「デザインするテクノロジー」 情報加速社会が挑発する創造性 池田純一
「デザインするテクノロジー 」情報加速社会が挑発する創造性
池田純一 (著)
2012/10 青土社 単行本: 426ページ
Total No.3240★★★☆☆
この本、面白くないわけではないようなのだが、どうも結果的には私向きではないようだ。著者の本は、「ウェブ×ソーシャル×アメリカ」<全球時代>の構想力(2011/03 講談社)を読んだ時から、お、これは、と追っかけ続けているのだが、どうもイカン。
そもそもが、この人の本は重層的過ぎる。ありていに言えば、横に走り過ぎて、結果的には良くまとまっていない。これは著者自身が意識してそのような書き方をしているということなのだが、どうも私なんぞは未消化で、不良消化を連続して起こす。
この人には他に「ウェブ文化論」(2013/05新潮社)があり、だいぶ前に目を通したのだが、孫の子守をしながら読むような本ではなく、結果的には、当ブログとしては、目を通したもののメモもしないでページを閉じてしまった一冊だった。
実は「ウェブ×・・」も新書本と言いながら、厚さで普通の2冊分、内容では4冊分くらい詰まっており、もうすこし分冊にして、わかりやすく各論的に書いて欲しいと願ったものだが、著者の意図はむしろ逆で、重層的に、輻輳して、統合して、俯瞰しようという試みのようである。しかし、その意図はうまく成功しているであろうか。
当ブログでいえば、コンテナ、コンテンツ、コンシャスネスの三つの概念で物事や世界を捉えようとしているのであるが、この本のタイトルでいえば、テクノロジーがコンテナに対応し、デザインがコンテンツに対応しているだろう。
となると、当ブログとしては、じゃぁ、コンシャスネスはどこにあるか、と捜すことになるのだが、どうもそれが、この著者の一連の仕事の中に見つけることは難しい。この文脈だと、テクノロジーがそのものが主体となってデザインを始めているような、逆転劇さえ起きている。主体はどこにあるのか。
私がこの本を書きなおすとしたら、この二つのテーマの他に、人間や意識、命、存在、などという単語を加えたいと思ってしまうのである。敢えていうなら、そこに「ハート」の一言を加えたい。ハートは人間存在の中心にあるものであり、体を維持し、生活を維持し、精神を維持する中核だと思える。
だから、せめて「ハートがデザインするテクノロジー」とか「ハート×デザイン×テクノロジー」などという枠組みで書きなおして欲しいと思うのだ。つまり、この本においては、いわゆるここでいうところの「ハート」がすっぽり抜け落ちている。
テクノロジーが変えるのはあくまでも社会の表層であって、その背後にある人間的なものは変わらない。そう考えていた。最先端の科学技術を扱う彼(クライトン)のテクノスリラーは、見た目に反して、科学技術の安易な礼賛をたしなめるものだった。p389「終幕」
著者自身もまた、そこんとこを感じているはずなのだが、たしなめられて、それじゃぁハートにもどろう、ハートを重視しよう、という論調になっていないのは、ちょっと困る。
今回まで、著者の本はしち面倒だ。いずれしっかり再読してやろうと思っていたけど、精読しても、いわゆるハートに届かないのであれば、この本は、結局、当ブログにとっては徒労に終わりそうだな、といよいよ気付きつつあるところである。
つづく・・・・・・・かも
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