「お産の学校」: 私たちが創った三森ラマーズ法<1>
「お産の学校」 私たちが創った三森ラマーズ法 <1>
お産の学校編集委員会 編 1980/3 BOC出版部 単行本 444p
Total No.3249★★★★★
まず、自己紹介しましよう。名前は三森孔子。孔子(こうし)と書いて、よしこと読みます。職業は産婆です。いまは産婆が好きで好きでたまらない、しあわせな人間です。どうして産が好きかって言いますと、人が人生でいちばん喜ぶ瞬間、いちばん感動する瞬間に立ち会えるからじゃないかと思います。p25「無理をしないで楽しく産もう」
この三森さん(1928年福島県生まれ)を迎えて、西荻のほびっと村で「産婆の学校」が始まったのは、1977年のことだった。
「地球の上に生きる」アリシア・ベイ=ローレル 深町真理子訳(1972/07 草思社)p179
70年代カウンター・カルチャーの中では、自分たちで自宅出産しようという雰囲気があった。私たちも、他のコミューンでのレポートをもとに勉強会をひらいて準備をしたのだった。
雑誌「時空間」10号(1975/04雀の森の住人達)p65 札幌のコミューン「ピキピキ舎」のレポート
当時20歳代を中心とした若い世代の仲間たちである。どこからどこまで分かっていたのかは、ちょっと危なっかしいものであったことは確かだ。
キク 私は仙台にいたころ、仲間と共同生活をしてたんだけど、そこに住んでいた女の子たちが、みんなで出産をやっちゃおうなんて・・・・・。あのころ、ああいうのはやっていたのよね、75年のころだったかな。それで、北海道に1人で産んじゃった人がいるって聞いて、みんなで「女のからだ」なんかを参考にして勉強したんだけど、みんな、わけがわからないわけよ。
経験者は1人しかいなかったし、ラマーズ法も何もわからなくて、決死の覚悟のなかである人が産んだってわけ。
その時の彼女は、自然分娩を自分でやりたいってことがあったんだけど、周りとの関係がうまくいってなかった。そういうところで産むのは、すごく不安だったでしょうね。でもやっぱりみんなの中に、自然分娩はいいことという意識はあるから、不満をパッとぶちまけることはできなくて、結局、育児の中で、そういう関係が露骨にでてきた。
彼女がどんな不安と不満を持っていたかなんて私は全然知らなかった。その子が3か月になってから、そのお産のテープを聞いて、えらく感動して、これからは自然分娩は絶対多くなるから、だれかできる人がいたらいいな、と思ったわけネ。
まさか私が助産婦になるとは思わなかったけどね。ツテを聞いて、友達に看護婦の子がいると聞いたからその子のところに行って、「助産婦にならない?」って、そんな感じだったのよ(笑)。
雑誌「時空間」11号(雀の森の住人達1975/07)p63 イラスト・パトラ
それで、私は仙台から東京に戻ってきて、「やさしいかくめい」という本の編集をやりだしたけど、そのとき編集室に女は私1人だったの。何となくさびしくって、「珠裸衣(じゅらい)」という女の子のグループをつくったの。
そこで自然分娩とか、女のからだのこととか話に出て、私は男との関係や自然分娩にすごく興味があったのね。で、「やさしいかくめい」でも、それをとり上げようってことになったとき、たまたまお産婆さんで、すごくいい人がいるって話になって・・・・。友達どうしできこえてくるの。あの人も三森さんで産んだ、この人も産んだっていうふうに・・・・。
ユキ ああ、そのころから三森さんとこで始まってたわけね。
キク で、三森さんに、自然分娩の原稿を書いてほしいて頼んだわけ。まずはお話を聞きたいって。それでここに来て、私がいままでどれほど知らなかったか、よーくわかってサ。
みえ 知らなかったって、お産に関して?
キク いろいろ。まず分娩に関して言えば、それまでカッコよく言っていたわけね、自然分娩じゃきゃだめでだとか、医者なんか絶対悪いとか・・・・・。ところが、自然分娩のどこが、どうしてよいのか、全然知らなかった。
ユキ そのへんはピッタシね、私たちが始めたころと。それが三森さんと結びついたことによってかなりの部分、ピシャっとはっきりしたわけね。
キク 一回話を聞いて、自分のからだのことはともかく、お産の何がよくて何が悪いのかってことがわかったわけ。
そのとき、たまたま私の友達がおなかが大きかったの。4か月くらいだったかな。で、三森さんとこで産んでみないか、と言ったら、彼女も、病院はいやだ、自然分娩にしたい、と思っていたから、さっそく一緒に行ったの。
でも、私がお産に立ち会うなんていうのは、その子がすごくいやがると思ってたんだけど、そのうち、向こうのほうから「立ち会ってくれないか」って、コロッと言ったわけ。その立ち会いで、私、三森さんと親しくなったのね。それまでは、編集者と原稿書いてくれる人の関係だったんだけど・・・・。
そのころ、いっしょに編集やってた男の子が、そんないいお産をやってる人が見つかったんなら、「産婆の学校」をやってみないかって言われてね、三森さんに「産婆の学校やってもらいたいんだけど」って話したら、三森さんもけっこう乗って、「あ、いいですね、いいですね」って言ってくれたわけ。p261「ひょんなことから『産婆の学校』を」
この時、キクが仙台で体験した出産は、雑誌「時空間」にまとまっているし、「名前のない新聞」でもレポートされた。
「名前のない新聞」
1975/06/15 p4~5
photo:サキ
この本がでてからすでに35年。私たちが自分たちのコミューンで自宅出産を体験してからすでに40年の時間が経過しようとしている。この本の経緯についても、ほかのさまざまなストーリーがあったことを、すこしづつ知ることができる時代となっている。
うちの子供たちが生まれる時も、立ち会いたいと医師に申し出た。たくさんの妊婦さんたちに交じって、むさくるしい髭面の私も、実際的な妊婦体操などの「性教育」を受けた頃が懐かしい。そんな私はもうアラ還に達している。もうすぐ、4人目の孫が生まれるらしい。
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コメント
この記事が、人気記事ランキングに登場した。たしかに数少ない記事の種類なので、これはこれで当然であろうと思われる。しかし、人生の途上で、このような事態に接する当事者にとっては、必ずしも、衆知の関心が集まることを必ずしも歓迎しないのではないか、と思い始めている。このような記事に対して、読んでいる人々は、単に好奇心で読んでいるのか。それとも、この事態から、何事かの既知を感じておられるのだろうか。
投稿: Bhavesh | 2018/08/09 23:26
40年前のミニコミ雑誌「時空間」をパラパラしていて、自分の連載記事「まがじん雑学」を思い出した。再読して見るのもわるくない。コンテンツとしてはあるのだが、コンテナに乗ってない。いずれ当ブログで再アップして、さらにKindleで流通されることを考えよう。そして、そこに流れるコンシャスネスを、再感知しよう。
投稿: 阿部 Bhavesh 清孝 | 2014/06/02 12:34
veeraさんコメントありがとうございます。
「日本女性のミニコミデータベース」情報ありがとうございます。現在、70年代カウンターカルチャーのアーカイブ作成の誘いがあります。参考にさせていただきます。
リンク、もちろんOKです。
投稿: bhavesh | 2014/05/29 15:21
当方の最新記事です。^^
投稿: veera(あらら♡) | 2014/05/29 13:39
きちんと記録を残していらっしゃる、、すばらしいです。こちらのブログにも、リンクさせてくださいね。
投稿: veera(あらら♡) | 2014/05/29 13:33