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2014/05/16

「東北は国のまほろば」 日高見国の面影 中津攸子

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「東北は国のまほろば」 日高見国の面影
中津 攸子 (著) 2013/07 時事通信出版局 単行本 230ページ
Total No.3237★★☆☆☆

 人気本である。この本をリクエストしたのが、ことしのお正月。著者の前著「みちのく燦々」―消されていた東北の歴史(2005/11新人物往来社)を読んで、まあまあ面白かったので、こちらも心待ちにしていたのだが、こんなに時間がかかるとは。

 ほんの数人のウェイティングだったので、すぐ来るだろうと思っていたが、ざっと計算してみると、ひとり一ケ月くらいの保持期間になっている。なぜにそんなに時間がかかったのだろう。

 こちらはこの本のテーマの現場である。しかも、この本のテーマに関心を寄せるのは、およそアラ還の私以上の年配の、しかも、歴史マニアが多い、と察せられる。順番の連絡、受け取り、読みだし、読み切り、再読、精読、参照、延滞、返却催促、などなどが繰り返され、1人あたりの本の滞在時間が、大幅に長くなってしまったものと思われる。

 現在進行中の当ブログのテーマもここからは大きくはずれてはいないので、現在この本を読みこむことは可能なのだが、どうもタイミングを失ってしまっている。というのも、そもそもが、この本の性格にもよる。

 日高見国には太古から一筋の(と言っては言い過ぎかもしれませんが)豪族の系譜が受け継がれている、と私は思っています。安倍(もしくは阿倍)氏の存在です。p7(日高見国と中央政権)

 この地に棲む、父も母もアベである私は、生粋のヒタカミの系譜に乗れる可能性もあるのだが、どうも、このような紋切り型の提灯記事は嫌いである。そもそも前著を読んだ時の、著者の論旨の粗さが目についてしかたなかった。こちらに有利になるように「間違って」いるのだが、間違いは間違いである。ひいきのひいき倒しは困る。

 巻末の参考文献の50に上りそうなリストを見ても、実はこの本は、情報のパッチワークであることが分かる。あれこれ面白そうな資料を繋ぎ合わせ、歴史読本の好きそうな読者層に受ければそれでいいのか。

 コンテンツとしてはそれでいいかも知れないが、そのコンテンツからいかにコンシャスネスへと純化し昇華していくか、そこのところの糸口がどうも見えない。なぜなら、それは各人の覚悟と直感的確信が必要だからである。文献をあさっていって見えてきた糸口ではなく、もともと先験的に持っている何か、自分存在としての核心、どうもそこのところが、この本からは見えてこない。

 つまりこの本でなければ分からなかったということは、著者の私見の部分以外、特にない。他の文献にあたれば、同じような表記はある。知のパッチワークである限り、他の文献なり情報が出てくれば、著者の論旨は今後大きく変化していく可能性はある。

 ここまで醒めてしまうと、この本のタイトルだって、あまりイカさない。そもそも、この地にもともと住んでいる人間が、自分たちの場を「東北」などとは言わない。東だの北だのというのは、この地にいない人のいう言葉である。ここはここなのである。

 日高見「国」というのも気に障る。ヒタカミの人々は、「国」という雑念をもっていなかっただろう。日を高く見る、のであって、そこに国の概念はない。少なくとも無定義にクニという言葉を接尾語として使われること自体、私なんぞは寒気がする。

 冷めたピザに怒っている私の姿に、私自身が可笑しくなるが、どうもこの本を読むのはこのタイミングではない。この本は人気本で、私の後にもたくさんのウィエイティングリストが連なっている。あんまり待たせるのも悪いから、私は今回、速攻、次の人に回してやることとする。

 そして、もう誰も読まなくなって、冷めきったあたりに、もう一度、温め直して、食してみることとする。

 つづく・・・と思う。

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