「20世紀エディトリアル・オデッセイ」 時代を創った雑誌たち 赤田 祐一 +ばるぼら <2>
「20世紀エディトリアル・オデッセイ」 時代を創った雑誌たち<2>
赤田
祐一 (著), ばるぼら (著) 2014/04 誠文堂新光社 単行本 224ページ
★★★☆☆
この本、とても興味の湧く一冊ではあったが、結果としては、224ページのうちの、ほんの数ページ、10ページに満たない範囲について面白いなぁ、と思った程度で、他は割愛、ということになった。
昨日は、夜間の暗がりで撮った画像がぼけているので、もう少しクリアなものを再び貼り付けようかな、と思ったが、そのうち、昨日のページを修正する形で、もっとクリアな画像を貼り付ける予定。
とにかく狙いとしては、一世を風靡した編集者が、他のアーカイブズを見て、物足りない部分を補足して、一冊新しいアーカイブズをモノした、というストーリーである。
まず、トッパシは、「アース・ホールド・カタログ」(WEC)であり、カウンターカルチャーの紹介から始まる。そしてWECの「日本への影響」としてp022~023、末永蒼生「PEAK」「生きのびるためのコミューン」、山田塊也「アイ・アム・ヒッピー」 、「やさしいかくめい」、大友映男「生存への行進」 、「NO NUKE ONE LOVE」プラサード書店などが紹介されているわけだが、正確に言うなら、それはWECの日本への影響ではない。
率直に言えば、それはWECを存在させたカウンターカルチャーの、日本への影響と言ったほうが、より正しい。別に日本のカウンターカルチャーの印刷物がWECばかり見ていたわけではない。
そしてもっというなら、これはアメリカの日本への影響と見てはいけない。別に日本はアメリカの支店でもブランチでもないのである。むしろ、これは、日本独自の現れ、と見たほうが正しい。世界は同時進行していたのである。日本からアメリカへの影響もあったわけだし、相互交流のなかで、それぞれの地域性のあるカウンターカルチャーが湧いてきた、と見るべきだ。
もっとも、ここで編集者が類推しているように、今上武蘭人(いまじょう・ぶらんど)p23のように、WECの編集者スチュアート・ブランドの名前にあやかってペンネームを付けた人もいたかもしれない。しかしそれはごくごく小数であろうと、思う。
あるいは、WECの影響として日本のカウンターカルチャーがあるだけだったなら、私にはそんなもの必要ない。あの当時は、主流はDIYだ。とにかく、モノマネではなく、自分の手で何事かをつくるのが本筋なのである。WECの「日本への影響」などと括られてしまったら、まず、ここに紹介されている人々は、そう簡単に納得はしないだろう。
p60には松岡正剛率いる工作舎の「遊」が紹介されているが、訳あって、私はこの雑誌をあまり評価しない。肌合いの問題である。ここで知ったことは、「遊」も決して冊数を重ねたわけではなく、バックナンバーを揃えれば揃えることができるほどの冊数しかでていなかったようだが、まぁ、私は集めないだろう。この点については、いつか書く。
「伝説の雑誌『ワンダーランド』と『宝島』」(p121)も、まぁ分からないでもないが、ちょっと過大評価しすぎである。私もリアルタイムで影響を受けているわけだけれど、もし後ほど言われるほどにその純度が高いとすれば、私は、インドにも行かなかっただろうし、「雑誌」を捨てたりはしなかった。
少なくとも片岡義男をイデオローグとして据えることで作った、シティーボーイ路線、「都市生活者の若者文化」というキャッチフレーズには、強烈に反感を覚えた。そちらがシティボーイなら、こちらはカントリーボーイ路線で行ってやろう、と、マグマのようなカウンター感覚をもったことも事実である。
「別冊宝島」の創刊号には、私たちの作った雑誌が収録されていたから、まぁ、あまり露骨に批判はできないが、それでもやっぱり、あまり持ちあげすぎもこまるぜよ。
巻末の「雑誌曼荼羅1901→2000」(p199)の415冊の中の一冊として、「時空間」を取り上げてくれたのは、有難い。そうであるべきである。おそらく、もっとセレクトしても、200冊とか、ベスト100とかに絞っても、ぜひ残していただきたい一冊である(とお願いしておこうw)
私は、このところ「編集者」という言葉にプロボークされている。ジャーナリズムにはまったく期待していないのだが、「編集者」という言葉には未練があるし、可能性が残されていないわけではない、と感じる。
スティーブ・ジョブズの才能は沢山あったけど、一言で言えば、彼は「編集者」であったかもしれない。彼の先見性と、切り落としの見事さ。その妙技が見どころである。
コンピュータを、個人で使うようにするための切り落とし。iMacを作ってアップルを復活させるために、フロッピーディスクを切り落とした見事さ。
iPadを完成させるために物理キーボードを切り落とした、最終的編集。見事である。切り落とすことによって、他の部分が深まり、進化している。私はマック派でもなければ、ジョブズファンでもなかったが、やはり、見事であったと思う。
最近のアーカイブズ云々には、なるほど、「過去を懐かしむ」温故の姿勢があるのはわかるが、未来を見通す「知新」も絶対必要だ。アーカイブズを作るには、その姿勢が問われる。
私は、未来のための新しい「アーカイブズ」を作るためなら、「ホール・アース・カタログ」やスチュアート・ブランドを「切り落とす」位の英断があってしかるべきだと思う。
A 「ホールアース」の「アース」には「地球」という意味と同時にきっと「地面」という一面も含まれていたと思いませんか。地に足をつけて、放射能まみれの地球を、緑なす惑星に変えて、ともに生き延びましょうという「大地の思想」が、エネルギー問題や廃棄物処理の問題についても、「WEC」は40年以上も前から、ただ警鐘を鳴らすだけはなく、具体的に参考書や道具をとりあげて提案している。p013赤間祐一「対談Whole Earth Catarogとは何だったのか」
ここは、持ち上げすぎばかりでなく、さらに、大きな誤解を生むような表現になっているだろう。スチュアート・ブランドの近著「地球の論点」(2011/06 英治出版)を読みなおせば、こんな提灯発言を繰り返すことができないことはすぐわかる。あるいは、読んでいてなおこのような「誤読」を貫き通すなら、そもそも精神のどっかに異常がある。
「インターネットにたりないのはj『編集』という武器だ」本誌腰巻の宣伝コピー
とするなら、私はあえて、私の編集力で、WECをカットし、切り落とす。
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