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2014/06/09

「Get back、SUB!」 あるリトル・マガジンの魂 北沢 夏音<1>

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「Get back、SUB!」 あるリトル・マガジンの魂 <1>
北沢 夏音 (著) 2011/10 本の雑誌社 単行本(ソフトカバー): 539ページ
Total No.3262★★★★★

 「サブ(SUB)」なんて雑誌、誰も知らないだろうな。知っていても今さら話題にする人もいないだろう、そう思ってた。最近、天井階を片づけていて「SUB」4号がでてきた。この雑誌は1970年直後の書店で異彩を放っていた一冊。他の号も何冊か持っていたはずだが、今回でてきたのは、まずはこの号だった。
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 ところが、最近SNS繋がりの友人の書き込みに、なんとこの「サブ」が登場した。しかも、私は見たことなかった「SUB」の創刊号だ。「ヒッピー・ラディカル・エレガンス」(1970年冬号)。

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 しかも、同時に「ぶっく・れびゅー」が、その前身だった、ということを初めて知った。たしか、この両誌について、かつて、当時の私たちのミニコミ「時空間」の「まがじん雑学」に取り上げていたはずだ。そのうち確認してみよう。

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 ここまでの自分のイメージは次のようなものだった。

 この本はかなりハイカラだった。書店でも異彩を放っていた。ただ、小島素治という人の個人ワークの臭いが強く、内容は全部一流どころばかりだが、個人がこれほどの原稿や写真を集められるわけがなく、全部、どっかからの転載ではなかったろうか。
 個人編集者の、プレゼンテーション用に編集した、デモ雑誌、というニュアンスで私なんぞは捉えていた。

 内容は、とてもハイカラ。だけど、いかにも神戸っぽくて、どこか魂、ど根性が入ってないんじゃないか、っていうニュアンスは今も残る。(友人の記事に書いた私の書き込み。あとで訂正を要するだろう。汗)2014/06/07

 と、ここまでは漠然としたものだったが、敢えてググってみてびっくりした。実は、この雑誌はかなり多くの人のハートをヒットした有名な雑誌だったのだ。しかも、最近になって、この雑誌を振り返るレポートが一冊ものされているのだった。ああ、びっくり。それがこの北沢夏音という人の「Get back,SUB!」 。ああ、タイトルも、なんともそれらしい。

 この人がたまたま古書店でこれらの「SUB」を見つけて、編集長だった小島素治を探しにいく、というストーリーである。しかも、その時、なんと小島本人は拘置所に留置中ということである。ああ、びっくりびっくり。なんの罪を犯したのやら。

 そして、病院で治療中の小島元編集長を尋ねてインタビューにこぎつけ、連続して何回か取材を続けようとしたところ、一ヶ月後に亡くなってしまう、というミステリー仕立ての一冊である。わぁ、女だてらに凄い、と思ったのだが、どうやらこの人は北沢夏音と書いて、「なつね」と読むのではなく、「なつお」と読んで、1962年生まれの男性ライターのようだった。ああ、勘違い。

 この本、あちこちの紹介記事を読むと、決して名物編集者の成功譚ではない。むしろ、その逆で、なにやら、不渡りを食らって会社を倒産させ、晩年は、酒と競馬で身を崩した独身男の悲哀ストーリー、ということになるらしい。あらら~~。

 539ページと大冊だが、なかなか飽きないので、どんどん進む。今のところ3分の1ほどに差し掛かってきた。読み終わったら、全体をまとめてメモしておくとして、途中で、なぜか気になる文章がでてきたので、ここに抜き書きしておく。本間健彦「新宿プレイマップ」の元編集長の言とされている。

 「(前略)特に影響を受けたミニコミに、吉祥寺の「名前のない新聞」というのがあったんです。アパッチという青年が作っていた週刊のフリープレスで、本当のタウン誌は、こういうものなんじゃないかな、と思わせるものでした。 

 街のなかでどのように生きるべきか、というテーマと毎号取り組んでいた。お店の紹介、井の頭公園のフリーマーケット情報、そういう情報誌的な面もあるんだけれど、それが若い人の言葉と感覚で綴られている。自分たちの身近なものを紹介していくそういうスタイルは、後に多くでてくるけれど、元祖なんじゃないかな。 

 ミニコミと言ってもただの周辺雑記みたいなものとか、変なのもたくさんありましたよ。「名前のない新聞」はすごかったな。新宿の後は、下北沢や吉祥寺に若い人のムーヴメントが流れて行くけれど、それの旗頭であったのじゃないかな」 

 72年、ガリ版印刷で創刊された「名前のない新聞」は、途中から手書きオフセットに変わって通算101号まで発行した後、77年に活動休止。78年、「ホール・アース・カタログ」の流れを汲む新しい世代の百科全書「やさしいかくめい」をアリシア・ベイ=ローレル「地球の上で生きる」の版元・草思社からシリーズで刊行。

 88年には脱原発運動の興隆を機に復刊し、環境・共生・平和・仕事など身近な問題から社会問題まだ扱う「マスコミには載りにくい情報を掲載するオルタナティヴな新聞」として、現在も隔月で発行、しかもペーパーとウェブサイトの両方から発信、ウェブでは「ビー・ヒア・ナウ」の著者ラム・ダスや、13の月暦の提唱者アグエイアス夫妻のインタヴューも読める。この持続性は希有な例ではないか。p84「街から」

 とにかく、日本のカウンターカルチャー史となれば、かならず「名前のない新聞」がでてくるのは、当然のことだろう。だが、あぱっちを語る時、72年にでていた季刊誌「DEAD」(1972~73)を語る記事は少ない。本当の意味でリアルタイムで知る人は少数なのだろう。

 いずれにせよ、この本は「SUB」を語るのがメインの一冊だった。残る3分の2、どんなことが飛び出してくるやら、楽しみではある。

<2>につづく

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コメント

veeraさん
この記事はもうすこし続きます。

投稿: bhavesh | 2014/06/10 18:12

貴重な資料を豊富に見せていただき、ありがとうございます。非常に貴重だと思います。

投稿: veera | 2014/06/10 00:22

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