<3>からつづく

「スペクテイター」<30号> ホール・アース・カタログ〈後篇〉<4>
エディトリアル・デパートメント (編集) 2014/05 幻冬舎 単行本: 191ページ
★★★★★
<スチュアート・ブランド> p064~076
わたしの2009年の著書「ホール・アース・ディシプリン」(略)でも、ネイティヴ・アメリカンに関した章があるが、文化を「ややロマンティシズムにあふれた、現実味のない文化」と書いた。日本語に、いま話したようなことを訳す言葉があるかな?(笑)
ジェフリー オリエンタリズム・アプライ(オリエンタル志向)、とかですかね?
ふむ・・・それはおもしろい。オリエンタリズムというのは完璧なコトバだな。p064「スチュアート・ブランド」

wikipediaより
1938年生まれのブランド、76歳。それに79歳のロイド・カーンが絡み、67歳のハワード・ラインゴールドと、62歳のケビン・ケリーが従う、という構図である。なんとも爺くさいと言えば爺くさい。
(前略)そのビディオでジョブズは「コンピュータは自転車に似ている」という考え方を最初に発表した作品だ。すなわち「意識のための自転車」ということだ。
-----「パソコンは乗り物」という意味ですか?
というより、むしろアンプだね。生物界では人間はそれほど早く走れない生き物だが、自転車に乗れば高速で移動できるようになる。そのようにコンピュータを使えばマインドを増強させることが出来るということだ。
ジェフリー 自転車は世界を平等化するというか、自転車は環境に対してもフレンドリーですよね?
そうだね、自転車という乗り物はシンプルで、現代は誰もが自転車の恩恵に授かっている。同じような存在にパーソナルコンピューターもなっていくのではないかというアイディアだ。
-----「ジョブズは元ヒッピーだった」という話がありますけど。
このビデオはやはりジョブズはヒッピーだと言える証拠でもある。なぜならヒッピーは自転車が好きだから(笑) p068「スチュアート・ブランド」
いきなりこの辺を抜き書きしても、ますます混乱するような内容だが、「意識のための自転車」という考え方は面白いと思うが、「マインドを増強させる」ということとは、全く違うことだと、私は捉える。
------あなたが近著「ホール・アース・ディシプリン」(略)を書いた強い動機は何だったんですか。
ふーむ・・・(すこし間をおいてから)60年代から70年代にかけて、私は「モダン・エンヴァイロメンタル・ムーブメント(現代環境運動)と呼ばれるムーブメントの創始者であり、それを牽引してきた一人でもあるわけだが、2000年頃から、その環境運動の世界で言われていることが正しくないことが解ってきた。p069「スチュアート・ブランド」
ここで少し間をおいたということは、単刀直入の質問にとまどったとも言えるかもしれないし、また、何度も繰り返されただろうこの様な質問に対して、もっと別な答えを出してやろう、というブランドのサービス精神でもあったかもしれない。決して、これをすぐ第一義と捉える必要はないと思う。
1960年代は全体的、科学的な考え方をしていた人々も存在していたが、2000年頃から「反科学」とも言えるような考え方が見られるようになってきたんだ。
ロマンティシズムという概念を持ったヒッピーたちは、物事を具体的な問題として直視せず、ロマンティックな視点を通じて物事を見て、ある種の悲劇として環境問題を捉えてしまう嫌いがある。そこが問題なのだ。p069「スチュアート・ブランド」
アメリカと世界各地の状況は違っているけれど、これでは、環境運動はヒッピーとイコールで、ロマンティシズムは科学と離反している、ということになる。この2000年頃あたりに、何が起きた、とブランドは捉えているのだろうか。
世界全体が近代化されるにつれ、地球はますます汚染されている。にもかかわらず、その問題を解決するのではなく、ロマン派はただ、足掻いているだけだ。
そもそもわたしは大学で科学を専攻していたし、この数年でよく会うようになった連中のなかにエンジニアも増えてきた。彼らエンジニア---たとえばウォズニアックやジョブズのような連中とつきあってみると、彼らは「問題は問題」と純粋に捉え、それを解決することに力を注ぐのだ。けれど、ヒッピー環境運動家は解決策を探そうとはしていないように思えてきた。p070「スチュアート・ブランド」
ますますこれでは、環境運動=ヒッピー、ということになってしまうな。すくなくとも、アメリカ国内にいて、ブランドには、2000年頃においても「ヒッピー」の存在が気になり、敢えてそのヒッピーたちの目を覚ましてやろう、というような「サービス精神」を持ったのかもしれない。
