宝島編集室 「スペクテイター」<30号> ホール・アース・カタログ<後篇><7>
「スペクテイター」<30号> ホール・アース・カタログ〈後篇〉<7>
エディトリアル・デパートメント (編集) 2014/05 幻冬舎 単行本: 191ページ
★★★★★
そんなかれらを一点に集合させ結びつけるという、日本のヒッピーにとっては歴史的といえる役割を果たしたのは、本誌では馴染みの「宝島」誌---当時、渋谷駅から歩いていける青山の木造モルタル仕様のアパートの一室にあった、その編集室だった。
1975年夏ごろのことだ。
「どうぞ」という声を聞いてドアを開けた途端、絶句するようないい匂いがした。
それもそのはずで、六畳を二間続けたほどの手狭な編集室の、天井から三分の一ぐらいまで濃い紫煙が漂っており、編集者と来訪者たちの顔がかすんで見えるほどだった。
いちばん奥から手を上げたのはチーフ。
その手前に、アイヌのような濃いひげを生やした年長の編集部員、通称、青ちゃん(故青山貢)がいて、もう一つ手前に、一見して、実質的に編集を取り仕切っていることが見て取れる女性エディターさんがキレのいい動きで原稿の受け渡しをしていた。
その他、ぼくのように原稿を持ってきたらしいヒトや友人と思えるヒトなどで編集室は立錐の余地もないほどだったが、無駄口は一切聞こえず、ストーンした時間とクリーミーといえるほど和らいだ空気がゆったりと流れていた。
「すごいね」と紫煙を指して小声でいうと、青ちゃんが目を細め、当惑したような笑顔を浮かべていった。
「みなさん、お土産を持ってきてくれるし、その度にお相伴するもんだからサー」
その返答に、さざ波のような軽い笑い声が広がった。
日本でタバコでない紫煙に包まれた編集室に出会ったのはこのときがはじめて、おそらくは日本初、そして、そうではないことを祈りたいが、この時期の「宝島」編集部を除いて絶後ではないだろうか。p098細川廣次「ヒッピーたちはお金とどう向き合ったのか?」
三冊のカタログを見つめ、じっくり考えてみた。この本を更に煮詰めて、たった一語づつにまとめてみるとしたら、なんとなるだろう。そもそもそんなことは無理なのだが、ましてや時代をたった一冊に求める事自体無理だったのだ。しかし、敢えて、私はそれを楽しみでやってみた。
まず、70年的「朝日ジャーナル」ミニコミ特集を今ひろげてみると、地域闘争やら、政治活動など、さまざまなミニコミが800誌リストアップされている、が、敢えてその中から目につくものをピックアップするとしたら、それは象徴的な意味で「べ平連」とすることも可能なのではないだろうか。
今となっては、べ平連などと言っても、もう意味が分からない人も多いだろうが、「ベトナムに平和を!市民連合」と云えばなんとなくイメージができるかもしれない。しかし、ここでは、そんなに長い名前ではなくて、やはり「べ平連」でなくてはならない。その略語で分かる者同志の合言葉みたいなものとして、このシンボルは存在し得る。
では、80年的「精神世界の本」の、このごった煮の中に、たった一語で象徴させる言葉はあるだろうか。いろいろ逡巡してみたが、それは「瞑想」でいいのではないか。それは「メディテーション」でもなく、「禅」でも「ZEN」でも、おそらく「修行」でもないだろう。
ヨガ、神道、ニューエイジ、身体論などなどがごった煮になっているこの本の、本当の中核にあるものは、ずばり「瞑想」であろう。誰もがその意味を分かっていたわけでもなければ、できていたわけでもない。しかし、時代を象徴する言葉としてひとつ選べと言われたら、私なら、やっぱり「瞑想」を選ぶ。
さて、それでは75年的「別冊宝島 全都市カタログ」を何に象徴すればいいだろうか。「都市生活者のフォークロア」とか、「シティカタログ」とか言ってはみても、基本、結局本当は何をいいたいのであろうか。そして、ずばりシンボルとなり得るものは何か。
「マリワナについて陽気に考えよう」
マリワナに関しての知識を集めたものとしてこの本を推薦する。どうしてもっとたくさんこのようなものが出版されないのだろうか。やはり、タブーなんだろうね、ほんと。「全都市カタログ」p77
おそらく75年的「別冊宝島」をたった一言でアイコン化するとしたら、この言葉が適当なのではないだろうか。この本がこれ一色で書かれているなんてことはない。他のたくさんのことが書かれている。しかし、文化の基盤として、なにかひとつの共通項を、しかも実質というのではなくとも、シンボルとしてなら、この言葉が、きっとあの時代を色濃く象徴しているだろう。
だから、70年代というものを、本当に大雑把に、ざっくりと、たった三つの言葉で締めくくってしまうとすると、「べ平連---マリワナ---瞑想」と言いきってしまうことが可能だろう。この三つのアイコンの裏で、現実を生きていた若い年代が、実に多くあったのだ。
おそらく、この三題話で、かなり多くの人々があの時代を共有しながら、多くのことを語り合えるのではないだろうか。賛成する人も、反対の立場を取る人も、体験のある人も、あるいは体験したくない人も、あの時代をこれらの糸口から語ることが可能であろう。そして、ここから繋がる沢山の支線も見つけることができるにちがいない。
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