「国宝級オリンパスOM1」 シリーズ<捨てるに捨てられないモノ>その5
シリーズ<捨てるに捨てられないモノ>
その5 国宝級オリンパスOM1
「ほぅ、OM-1でんなぁ、小さいけどカッコよろしいな」
「この135mmは・・・、200!?」
「うちの仏さんも小さいけど、心がこもってはる!ホンマ やったら、国宝なんやけどなぁ」
懐かしい。あのテレビCM見たいと思ってググってみたが、ない。私のように、もういちどあのCMを見たい、と思っている人は、他にも何人もいるらしい。
このカメラは76年に働いて、買ったもの。すごく欲しかった。近くのカメラ屋に飛び込んで買ったのだ。テレビコマーシャルもかっこよかったな。どこかの坊さんがでてきて、「うちの仏さんも小さいけど、心がこもっとる!ホンマ やったら、国宝なんやけどなぁ」。うん、決まっていたね。
他にもたくさん魅力的なカメラがあったのだろうが、当時の私を魅了したのは、「小さい」ということ。これで小さいなんて、今のデジカメに比較したら笑われるけど、一眼レフの銀塩カメラでは、当時最小だった。旅に持っていくために買うわけだから、小さくなくてはならない。
しかし、このカメラの運命はそうたやすくはなかった。数ヶ月後、このカメラを車に積んだまま、私は交通事故にあう。ほとんど死亡事故だったのにも関わらず、私は九死に一生を得て、生還した。積んでいたカメラは、水が入り、お釈迦となった。
事故の過失割合がどうの、ということはもう忘れてしまったが、保険の約款上は、このカメラは交通事故により破損して使えなくなったということで、相手の保険から全額賠償してもらえることになった。だから、無理して高いカメラを買ったのだが、全額戻ってきた、ということになる。
ダメ元で修理に出してみたのだが、中のレンズ部分のカビはもう取れないので、もう使えません、というご宣託だった。ああ残念と思ったが、私はあまりカメラマンマインドがないものだから、せいぜいアリバイ写真程度のものが映ればいい。それで、捨てずに使ってみることにした。
その後、インドやスリランカへの旅の供をしてくれたのはこのカメラである。大したものを取ったわけではないが、立派にアリバイ証明には役立ってくれた。レンズも専門家がいうほど汚れてしまっているわけではない。すくなくとも、私のようなシロートには、撮影された写真にその瑕疵をまったく見つけることはできない。
その後、時代は経過し、馬鹿ちょんカメラや、使い捨てカメラ、果てはデジカメの時代となり、古い時代の銀塩カメラなど、誰も見向きもしなくなった。私とて、もっと簡単なイージーなカメラを使うようになり、当時小学生だった息子におもちゃとして与えたのであった。
息子とてこんな古臭いカメラを珍しがることもなく、結局こども部屋の棚や押し入れをあちこち回され、結局その後一枚も撮られることもなかったようだ。大体において、いまや、私もデジカメを使っているが、どれもこれも、成人した息子のお古を使っているのである。どんどん新型がでるが、私なんぞは、二世代落ちぐらいの性能で十分だ。
ところが、最近、息子の部屋の隅っこに、この「国宝級オリンパスOM1」が転がっているのを見てしまった。あまりにも忍びなく、そのカビだらけになった姿に、涙ながらに詫びながら、何気なく革ケースをあけてみた。
ところがどっこい、カビだらけなのは、革ケースの外側だけであり、中身は完全に守られていた。あら~~~、これ、まだまだ使えるじゃん。一度ならず、二度も三度も捨てられたはずの、この国宝級カメラ。使おうと思えば、まだまだ使えるのである。望遠レンズつきである。
しかしだ。いまやデジカメ時代である。そもそもが銀塩カメラの現像所だって少なくなっている。フィルムだって、もう何年も買ったことがない。だいたいまだ売っているのかどうかさえ不確かである。カメラ音痴の私にはわからない。まぁ、やっぱり、このカメラは使えるけど、使わないだろうな。
ということで、結局、このカメラ、捨てるに捨てられない国宝ならぬ、家宝として、長く我が家に保存されることになるのであろう。
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