「ウェブ文明論」 池田 純一
「ウェブ文明論」
池田 純一 (著) 2013/05 新潮社 単行本 333ページ [Kindle版]
Total No.3242★★★★☆
残念ながら、この本読めなかった。それなりに努力はしたのだが、ダメだった。面白そうなのだが、読めない。なぜなのか、考えてみる。
「新潮」の連載を続けた三年の間に、連載をきっかけとして、「ウェブ×ソーシャル×アメリカ」(講談社)と「デザインするテクノロジー」(青土社)の二冊を上梓することができた。内容としては、前者は本書の第1部と第2部、後者は第3部と第4部と関わるところが多い。p331「あとがき」
この三冊は、著者の近著として、ひとまとまりのものとしてとらえて、できれば精読してもいいかな、と思っていたのだが、現在は、もう再読の気力がない。
「ウェブ進化論」をアメリカ賛美や技術決定論として退けるのは早計だ。むしろ「進化論」がウェブが実際に社会に定着した2010年代だからこそ、丁重に再読されるべきであろう。p31「コードが支える大陸の夢」
たしかに梅田望夫の「ウェブ進化論」(2006/02 筑摩書房)の精読から当ブログは始まったのだった。ブログ・サービスの活用というエリアのなかでの「ウェブ進化論」は確かに有益だった。面白いけど、なんだか不足しているぞ、何が不足しているのだろう。そこのところから、当ブログはスタートした。
そして、言ってみるところのコンテナ、コンテンツの次に来るもの、コンシャスネスについてはどうなっているのだ、というところが、当ブログの探究の最大のテーマになってきた。あの本ではやはり不足していると思っているところに、梅田と平野啓一郎との対談による「ウェブ人間論」(2006/12新潮社)がでたのであった。
結論としては、二冊目も食いたらないものではあったが、そもそもやはり「ウェブ進化論」ではなにかが不足しているという直感から、直後に取り急ぎ対談という形で「人間論」が追加補足されたのだった。やはり、濃厚な「人間論」が必要なのである。
この池田純一の三部作に対しても、当ブログとしては、一貫して「人間論」を求めたい。アメリカ、ソーシャル、ウェブという三本柱、あるいはテクノロジーとデザイン、という切り口。それぞれが鮮やかであるがゆえに、結果的に、何がこのシリーズに不足しているのかも、鮮やかに浮き上がってきてしまう。
2011年10月5日、スティーブ・ジョブズが他界した。享年56歳。
余りに早すぎる彼の死去はやはり重い。実際ジョブズ逝去の報道が流れたその日のうちに、IT業界はもとより、オバマ大統領を始めとし、各界要人から様々な追悼が表明された。p133「技術と人文の架橋」
この本は、著者がアメリカに渡ることによって書かれる文章が、日本で発行される雑誌に連載されて、それの再編集本となっている。そもそもの文章が書かれた日も明示してある。それは、3・11を挟んだ数年の日々なのであるが、この本には、おそらく3・11に関するj記述が一切ない。ここが私が一番、著者に距離を感じる重要ポイントである。
「新潮」の連載を続けた三年の間に、連載をきっかけとして、「ウェブ×ソーシャル×アメリカ」(講談社)と「デザインするテクノロジー」(青土社)の二冊を上梓することができた。p331「あとがき」
この三年間の間に、著者はアメリカを追い、ITを追い、歴史を追っかけた。9・11やジョブズの死や、過去の「ウェブ進化論」などを引用しながら、現在進行形の、3・11や原発処理問題には一切触れていない。ここが、当ブログとしては、この著者の「人間性」に疑問を持つ重要なポイントである。
いくら内容的に面白そうであっても、見かけだけであり、ハートがこもってなければ、伝わらない。情報は情報として浸透するだろうが、その情報に込められるべき、本当の、人間としての、真実、というものが、この本では、決定的に、不足している。
当ブログとしては、ITやタブレットなどの技術論や、ソーシャルや文明論などのコンテンツ解説まではなんとか受け入れることはできる。しかし、人間不在、ハート不在、魂不在の本は、受け入れることはできない。「ハート」について、悪く書いてあるわけじゃない。しかし、そこに言及しないのは、本の書き手としての「不作為」である。断じて見逃すわけにはいかない。
アメリカやIT、ソーシャルに目を向けるなら、なぜに、今現在試行中の、3・11の惨状や、一方の科学技術の破綻=原発事故に言及しないのか。そして、アメリカの9・11を追いかける程のエネルギーでもって、日本のリアルな今を見ないのか。そこがどうも許せなくなるのである。
「来たるべき地球人スピリット1」カテゴリは、この本を持って終了する。本来は、ここで終わる筈だったのだが、どうも不完全燃焼してしまったようだ。今回のテーマを持ち越し、次のカテゴリ名を「来たるべき地球人スピリット2」として続行することにする。
おそらく、この著者の三冊は再読しないだろう。再読しないが、再読しないことにした意味を、次のカテゴリでは問うてみたい。著者には、「ウェブ人間論」に位置する一冊がどうしても必要になるだろう。また、当ブログは、そこのところがないと、自らの存在意義を失ってしまう。
大地があり、巨木がある。大地は何処までも広く、巨木は限りなく太く、高くそびえたっている。しかし、大地の向こうに広がる地平線の彼方、高くそびえたっている巨木の、その遥か上に空はある。大地が博ければ広いほど、巨木が高ければ高いほど、それを包含する空間は、もっとはるかに広い。手が届かず、その果てさえ見定めることができない。
本著シリーズの三冊は、大地の広さ、巨木の大きさに目をやりながら、空の無限に気付いていない。その無限に比較すれば、大地も巨木も、実に、小さく、無に等しくなる、という逆説に気付いていないか、気付かないふりをして、ごまかそうとしている。
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