続スチュアート・ブランド「スペクテイター」<30号> ホール・アース・カタログ<後篇><5>
「スペクテイター」<30号> ホール・アース・カタログ〈後篇〉<5>
エディトリアル・デパートメント (編集) 2014/05 幻冬舎 単行本: 191ページ
★★★★★
<スチュアート・ブランド> p064~076
失敗ね。たとえば「ドラッグ」、「コミューン」、「フリー・ラブ」なんかがそうだ・・・・・あとはバックミンスター・フラーのドームも忘れてはいけないね(笑)p071「スチュアート・ブランド」
少なくとも、ここで、スチュアート・ブランドが、カウンターカルチャーや、いわゆる「ヒッピー派」の中のアイコンの中から、4つの「失敗例」を提出しているのは興味深い。
まず、「フラー・ドーム」。「宇宙船地球号」とともに、カウンターカルチャーの象徴的位置を占めてきたアイコンだが、実際には、現実的ではない部分が多い。日本においては、少なくとも、他の建築物を作るのと同じ様な法的規制があり、また経費もかかる。
同じ経費をかけるなら、もっと簡易で住みやすい建物は他にたくさんある。「宇宙船地球号」は、地球を「機械」に見立てたものだが、それと類するものにラブロックの「ガイア理論」がある。こちらは、むしろ地球を生命体として見立てたものだが、ともに、いわゆるカウンターカルチャーとか「ヒッピー派」からは距離が生まれている。
その中にあって、スチュアート・ブランドは、ラブロックの影響をもろに受けて、「勧」原発派に転向していると推測できる。いずれにせよ、ブランドは、フラードームだけではなく、「宇宙船地球号」の概念も、失敗例として否定しているのだろう。
二つ目、「コミューン」。これを共同体とか、コミュニティとか、拡大解釈していくと分からなくなるが、狭義として60年代カウンターカルチャーの中の「コミューン」に限定するならば、多くの夢を誘ったものの、そのようなライフスタイルを徹底的に追求できたところは、皆無に近いだろう。規模にもさまざまあり、ザ・ファームなど、珍しいケースもあるが、それぞれに追試が必要だ。少なくとも、ここでブランドに失敗例として「コミューン」を上げられば、それに有効な反論をできる「ヒッピー派」は多くないだろう。
三つめ、「フリー・ラブ」。この言葉でもってブランドが意味しているところは何処にあるか定かではないが、少なくとも、対関係をなさずに、子供を育てたり、経済活動を基本とする家庭(あるいは共同性)を築く、という意味にとれる。
私自身が、私自身のカウンター・カルチャーの試みだったと、自覚し得るのは1972年から1975年までの4年間だが、結局、その試みに個人的に終止符を打ったのは、このポイントに要因があった。つまり、「若者文化」である分には「コミューン」は成り立つが、そこに当然の帰結として、次の世代を、生み、育てる、と言った場合、私たちが見た、70年前後からのカウンターカルチャーの中での「コミューン」は、決して力強いものではなかった。ブランドの一言に、強い反論をできるものではない。
さて、第4のドラッグだが、多論あってしかるべきだろう。少なくとも、ここで言われているのは、LSDなどのケミカル系と、大麻系のことが言われているだろう。そして、強く「失敗」とブランドが言っているのは、LSDによる「サイケデリック」のことを言っているのではないか。
さまざまな異論があるだろうが、私個人は、1977年にOshoのもとで「LSD : A Shortcut to False Samadhi」というサジェッションを得た時、わが意を得たりと思った。他のあちこちで、さまざまな瞑想法で、過呼吸を使うような技法もあるようだが、まるでLSDの追体験を装うような誘いは、ずいぶんとアナクロだ、といつも思う。
原発に対する姿勢など、私には理解できない現在のスチュアート・ブランドのライフスタイルだが、すくなくとも、この4点については、彼が「失敗例」として挙げることに、同意できないものではない。
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