「浮浪雲」 ジョージ秋山 シリーズ<捨てるに捨てられないモノ>その4
シリーズ<捨てるに捨てられないモノ>その4 ジョージ秋山「浮浪雲」
「浮浪雲」
ジョージ秋山 初版1975/04~ 小学館 コミック Kindle版もあり
Total No.3222★★★★★
「浮浪雲」の登場である。しかしながら、今回は、「捨てるに捨てられないモノ」シリーズの中での登場である。正直に言おう、私はもう捨てたいのである。すでに私の「浮浪雲」は終わっている。だからもう長いこと封印してきたのだ。でもそれでもやっぱり捨てられない。
SNSつながりの友人たちの間では、最近1975年に脚光があたっている。これがなかなか面白い。75年に光を当てるというのは大賛成だ。一人でやろうとしてもなかなかできなかった。今回は複数の友人たちが参加しているので、なかなか興味深い。
そしてここからが大切なことだが、実は、この「浮浪雲」の単行本シリーズは1975年から始まっているのである。このところがとても重要なことである。当ブログにおいては、小沢一郎選「あちきの浮浪雲」(2008/06 小学館)というかたちで2008/06/24に触れている。
正直言って、あの時点での書き込みで私が語ることは終わっている。今回、ここにあの全文を転記しようかなと思ったが、やめておこう。今回は、別な角度からこのコミックを考えてみる。
現在、このコミックシリーズは何号まで続いているのだろう。前回の書き込みでは60号まで揃っていると書いているが、現在手元で確認できるのは52号まで。1994年8月発行である。私は、この時までは少なくともリアルタイムで、この単行本を買い続けてきた。60号と言えば、せいぜい1995年までであろう。つまり私の「浮浪雲」は1975年から1995年までだったのである。
1995年はどんな年であったか。そう、阪神淡路大震災があり、麻原集団事件があり、そしてウィンドウズ95の発売があった年だ。あの年から、何かシフトアップした。時代が、そして私自身が。何かが変わってしまったのだ。大好きな「浮浪雲」だったが、あの時で、その魅力は半減してしまった。
現在当ブログも、仲間たちとのSNSつながりも、1975年を中心に回っている。しかし、それはそこに留まることを意味しない。これからおそらく1995年までのプロセスを、あぶり出すだろう。少なくとも当ブログはそれをやりたい。そして更には、1995年からこの2014年迄のプロセスを明らかにするだろう。
1975年に集った仲間たちは多かった。偉大なる共同体験だった。しかし、いつもいつもそれから共同でいたわけではない。あれからそれぞれの道に別れ、新しい仲間たちと会い、集い、そしてさらにそれぞれの道を進んできた。
そういうプロセスの中で、「浮浪雲」はひとつの定点観測点となってくれるのではないか。このコミックをどういう形で見ていたか。それぞれがどうこのコミックに「見られていたか」、そんなところに、当ブログは深い関心を持つ。
で、結局私は、この途中まで集めた「浮浪雲」シリーズを捨ててしまうだろうか。それとも、第一号から再読したりするだろうか。どうも、どちらもなさそうだ。この感覚は、1969年から始まった我らが寅さんの「男はつらいよ」シリーズに似ている。寅さんシリーズも全作品DVDで持っているが、いつか全巻見直してやろう、なんて思っているが、たぶん、もうそういうチャンスは来ないと思う。だが、どちらも捨てはしないんだな。
そんなことをとにかく確認しておく。
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コメント
当ブログ2・0が「禅 」カテゴリの途上で終わり、現「把不住述懐」がその「禅」を受け継いだ。
さて、次なる今後のカテゴリはどうするか。今後も漢字一文字で展開したい。そこで思い出したのが、浮浪雲である。この漫画、「遊の巻」から始まる。ずっと一文字名で巻名が続いていく。
これに倣って、現ブログも、まずは「遊の巻」から再展開していこうと思う。
投稿: Bhavesh | 2018/06/26 19:20