この時の日本から行った「スペクテイター」誌のインタビュアーたちというのは、どういうスタイルで行ったのだろうか。ロングヘアーにTシャツ、ジーンズなどという典型的な「ヒッピー」スタイルだったのだろうか(邪推だが)。もしインタビュアーたちが、ビジネススーツを着込んだ連中なら、ひょっとすると、ブランドはまた別なサービス精神で、別な答えを言ったかもしれない。
ひとつの例として、GMO(略)つまり遺伝子組み替えの問題がある。わたしは科学者として、遺伝子組み換えはまったく問題がないと理解しているのだけれど、環境運動の世界では、遺伝子組み替えはタブーだ。
誰もがニュートラルに現実を捉えることもなく、とにかく御法度というような暗黙のルールが出来あがってしまっている。
別な例としては原子力があるね。
-----あなたは最初、原発に反対してましたね。「ホール・アース・カタログ」にも反核の記事などを掲載していましたが。
当初はわたしも原発反対派だったけど、地球温暖化を防ぐという命題と、原発を使わないということは、完全に矛盾しているんだ。環境保護活動家はそう言ったことを一向に話そうとしない。
「人口爆発」という問題に関するリサーチもだいぶ変わってきている。活動家は70年代から変化がないと考えがちだけれども、世界中のアーバニゼーション(都市化・スラム化)は、とりわけ発展途上国でも重要な問題で、田舎から都市部(スクワッターシティ)へ引っ越しするにつれて、子供の出生率が激減したという調査がある。都市へ人が移住することで、人口爆発のシナリオは防ぐことが可能だ。p070「スチュアート・ブランド」
ちょっと長かったけれど、ここまで引用してみた。この文脈で語られているのは、遺伝子組み替えであり、原発であり、人口爆発、だ。ここで、このように、パターン化した思考をすることが、「科学的」なことなのだろうか。まずは、この問題を三つ、それぞれにバラして考える必要を感じる。そして、いま特に問題なのは、原発だ。
原発推進の論拠は、ブランドの場合は「地球温暖化」である。これは2014年の3月に行なわれたインタビューだが、ここにおいても3・11フクシマ原発事故については、いっさい触れられていない。この態度を「科学的」というのだろうか。使わざるを得ない、という結論は、本当に「科学的」だろうか。
都市化するにつれて人口は減少する、という喩えは本当だろうか。子育てに不適な劣悪な生活状況だからこそ、出生率が減っているだけではないのか。一方的に、それを「科学的」と言いくるめることはできるのか。
ロイド・カーンにおいても、原発に対してはニュートラルで、遺伝子組み替えには絶対反対、というような発言があったけれど、どうも、アメリカにはアメリカの事情があるように思う。すくなくとも、ブランドは、自らがある種の集団性(ヒッピー派、環境保護派)といわれる潮流に囲まれており、また、その牽引役のひとりと見られてきていることを、当然自覚しつつ、そこに「嫌気」をも持ち始めているようだ。
そして、そこから、どことなく、みんなにひどく嫌われることのないような人柄と説得力もあることを自覚しつつ、サービス精神で、また新しいこと言いだそうとしているようでもある。
たしかに、何かの免罪符よろしく、反原発さえ唱えていれば、他のことは目をつぶろう、というような不逞な輩がいないわけでもない。その反対の論理が、かなりいい加減で、感情的で、一時的な付和雷同であったりもする。しかし、ここでブランドに一理あることを認めつつも、彼をこの周辺の言及を持って、「科学的」と見なすことはできない。
ブランドについては、退役軍人であった、とか、ギンズバーグらのとの深い交流があった、というようなプロフィールが語られることがあるが、このインタビューにおいては、軍の体験は短いものだったし、ビートニック達の交流はさほどなかった、と否定的である。
「ホール・アース・カタログ」は、世界を少し替えたと思いますが・・・」
ノー! カウンターカルチャーは「ちょっと」じゃなくて「完全に」世の中を変えたじゃないか(笑) p071「スチュアート・ブランド」
この自負は、一体どこからくるだろう。世界各地でこの言葉を考えることができるだろうか。すくなくとも、日本において「カウンターカルチャーは完全に世の中を変えた」と認識できる人はいるだろうか。そもそも、日本においてカウンターカルチャーという概念が根づいただろうか。日本では、同時期に流布された言葉に「反体制」という言葉ある。日本において、反体制派が、完全に世の中を変えた、と認識している人はいるだろうか。
失敗ね。たとえば「ドラッグ」、「コミューン」、「フリー・ラブ」なんかがそうだ・・・・・あとはバックミンスター・フラーのドームも忘れてはいけないね(笑)p071「スチュアート・ブランド」
