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2014/06/13

「みんな八百屋になーれ」  就職しないで生きるには 3 長本光男<1>

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「みんな八百屋になーれ」 就職しないで生きるには 3<1>
長本 光男   (著) 1982/07 晶文社 単行本 205ページ
Total No.3267★★★★★

 すでに30年前、ひと世代前にでた80年代の本である。描かれているのは70年代的カウンターカルチャーの風景。しかしながら、今回この本を手に取ったのは、むしろそれよりはるか前の60年代カウンターカルチャーの臭いをかぎ取ろうとしたからだった。  

「電脳・風月堂」の中の、「Large Beer」「Can Beer」という参考資料リストの中から何冊か抜き出して「電脳・風月堂 関連リスト」を作っておいた。「★印はとりわけ『風月堂』への言及」がある、と説明してあるので、そのつもりで読んだのだが、やっぱりなかった。私のようなパラパラ読みには見えなかったのか。

 もっとも、1940年生まれの著者ナモと、1938年生まれの山尾三省が1975年に国分寺のロック喫茶「ほら貝」で飲みながら決ったのが八百屋の仕事の話だった。この二人の出会いは、おそらく「ほら貝」よりもさらに前、60年代の新宿風月堂あたりにあっただろう、ということは推測できる。しかし、私はそのあたりに言及している部分は確認できなかった。

 この本はやはり70年代的東京西荻ほびっと村・文化の発祥のポイントとしての一冊として読まれるべき本であろう。 山尾三省も「聖老人」百姓・詩人・信仰者として(1981/11プラサード書店/めるくまーる社)の中で、この八百屋の立ち上げのエピソードに触れている。

 この学校(「ほびっと村学校」)を責任もって運営してくれたのが、キコリこと槇田但人(まきたただと)であった。キコリは、ほびっと村に集まる他の仲間たちと共に、「やさしい革命」(ママ)(草思社刊)という本をつくるのにも力をそそいでいた。

 ほびっと村が開かれてから一年後、1977年10月10日のことだ。ビルの三階、階段をのぼってすぐの場所に、小さな本屋「プラサード書店」が誕生した。開店の日、店主として坐っていたのは、長い髪を後ろで束ね、ヒゲを伸ばした細身の男だ。いうまでもなく、キコリである。p107「まがったキュウリがやってきた」

 この本、平野甲賀のブックデザイン表紙も愉快だし、当時の晶文社らしい、いかにも読みやすい雰囲気なのだが、どうしてどうして、読みだしてみれば、深く、また、たっぷり時間もかかる。

 私は、若い時から常々思ってきたのだが、一般的に、自分たちの「文化」を伝える対象として、いろいろ向き不向きがあると、いうことだ。例えば、「子供」(あるいは青年)はわりと早く友達になれる。自分が子供だから、すぐ親和性を、持つことができるのだろう。「女性」もまた、わりと話しすることができる。もっとも、女性を敵にまわしたのでは、世界人類が半分敵ということになってしまう。

 そういうジャンルでいうと、高齢者、いわゆる「老人」とも割と話するのは面倒ではない。ちょっと抹香臭い仏教の話題など、ひとつふたつすると、もうそれで、なんとかお友達になれるのである。ところが、一番やっかいなのは「中年男性」なのではないか、と思ってきた。

 この文脈においての「中年男性」とはなにか。短絡的に言えば、ビジネスであり、経済である。物事にどれだけ現実性があるのか、経済的に成立しうるものか、実際的な社会性のあるものなのか、ということのシンボルとなろう。

 長本兄弟商会も、スタート地点では、「子供」(あるいは青年)や「女性」や「老人」には、たぶん受ける話であっただろう。しかし「中年男性」には、なかなか分かってもらえない、説得力のない話であっただろう。

 ところが、西荻に4階のビルを持っている市川さんというオーナーがでてきて、八百屋やほびっと村というスペースの可能性がでてきた。この地点における市川さんとは、おそらく、上の範疇でいえば実年齢はともかく「中年男性」ではなくて、精神としては良い意味での「老人」だったのではないだろうか。

 市川さんは西荻の古くからの住民で、このあたり一帯に土地をたくさん持っている地主の一人であるという、駅周辺にも貸しビルを何軒か持っている。どこか自由な市民という気風を感じさせる市川さんは、だんだん中流階級の住宅街として妙に落ち着き払った街になってゆく西荻に危機感をいだいているらしかった。

 そこに若者たちが集まる場所ができれば、街も活気づくだろうし、自分としてもビルを貸す意味がある、という話だった。市川さんの、自分の生まれ育った街を愛する気持ちがよく伝わってきた。私たちは市川さんの好意に素直にあまえることにした。p104 同上

