池田純一『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』<全球時代>の構想力<6>
「ウェブ×ソーシャル×アメリカ」 <全球時代>の構想力<6>
池田純一(著) 2011/03 講談社 新書 317P
★★★★★
雑誌「スペイクテイター」の「ホール・アース・カタログ」特集「前篇」と「後篇」を見ながら、この本を思い出した。一度ざっと通読してから「スペクテイター」にもどろうと思ったのだが、こちらの本は新書とは言え、内容的にはハードカバー単行本と同等なので、通読するのも骨が折れる。結局は「ホール・アース・ホールド」の編集者であるスチュアート・ブランド関連のp51~p108に目を通すことにとどめた。
わず60ページではあるが、第2章「スチュアート・ブランドとコンピュータ文化」、第3章「Whole Earth Catalogは なぜWhole Earth と冠したのか」などと、内容は濃い。
著者には今のところ関連する本としては三冊ある。「ウェブ文明論」(2013/05新潮社)はすでに手に取ったが、孫の子守りをしながら読むタイミングの本ではなかったので、メモもしないまま一度返却してしまった本である。「デザインするテクノロジー」(2012/11青土社)は今回一連のものとして読む必要を感じて取り寄せてみたものである。
「新潮」の連載を続けた三年の間に、連載をきっかけとして、「ウェブ×ソーシャル×アメリカ」(講談社)と「デザインするテクノロジー」(青土社)の二冊を上梓することができた。内容としては、前者は本書の第1部と第2部、後者は第3部と第4部と関わるところが多い。「ウェブ文明論」p331「あとがき」
新書本一冊にてんてこまいになっているのに、他の単行本二冊まで読みこめるかどうか、分からない。
本書の執筆いは、Dynabookの現在形が活躍してくれた。おそらく、Kindeによる電子書籍がなければ内容を膨らませることは困難だったろう。本書が参考にした英語文献の多くはKindleで利用した。常時、100冊あまりを持ち運びできる携帯性と検索性は態変助かった。「デザインするテクノロジー」p394「終幕」
なにかの研究書や報告書などではあれば、それもありだろうが、当ブログとしては、もっとシンプルな読書をよしとしている。図書館から借りだせる程度の一般的な文献を、アナログな形の本として読むスピード感と、著者の「重層的」かつ「同時性」は、うまくかみ合うとは言えない。
それでも、今回また気になったところを抜き書きしておく。
ARPANETは、冷戦下の核攻撃による通信破壊=連邦政府の機能の事実上の停止、ちう恐怖の想像力に応じて生みだされた。二点間を直接つながぐ電話網の脆弱性の克服が開発初期からの目的であったため、実際に採用されたのは効率性よりも畳長性を重視する分散型のネットワークだった。p62「スチュアート・ブランドとコンピュータ文化」
当ブログにおいても、科学のジャンルでは、原発=核技術と、コンピュータ技術に注目してきたわけだが、いみじくも、この二つは根っこは同じであったのか、と改めて認識した。攻撃性としての「核」技術に対して、防御性としての「インターネット」技術があったとすれば、面白い対比だな、と感じた。
カウンターカルチャーとは、アメリカで主に60年代に起こった若者の一連の運動の総称のことだ。通常思い浮かべられるのは、ヒッピー、ドラッグ(LSD)、ビートニク、コミューン(共同体)運動、フリースピーチ運動、消費者運動、公民権運動、女性運動・ゲイ解放、ベトナム反戦、などの様々な活動だ。イメージとしては映画「フォレスト・ガンプ」を思い出してもらえばいい。p84「Whole Earth CatalogはなぜWhole Earthと冠したのか」
まあ、こういう定義付けも悪くはないのだが、どうもいまいち網羅的で客観的過ぎる。
スチュアート・ブランドは1938年にアメリカ中西部のイリノイ州ロックフォードに生まれた。生年で留意すべきは、ブランド自身は、カウンターカルチャーの中心にあったベビーブーマー(アメリカでは45年から64生まれまでを指す。日本の「世代」概念よりも長いことに注意9でhなあく、少しばかり早く生まれていることだ。
カウンターカルチャー運動が盛り上がるのは68~69年だが、その時にはブランドはすでに30歳を越えていた。カウンターカルチャーを扇動する側の世代に属していたことは記憶していてよい。p89同上
この時代、ブランドは30歳だったが、著者池田信一は1965年生まれ、まだ3歳や4歳だったのだから、池田にカウンターカルチャーに同時代性を持てというのも無理な話である。
カウンターカルチャーに対しても、その現場にたまたま居合わせたものの、ブランド自身の態度としては、従軍経験が示すように、むしろ、カウンターカルチャー自体とは一定の距離を保ち、場合によっては批評的であった。p107同上
つまりは、「ホール・アース・カタログ」やスチュアート・ブランドの、カウンターカルチャーに与えて影響は大きかったけれども、過大評価することによって、カウンターカルチャーの本質が変遷してしまったり、歪曲されてしまうことは避けなければならない、ということである。
なにはともあれ、今回この本を再読して、二つのポイントを確認できた。一つは、ブランドを必ずしもカウンターカルチャーの中心に据える必要はない、ということ。そして、現代科学の粋である、核(原発)技術と、情報技術(インターネット等)は、一対の同根の本質を持っているということ。ただし、核技術が攻撃型のホコの力だとするなら、情報技術は防御型のタテの力を持っている、という仮説である。
つづく
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