1985年からバーチャル・コミュニティ<THE WELL>に参加。ケヴィン・ケリーの後を後継ぎとして「Whole Earth Review」二代目編集長(1990年~94年)。インタビューを受けている自室のスナップ写真(カラー)がすてきである。誰か、友人の部屋を訪ねたような雰囲気。
---「地球の論点」というスチュアートの著書についてですが、彼の主張はどう感じましたか。
彼は人の考え方をそれまでと異なる新しい方向に導いていく。「ホール・アース・カタログ」を創刊する前も「地球全体を一望した写真を誰も見たことがない。なぜそれを誰も見たことがないんだ」というように、みんなが気付かない不思議な問い掛けをしてくる。p053「ハワード・ラインゴールド」
そもそも「地球の論点」の原著は2009年に刊行されている。本人だって、周囲の人々だって、もはやそのリアクションはかなり視点がぼけてきているのではないだろうか。2011年に出た邦訳こそ、3・11直後だったから、論争を生んだが、さて、本人たちはどうだったのか。少なくとも、ここでハワード・ラインゴールドは、「論点」を、意識してぼかしている。
1947年生まれと言えば、団塊の世代の日本のジェネレーションと同じような時代背景だろう。ちょっと軽めのアメリカ人の同世代人だ。
<ケヴィンン・ケリー>p056~063
こちらは1952年生まれ。学年としては、私の一学年上。
ケヴィン・ケリーはそれまでのコミューン臭のするカタログから、無臭のコンピューター時代へ「ホール・アース・カタログ」を脱皮させた編集者だと言えるだろう。p057編集者「ケヴィンン・ケリー」
関わっていたのは、1984~1990。この時代に、このようなプロセスを経たのは、ある種、当然だったとも云えるし、「大衆」より半歩だけ先んじていた、という意味では、ジャーナリズムの王道であろう。
----スチュアート・ブランドについての印象を教えてください。
彼は家族を除いて、私が最も大きな影響を受けた一人だ。30年くらい、毎日連絡を取りあっている。そのあいだ、人を卑下したり、良くないところを見たりしたことは一度もない。彼がとりわけ例外的なのは、他の人にはない掴みどころのない才能があるところだ。計算がじょうずとか科学に長けているとか、そういう簡単な話ではない。
彼はとびきりの説得力のある人物だ。他人の立場になって考えられているせいか、相手が説得する際に、相手にとって、スチュアートが主張していることが、最も有利だと思わせる力があるんだ。p062「ケヴィン・ケリー」
スチュアート・ブランド、ってどんな奴だろう、と、彼の著書だけを読んでいるだけではわからない。インタビュアーのように、実際会ってみればいいのだろうが、こうして長い付き合いの周囲の人々の印象も大きな情報源となる。
青野(前略) もうカウンターカルチャーはないと考えているのですか。
カウンターカルチャーは、もはや存在していないと思うね。カウンターカルチャーは勝利したんだよ。どこへ行ってもオーガニックフーズが売れているし、ベトナム戦争も終わった。もはや一般社会と対立するようなものは、なくなったのだ。p063「ケヴィン・ケリー」
いわゆる60年代的「カウンター・カルチャー」はたしかにもはや存在しない、という意見に、賛成できないではない。むしろ、そこから脱出できない60年代的「ヒッピー」がまだ、いるとしたら、それはたしかにケヴィン・ケリーの意見が正しい。
しかし、2010年代の若者たちの目に見えてる「ベトナム戦争」的なテーマは、むしそ増大していると言っていい。これらに対峙するカウンター性は、まだまだ必要だ。60年代的「ベトナム戦争」がなくなったからと言って、地球上から戦争がなくなったわけではない。
当ブログでは、その「対抗性」を明示するために、ネグリ&ハートの「マルチチュード」という概念はまだまだ必要だと思う。オーガニックフーズが何処でも売っている時代になったから、問題がなくなったわけではない。そもそも、世の中、ホントはすべてオーガニックフーズだったんだもの。
もっと先の子供たちの世代にはカウンターカルチャーも生まれるかもしれない。ピットコインとかオープンソースの世界にはカウンターカルチャーを感じることもある。しかしMakerのシーン(略)には感じられない。バーニング(略)にも、ほんの少しカウンターを感じるけど、彼らはむしろ新しい経済慣行をつくったという感じかな。
それぞれニッチなところにはカウンターカルチャーが存在しているかもしれないが統一性がない。いつかそれらが集まって、あたらしいカウンターカルチャーになるかも知れないが。p063「ケヴィン・ケリー」
オープンソースは旧聞に属するが、ビットコインについての言及は意義がある。少なくともここで彼がこう発言していることはとても興味深い。だが、全体的にはいずれ再考が必要である。
さていよいよ、スチュアート・ブランドだ。インタビューのリクエストになしのつぶてだったのに、ようやく他人経由で届いたOKのメールには「短時間だけ」と限定がついていた。なんといういやな奴、と思ったが、実際につづくインタビュー記事を読むと、相当に長いインタビュー記事だ。突っ込みもまずまずである。
当然、ここには書ききれないので、別途、書く。
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