 この気持ちがあり、あの心があった。魚心に水心、というあたりだろうか。

 私は一度もまともな仕事をしたことがなかった。
 まともな仕事というのは、背広を着てネクタイをしめて、会社に出かけてゆくことだ、と思いこんでいた。それは、少々私の心がねじくれていたせいであるようだ。
p63「開業日なのに野菜がない」

 昭和15年、私は九州・熊本の小さな漁村に生まれた。戦中戦後の食糧難の時代に幼少期をすごした。父は漁師で、耕す畑もなく、農産物はほとんど手にはいらず、母は毎日の食事に苦労していた。p31「ダイコンの葉っぱはいかが」

 1940年生まれのナモ、八百屋を始めたのは35歳の時だった。そしてこの本が描かれたのが1982年、42歳の時である。私には、この著者が、もっとも「中年男性」から離れたライフスタイルをとりながら、結局、自分も「中年男性」になっていくストーリーと読める。

 オフィス・コンピュータを導入しようという話は、日常の仕事をどうしてゆくかという、ごく身ぢかなレヴェルから出てきた。そこに何も飛躍はない。ソロバンよりは電卓が便利だし、電卓よりコンピュータが便利だ。
 しかし、ほんとうにそうか。私は、コンピュータを導入しようという仲間の提案に、どこかひっかかるものを感じていた。
p192「一緒にやっぺよ」

 この1982年の段階では、一般的な多少のお店や卸業なら、やはりまだオフィスコンピュータは早かったかもしれない。しかし、むしろここで、積極的にコンピュータや未来社会に夢をもっていたら、アメリカのWECスチュアート・ブランドなどの世代と同調した形で、日本のカウンターカルチャーの電脳化へはずみをつけただろう。

 山尾三省は、早々と八百屋を卒業し、上の範疇で言えば、「子供」(あるいは青年)から「老人」へとひとっ飛びに屋久島へと「隠居」してしまった。上の範疇で言うところの「中年男性」をぬかしてしまったのだ。三省には、ここにスキがある。晩年のアニミズム三部作 を残していったわけだが、彼の世界は、「子供」(あるいは青年)や「女性」や「老人」には人気がでるだろうが、「中年男性」には受けまい。

 八百屋の仕事にしても、肩にばかり力が入り、ただひたすら働くのみになってしまう。
 子どもたちのことも、女房のことも、仕事のことも、すべて同じだ。多くの人に出会い、さまざまな場に行きあう日々のなかで、漂うのではなく、私自身の思いを集中させていきたい。そうでなければ、ひとり者の気軽さや自由さに、あいも変わらず惑わされるのではないだろうか。
p203 同上

 こうしてナモは「中年男性」なっていった。そして「老人」へと、さらに旅をつづけた、のだろう。

<2>へつづく

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コメント

川内たみ様
書き込み、痛み入ります。大変ありがたく拝読いたしました。一読者の気ままな、個人読書ブログなので、多多、表現に至らないことが多く、ご叱正いただければ幸いです。

現在は、全くの手探り状態で、60年代的カウンターカルチャーを、電脳・風月堂のリストをお借りして、読書を始めたところです。パラパラ読みで、なかなか熟読しておりませんが、一体、これらの資料を現代において、どれだけ存在を確認できるのだろう、という関心もあります。

セツモードセミナーのことについては、現在のところ、またく意味が解っていませんが、幸い、一冊関連本が届いているので、順次、それらを拝読させていただきます。

表紙の作者は柳生弦一郎さんであること、教えていただきありがとうございました。

投稿: 阿部 bhavesh 清孝 | 2014/06/14 21:09

「みんな八百屋になーれ」の表紙の絵は柳生弦一郎さんです。(偶然ですが、彼とはセツモードセミナーで同期でした。)
ほかにも、ちょっと違う、と思う記述がありましたが、まぁ、特別にいう気もなかったのですが、昨日Facebookをみたら、市川さんがあのビルを貸してくれることになった経緯など、キコリが詳しく書いてくれていました。
FBにキコリの発信するあの時代に関する情報量はすごいです。昔から親しくしているのに、改めて、こんな人だったのか、と驚いています。
市川さんは中年男性だったのか?年齢は三省や私たちと大して違わなかったし、そういう認識はなかったです。
この本を読み返すと、あの時代ならではの、無謀さにあきれるというか、感心してしまいます。
https://www.facebook.com/bhavesh.prem.1?fref=nf

投稿: 川内たみ | 2014/06/14 20:53

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