「カーニバル」から40年「仙台青葉まつり」 2014
「仙台青葉まつり」
2014/05/18 仙台都心各地 仙台青葉まつり協賛会
40年前に仙台市内であった「カーニバル」なんてイベントを知っている人も、覚えている人も、もはや殆どいないだろう。1974年、雀の森の住人達が中心になって、全国から仲間たちを呼び、広瀬川河畔の牛越橋付近に大勢キャンプインし、夏の仙台七夕期間中に、こぞって見物客でごったがえする市中にでて、さまざまなイベントを行なった。
これは今回、盛岡の旧友パクシーが偶然SNSでアップしてくれた当時のポスターである。当時、私は情宣の係をやることが多く、謄写版の延長でよくシルクスクリーンでポスターを作ったものだ。当時はポスターなどはほとんど使い捨てで、保存しておくなんて発想はなかった。だから、他のイベントなどで作ったポスターなども、まったく残っていない。当時私が作成したシルクのポスターで、今確認できているのは、彼が保存してくれている、このポスター一種類、一枚だけである。有難い。感謝。
あのイベント、どういう経緯で行われたか、ということを正確に知っている人も、記録もないだろう。当時の現場にいた人間の1人として、記憶をたどっておく。そもそもの発想は、私たち雀の森の住人の一人である当時22歳の若者・冬崎流峰が、仙台七夕は、ただ飾ってあるだけで面白くない。祭りとして、なんとか楽しいものにしようではないか、と言いだしたことにある。
その意見を出したのは、七夕の殆ど半年前くらいのこと。春には仙台市の市庁舎まで出かけていって、意見を出したり、担当に面会を求めたりした。しかし、当時は、まだまだ文化状況を理解するような役所ではなかった。仙台市民文化事業団などできる前の前の話である。けんもほろろの対応だったのだ。
いよいよ業を煮やした流峰を初めとする私たちは、全国の若者や仲間に呼びかけ、自分たちの思いを実行に移したのだった。大阪からは街頭演劇の一団がやってきて突然七夕飾りの下で踊り出し、福島の農場グループもぐらの仲間たちは、泥つき野菜を並べて見物客に販売した。もちろん、許可などを申請した記憶はない。
ミュージッシャンたちも多く集まり、街頭パフォーマンス、そして夜な夜な河原のテントではコンサートが続いた。夜になるとパトカーもおっとり刀で巡視には来たが、付近からの苦情のガス抜き程度の注意だけで、トラブルはなかった。
あの時のイベントのエネルギーは、実は翌年の1975年星の遊行群ミルキーウエイキャラバンへと繋がっていくのだが、当時参加した仲間たちにとっては、伝説の大イベントであったわけである。3・11の直前亡くなった仲間の一人であるミー坊は当時高校生で、あのイベントに参加したおかげで人生が変わったと、その晩年のブログ「晴天の霹靂」で告白していた。
さて、あれからちょうど40年が経過した。日本の経済も文化も、人も祭りも変化した。今年も、仙台青葉まつりが開催された。今年は30周年記念ということだから、カーニバルの10年後にスタートしたお祭りということになる。
山鉾山車も10数台繰り出し、実ににぎやかなものである。毎年ちょうど他のイベントがぶつかって参加したことなど殆どないのだが、今年は愚息が山鉾の一つを引くとかで、親ばか丸出して、ちょこちょこデジカメで撮影してきたというわけである。
普段、何気なく見ている日常風景だが、こうして非日常である祭りが街を乗っ取るというのはいい。普段はジャズフェスティバルも、動く七夕も、どこ吹く風と、私はあまり参加したことないのだが、あんまり引っこんでばかりいるのも、もったいないな、と痛感した次第。
伊達正宗ゆかりのお祭りということで、鎧かぶと甲冑姿の一団も飛び出すが、これもまた歴史的遺物としては見事なものである。将来は、核弾頭もイージス艦も、昔の遺物として、祭りの出し物程度にだけ顔を出す時代が早く来ればいいな、と思う。
それにしても、仙台は杜の都であり、その踊りは、伊達藩ゆかりの雀おどりと言われている。1974年当時、そんな文化のことはあまり意識していなかったが、当時の私たちが、自分たちのグループを「雀の森の住人達」と名乗っていたのは、仙台にあっては、なにか運命づけられた必然であったのか、などと思う。昼から生ビールをひっかけながら、人ごみにまみれて祭りに参加しながら、そんなことをちらっと思った。
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