ブランドは三つ四つの具体例を、的確にピックアップする。フラー・ドームを初めとする「ヒッピー・ムーブメント」の中のアイコンたちを、見事にひっくり返すセンスは、なるほど、かなり論争的な人柄である。長身で、細身で、笑顔で、説得力がある、とはいうものの、個人攻撃はしない人なのかもしれないが、かなり意図的に論争を仕掛けてくる人物ではあるようだ。
その一方で、ヒッピーがもたらした利点と言えば、スティーブ・ジョブズのように、ヒッピーの考え方をビジネスの世界に持ち込んで成功した例も少なくない。p071「スチュアート・ブランド」
すくなくとも、日本におけるジョブズ人気はiPadの成功によるもので、しかもそこでジョブズが自分の人生を終えたという追悼の意味も含んでいる。もしこの地点でジョブズが話題にならなかったら、カウンター・カルチャーも、WECも、ヒッピーも、ふたたび話題になることもなかったかもしれない。すくなくとも、「iPadのジョブズ」からそれらの背景を初めて知った若い層がそうとうに多いだろう。
ジョブズは、その背景を取り込んだから、ビジネスに成功したのだろうか。あるいは、その背景を、自らの背景にうまく取り入れることによって、自らのビジネスをフレームアップしたのだろうか。このあたりの論理のすり替え、つまり、ブランドのいう、失敗や成功の、レトリックは、注意して見ておかなければならない。
ヒッピー時代の利点ということで言えば、いろんなものを試してみるやり方と、とりあえずは良い人でありたいという願いだろう。
ヒッピー時代に新しいことをはじめて、のちにビジネスとして成功させている人は大勢いる。p071「スチュアート・ブランド」
このあたりの言葉使いも要注意である。言わんとすることは分からないでもないが、ジョブズもまた、そのスタッフをむりくり変なオーラで説得してしまう力を発揮していたが、ブランドもまた、ここで、変なブランド・オーラを発射しているように、私には思える。
青野 では、カウンタカルチャーをどう考えていますか?
カウンターカルチャー・・・・・(遠くを見つめながら、スー、ハー、スーと三回息を継いで)「ホール・アース・カタログ」は確かにカウンターカルチャーの本ではあったが、カウンターカルチャーに反しているところもあった。例えばテクノロジーを尊重する考え方など、完全にカウンターカルチャーの王道を行っていたわけではないんだ。p072「スチュアート・ブランド」
ここで大上段に構えてしまった青野という人の質問も、まぁ、あまりにも真正面すぎるが、日本からの、燃え上がるWEC礼賛の背景を携えていった質問者としては、一度はしなければならなかった質問なのだろう。
逆に考えれば、これこそが「完全にカウンターカルチャーの王道だ」と言えるものなど、本当はなにひとつないだろう。 やはり一番近いのはWECなのだ。
例えば、現代の「コーダー」(ウェブ上にプログラムを書く人)の世界、そこにはクリエイティヴな可能性を求める感覚がある。
アンダーグランドな、カウンターカルチャーのような文化も存在するかもしれない。彼らはヒッピーと違って金を持っているけどね。
もっとも、彼らがお金に対して興味を持っていないところはヒッピーと似ているところでもなる。ヒッピーも金に関心がなかった。
当時のヒッピーで金を持っていたのはドープ(大麻)ディーラーだったヤツだけだけど、現代のコーダーたちは皆金を持っている。コーダーたちは金を社会的地位やアイディンティを決めるものではなく、ひとつの道具、あるいは資源として考えている。p072「スチュアート・ブランド」
この辺の言葉使いは、アメリカ独特のものであろうし、現場に行ってみないとわからないことが多くあろう。少なくとも、ここで、ヒッピー負け組、コーダー勝ち組のように表現されていることは興味深い。
いまの社会のほうが、柔軟性がある部分も多い。かつてはドロップアウトしなければ逃れられない激しい現実があった。もちろん現代社会にも問題はあるし、新しい問題も増えてはいるが、現代のほうが、たとえばバックパッカーにならなくても気軽にアジアへ行ける機会も増えているし、完全にドロップアウトしなくてもすむ方法が増えた。p072「スチュアート・ブランド」
ブランドの言わんとするところはわかる。しかし、独特のロジックで、なんだか、いつの間にか説得されてしまっている。これは、決して論理や科学ではなくて、ブランド自身が、「ロマンティスト」だからだと、私には思える。
私は自分のことを「エンヴァイロニスト」ではなくて「コンサベンタリスト」(保護活動・エコの世界でよく言われる言葉)と言っている。
-----お時間をいただき感謝します。(2014年3月3日・サンフランシスコ・サウサリート、スチュアート・ブランドの事務所にて) p072「スチュアート・ブランド」
思えば長時間にわたるインタビューである。原発についての論議は熟されていない。思うところいろいろあるが、ブランドの著者三冊などの再読を含め、いずれ、全体を再考しよう。
<5>につづく
最近のコメント