« 「幻覚の共和国」 金坂健二 | トップページ | 「風景の思索」-都市への架橋 栗田 勇(「戦後史の出発点―わが青春の風月堂」) »

2014/06/22

「幻覚芸術」 LSD、サイケデリック、ラブ・イン 蟻 二郎

38869007
「幻覚芸術」 LSD、サイケデリック、ラブ・イン
蟻 二郎(著) 1970/04 晶文社 単行本(ハードカバー) 211ページ
Total No.3281★★★★★

 60年代風月堂の香りを辿って、電脳・風月堂参考資料リストの中に、風月堂に言及しているとされる本から、これまで当ブログが読んだこのリストを作ってきた。

 取り締まりがきびしくなると、販売方法も角砂糖から封筒のフラップへ、封筒のフラップから吸取紙へと巧妙に姿を変えていった。本物が禁止されると、しぜん代用品が求められるようになる。バナナの皮の内側の細い繊維を剥ぎ、それを高温で乾燥したものを吸うとLSDとおなじような刺激が得られ、酔うことができる。

 その頃、薬がきれかかっていた、若者たちが飢えた蝗(いなご)の群れとなってスーパー・マーケットへ押し寄せ、バナナをむさぼり買っていったことが新聞に報じられている。後で調べてみると、実は、売れ残りのバナナをかかえて弱っていた業者たちが仕組んだ罠だとわかった、のもその頃のことである。

 バナナ常吸者、という言葉はこんなふうにしてできた。東京、新宿の風月堂などでも、その頃バナナの繊維を乾燥することがまことしやかにささやかれ、画風を一変したいと望む前衛画家の卵や写真家たちが乾燥バナナの皮をおそるおそる試食していた。

 バナナの乾燥皮を喫っていた者はまだしも被害を蒙らずにすんだが、自家用LSDを服用した者たちのなかには、突如原因不明な下半身の麻痺に見舞われ、そのまま起つことができず、廃人化した者がかなりいる。p50「バナナの繊維を高温乾燥すれば薬刺激はえらえるか」

 私もこれをやったことがある。たしか中学生か高校生の頃、「平凡パンチ」か「週刊プレイボーイ」に載っていた。あるいはペーパーバック版の「ポケットパンチOH!」だったかも知れない。やる前はワクワクした。家に誰もいない時を見計らって、ひとり台所に立った。バナナの裏筋を何本も取り、アルミフォイールに包んで、ガス台であぶった。

 たしかに、かすかな匂いはしたように思うが、それがまったくのインチキだったことは、ほんの数分後にわかり、ひとり大笑いした。そんなアホな記事に引っかかった自分が可笑しかったが、このニュースは全国的というか世界的だったことを、この本で初めて知った。引っかかったのは私だけじゃなかったのだ(爆笑)。

 日本でも一年ほど前、東京の新宿、紀伊国屋書店の昇降口や喫茶店風月堂の前などで、フーテン袋をかついだ若者たちが、ザ・トライブ(部族)というタブロイド版の新聞を売り出して、週刊誌にささやかな話題を提供したことがある。

 「エメラルドの微風プレス」発行(ママ)というその発行所名がすでにインディアン風の命名法を想起させる。緑と赤でインドともチベットとも出所不明な偶像を表紙に配色し、ヒンズー思想研究の手引きとしてスワミ・ニルヴェーダナンダ(ママ)の「不滅の言葉」を掲げ、長野県諏訪之瀬(ママ)に在るかれらの労働共同体の風俗思想が紹介されていた。

 同誌のカメラマンの語るところでは、諏訪之瀬のほか、富士見など、日本全国にいくつかの自給自足的な部族、コンミューンが散在しているとのことであった。誌面には、土中へ全身を埋めこみ、首から上だけ露出し、ひっそりと閉眼している原始人めいた風貌の男の写真と、ベトナム反戦のプラカード写真が同居している。

 かみなり赤鴉族、エメラルド色の風族(ママ)、ガジュマルの夢族などいった珍奇な命名は単に気まぐれの戯れであるようでもあり、或はその他方に土俗する民話のいわれを含意豊かに踏まえたもののようにも思われる。p105「サイケデリック革命」

B2

B1山田塊也「アイアムヒッピー」 日本のヒッピー・ムーブメント’60-’90 2013増補改訂版(2013/10 発行=森と出版)の付録より

 この本はなかなかに面白い。発行された1970年4月、というタイミングも微妙であり、書かれている内容もなかなかである。ただし、上に抜き書きした部分でも明らかなように、全てが正確に描写されているわけではない。検証しうる眼をもつなら、この本からは、あの時代の可能性と、未来への橋渡しの役割をはたそうとする熱意が感じることができる。

 意識の拡大や、インスタント禅、共同体、想像力、その他、世界的文学的系譜への言及も多く、なかなか読ませる。

 私自身についていえば、小学生時代からジャーナリスト志望だったし、それなりの好奇心はあった。時代の話題になっていることについては、一通り見聞し体験しておくべきだろうという野心は常にあった。雑誌づくりというネットワークと、共同体という場に関わっていた手前、引っかかり、持ち込まれた体験については、人並みにあった、というべきだ。

 しかし、ことこの本のテーマにおいては、後年、同時代にOshoがこのことについて、小さなブックレットを残しておいたことを知った。私は、ひとりのサニヤシンとして、Oshoの言に信頼を置くものである。

   LSD : A Shortcut to False Samadhi 
             Osho February 1971

Imgcdadb1a7zik9zj

 なお、蟻二郎というのは、1967年に出版社・太陽社を興した1928年生まれの三宅二郎のペンネームのようだ。

|

« 「幻覚の共和国」 金坂健二 | トップページ | 「風景の思索」-都市への架橋 栗田 勇(「戦後史の出発点―わが青春の風月堂」) »

22)コンシャス・マルチチュード」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「幻覚芸術」 LSD、サイケデリック、ラブ・イン 蟻 二郎:

« 「幻覚の共和国」 金坂健二 | トップページ | 「風景の思索」-都市への架橋 栗田 勇(「戦後史の出発点―わが青春の風月堂」) »