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2014/05/25

あぱっち 「スペクテイター」<30号> ホール・アース・カタログ<後篇><6>

<5>からつづく

Spectator301_3
「スペクテイター」
<30号> ホール・アース・カタログ〈後篇〉<6>
エディトリアル・デパートメント (編集) 2014/05 幻冬舎 単行本: 191ページ

★★★★★

「『ホール・アース・カタログ』と もうひとつの出版史」 浜田 光
p108~123

 この雑誌、面白いので通読したいのだが、どうもビジュアルに凝り過ぎているところがあり、アラ還の私なんぞは、部屋を明るくし、老眼鏡をかけ、ルーペを片手に、目を細めて読むのだが、どうも読み切れない。あちこちに面白そうなことが書いてあるのだが、すこし目が疲れる。

 そこで、最初に、ざっと書いておいた浜田光(あぱっち)の文章を再読することにした。はっきり言って、あぱっちの持ち分は、この雑誌においては特別扱いである。なんせ、張本人であるスチュアート・ブランドより、さらに多くのページが割かれているのだ。

 私は、もうこれ以上、あれこれもう言いたくないな。心あるひとは、この雑誌を買うべきだ。はっきり言って、952円+税で1028円。安すぎる。これは永久保存版だ。私なんぞは、ブログを書いていて、わずかばかり発生するアフェリエイトを貯めていたものだから、そのポイントを使って、ただでこの号を手に入れてしまった。

Dead2

 あぱっちの長文。かなり長い。私は、いずれあぱっちに一冊モノしてもらいたい、と思っていたが、病み上がりの今、これだけ書いてくれたら、もう御の字だろう。写真ひとつひとつも感慨ぶかい。アパッチのプロフィール写真もある。

 それと凄いのは「名前のない新聞」全目録。リストと画像入り。ああ、これだけあれば、当面あそべるじゃないか。いずれこれ以上の「完全版」がでるとしたら、もうネット上でのアーカイブスになるしかないだろう。

 あぱっちについては、いろいろ断片的に書いてきて、いままで当ブログではまとめて書いたことがないが、それは、あまりに膨大すぎるからだ。ひとまとめにかけない。しかし、今夜は一つだけエピソードを書いておく。

 1977年にインドに行く前、ミルキーウェイに泊めてもらい、私はあぱっちのところに行って、帰って来たら、「やさしいかくめい」を手伝いたい、と伝えておいた。彼は、彼流のやさしさで、いいとも悪いともいわず、それを受けいれてくれた。

 一年して、帰国する時になって、Oshoに手紙を書いた。そして、日本に帰ってからの計画を相談した。でも、そこで、私は彼から自分の地にもどって瞑想センターをやることを勧められた。

 東京にもどって、またあぱっちの所に泊めてもらい、翌日、吉福さんのところに連れていってもらったりした。しかし、私は自分の地にもどり、瞑想センターを始め、農業を学ぶことになった。そして病気をすることになったりしたが、サニヤシンの仲間も多くできた。

 結局、私は、あぱっちの仕事をあの時手伝いできなかったのが、ちょっと惜しい気もしている。しかし、全体的に、自分や、他の人の人生を考えると、なるようになっていったのだと思う。

 つまりどういうことかというと、あぱっちにはあぱっちの道があり、私は私なりに自分の足で歩まなくてはならない道があった、ということだ。当たり前のことだが、私もようやくアラ還になって、すこしづつ分かりかけてきたことがある。

 いずれにせよ、この「スペクテイター」あぱっち特集号(笑)、今後のネタ本になりそうだ。この雑誌、もうすこし寝かして、ちびりちびりやってみよう。

<7>につづく

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