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2014/05/06

「100年後の人々へ」小出 裕章

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「100年後の人々へ」
小出 裕章 (著) 2014/02 集英社 新書 192ページ
Total No.3224

 この方の本はすでに15冊以上読んできた。専門家の本なのに難しい本は一冊もない。まったくのドシロートで門外漢の私などが読んでも、理解できない本は一冊もないのだ。もっと言えば、書いてある内容の趣旨は、ほとんどおんなじで、どの本を読んでも首尾一貫している。ある意味、水戸黄門をテレビで見ているような安心感がある。勧善懲悪。

 いつも分かり切っているようなストーリーで、金太郎飴のような本なら、すぐ飽きてしまうのだろうが、この方の本は飽きない。飽きないどころか、同じような本なのに、読むたびに、こちらの理解が深まる。なんていうのかな、原発の本なんだけれど、原発をキーワードとしながら、世界観がさらに拡大し、人間観がますます細やかになっていく。

 当然、一冊一冊が再刊でなくて、別な本として出版される限り、毎回、様々な要素は変わっていく。この本の企画も、3・11から3年(出版当時は2年10カ月)経過した段階の著者の述懐である。述懐とは言うものの、後述したものをライターと編集スタッフがまとめ上げたもののようだ。

 だから、この本のタイトルといい、腰巻の推薦コピーといい、ちょっと色もののニュアンスが漂う。おそらく編集スタッフからのリクエストだろうが、著者のプライベートや家族についての描写などが加えられていて、いままでにない情報も当然加えられている。

 私は死後の世界を信じません。
 この世に生きる人々は等しく、連綿と続く歴史の通時態と共時態の任意の地点に、ある日突然投げ出され、ある日突然消えていくのです。
 その意味で、一人ひとりの「人格」は、絶対的に平等であり、絶対的に孤独です。
p13「はじめに」

 死んだら全てが無になる。
 私は、明日にでも死んでしまうかもしれない。
 そんな実感を持って生きている私は、一方で、田中正三さんのような、宮沢賢治さんのような、あるいはガンジーさんのような、100年前の時空を生きた敬愛すべき人々の生きざまに、日々学びたいと思っています。
p14道同上

 私は原子力の場で生きてきた人間として、放射能が影響をもたらし得る10万年後という時間を、リアルな問題としてとらえようとしてきました。残念ながら、そのように考えてくれる人はほとんどいませんでした。原子力について考える時、本当はもっとこのことを深刻に考えなければいけなかったと思います。p87「人間の時間、放射能の時間」

 私にとって、人類が原子力を作り出してしまったことは、この100年間で最悪の出来事のひとつです。
 けれども、今、パレスチナで毎日のように殺されている子どもたちからみれば、原子力の問題などなんの関係もないわけです。
p96

 そもそも、科学とは、わからないものを知りたい、という、純粋な好奇心のあらわれです。その知りたいという想いは、人間がこの世に生まれてからずっとあったわけですし、今も、そして未来も抑えることのできないものだと思います。p102「科学は役に立たなくてもいい」

 科学者は、その良心に恥じないように研究をし、人々の幸せに寄与するように生きるべきだと私は思います。自分の名誉や収入のために生きる科学者などもってのほかですが、残念ながら、今の科学の世界ではそちらのほうが主流です。宮沢賢治という人がいてくれてよかったと、心から思います。p121同上

 私は、死んだらそれで終り、と考えている人間です。
 墓もいらないし、骨などはドブにでも捨ててくれと思っています。
 けれども、もし自分が生まれ変わることができるのなら、放射能のゴミのためにもう一度生きたいと思います。
p129同上

 私は徹底的な個人主義者です。
 これまでの人生を通じて完璧な無党派であり無宗教、要するに誰とも一緒にならないし、誰にも依拠しません。
 子どもたちにも、「お父さん」ではなく「あき」と名前で呼ばせてきました。親子といっても、一人ひとり別の人間、対等な人間だと思うからです。
p155「優しさは、沈黙の領域へのまなざしに宿る」

 今、この地球に70億人の人間が生きているわけですが、私のいる場所は、この一点であって、それは私にとってはかけがいのない私の場所なのです。そして、そのかけがいのない存在を生きなかったら損だと私は思います。p161同上

 何度も繰り返していますが、徹底的な個人主義者である私は、誰かと一緒に何かをやるとか、運動のリーダーになるということはできません。
 福島の原子力発電所事故が起きてから、もう抱えきれないほどの出来事が生じているわけですが、その一つひとつに対して私にできる発信をし、それをそれぞれの方が受け止めてくださればそれでいいと思います。
p167同上

 実は私は「ヒューマニズム」という言葉も「人権」という言葉も嫌いです。なにか人間だけが特別に尊い存在だというような意識がそこに見えるからです。すべての生きものの権利というものを認めるなら、「人権」という言葉はまず意味がないと私は思います。p172「優しさは、沈黙の領域へのまなざしに宿る」

 個人の死ではなく、本当の問題に向き合わなければならないということを彼(田中正造)は言いたかったのです。私は正造のこういうところにも心から共感します。
 正造さんがもしいなければ、私は絶望していたかもしれません。あの時代にあの人がいてくれたのだから、今僕らがいられないはずはない、とさえ思います。
p165同上

 未来に対しても、現在の時空に生きる子どもたちに対しても、人間たちに難も意見することのできないほかの生き物たちに対しても、自分がどう向き合えるか。
 「優しさ」は、沈黙の領域へのまなざしに宿るものなのです。
p177同上

 宮沢賢治さんは、科学者であり、詩人であり、童話作家でもあり、宗教家でもあった。ほかの誰でもない宮沢賢治その人として三七年の短い人生を駆け抜けた。彼は自らの思想を端的に記述した「農民芸術概論綱要」で以下のように書いた。

 世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない   
p182「おわりに」

 人はひとりでは生きられない。人は社会的存在であり、他者の存在がなければ、生きる意味を見つけることすら難しい。それでも、一人ひとりはかけがえのないその人であり、他者と手をつなぐ前に、個性を大切にする社会であって欲しい。p183同上

 本書のタイトルは”100年後の人々へ”だが、100年後の日本という国がどうなっているか、私にはわからない。でも、100年後の人々から、暗い時代に向かおうとしている今という時代をお前はどう生きたかときっと問われるだろう。そのとき、誰からも拘束されず自由に生きているひとりの人間として、私は私らしく生きたと答えられるようでありたいと願う。p185同上

 この本、上に抜粋した情感的表現の他に、科学者的なたくさんの数字が登場する。私なんぞは、何回もおなじようなことを読んでも全然頭に入らないのだが、これらの数字は、今、原発関係の人の著書における、当ブログとしての最も信頼のおける数字であると認識する。

 この方は、本当の意味での創造的科学を作ろうとされている方であり、芸術的センスを理解し、また表現でき、人間意識を深く広く探求されている方だと思う。当ブログの、地球人スピリットという表題に、もっともふさわしい生き方をされている同時代人のおひとりだと、心から感じ入ります。

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