地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<50>「来たるべき地球人スピリット1」カテゴリについて
<50>「来たるべき地球人スピリット1」カテゴリについて
書かれたのは2014/04/08から2014/05/19までの40日余りの日々。割とあっという間にここまで来てしまった。柳生かやの木資料作りや、他のSNS、特にFacebookとの繋がりがさらに色濃くなって、かなりの書込みが進んだ。それはそれで悦ばしいことであった。
テーマとしての「来たるべき地球人スピリット」は、結局、この108の書込みでは終息しなかった。終息しなかったというより、これは終息しないのだろう、ということに気付いた、というべきだろう。
このカテゴリで池田純一の三部作、「ウェブ×ソーシャル×アメリカ」(2011/03 講談社)、「デザインするテクノロジー」(2012/10 青土社)、「ウェブ文明論」(2013/05 新潮社)と出会ったことは興味深い体験だった。文面ではひどく否定的に書いてしまっているが、これは、ひとつの気付きをもらたしてくれた、という意味では、偉大な本たちであった。
コンテナ、コンテンツに比較するところの、コンシャスネスとは何か、と問う旅にでているわけだが、明快な定義ができているわけではない。むしろ、コンテナではないもの、コンテンツではないもの、それがコンシャスネスである、という逆説的な定義が成立するのではないか、とようやく気付いてところである。
非コンテナ、非コンテンツ、それがコンシャスネスである、というのが、このカテゴリを終了しての結論である。コンテナ論で表せるものはコンテナ論で済まし、コンテンツ論で表すことができることはコンテンツ論で済ます。しかし、そこで表現できないもの。そこで済ますことができないものが、コンシャスネス論である、ということになる。
つまり、結局は、多弁をいくら繰り返しても、コンシャスネスには届かないだろう。表現が繰り返されれば繰り返されるほど、コンシャスネスは遠のくのである。逆に、気付いて見れば、コンテナも、コンテンツも、すべて、つねにコンシャスネスに取り込まれていた、という事実がある。
そこんところに気付かせてくれた池田純一三部作には、逆説的な表現ながら、感謝したい。今のところ、コンテナ、コンテンツに関わるテーマでは最強の布陣を引いたシリーズであった。
「WIRED×STEVE JOBS」
『WIRED』 保存版特別号 2013/10 コンデナスト・ジャパン 雑誌 kindle版
「スペクテイター」<29号> ホール・アース・カタログ<前篇>
エディトリアル・デパートメント (編集) 2013/12 幻冬舎
「スペクテイター」<30号> ホール・アース・カタログ〈後篇〉
エディトリアル・デパートメント (編集) 2014/05 幻冬舎
「Facebookお得技ベストセレクション」お得技シリーズ004ムック 2014/01 晋遊舎
の三冊(プラス一冊)だった。
次のカテゴリは、「来たるべき地球人スピリット2」となる。テーマは、「1」の継続であるが、結局は、当ブログとしては、究極のテーマに辿り着いているようであるし、また、永遠とこのテーマを繰り返し続けることもできるし、また、サドンデスで随時終了も可能であることが分かった。
マイペースで気楽に行こう。もう、急ぎの旅ではない。旅は終わって、すでに帰路についている。あるいは、すでに帰宅した。そして、結局、最初から、旅などにでてはいなかったことを確認することとなる。
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