「乞食学入門(ビートロジー) 」 北田 玲一郎
「乞食学入門(ビートロジー) 」
北田 玲一郎 1968 ノーベル書房 単行本 313ページ
Total No.3278★★★★☆
昨年(注1967年)の夏、東京・新宿をはじめ、横浜・京都・神戸などに「ふーてん族」なる奇妙な若者たちが登場し、一般社会風俗化して問題をまき起こしたが、その発生源が、この北田玲一郎の「乞食学入門」である。
「乞食学入門」は、「総合芸術」22号(40年<注1965年>9月発行)から連載されたが、この連載によって、もともと前衛的な若い世代を読者層にしていた「総合芸術」の部数が急激にふえはじめ、特に東京・新宿界隈の若いボヘミアンたちに圧倒的な人気を博した。
「ふーてん族」発生地といわれる喫茶店「風月堂」などでは、当時各ボックスの上に必ず「総合芸術」があった、といわれるほどであった。p11 篠原央憲「序文」
現在、当ブログは、電脳・風月堂の参考資料リストをナビとして、60年代の新宿風月堂の追っかけをしている。それは、60年代から70年代、そして経過を経て現在へのプロセスを明確にしておこうという試みの中の、ひとつのプロジェクトなのである。
今まで追っかけてきた新宿風月堂の参考資料文献は必ずしも風月堂ばかりを記述しているわけではなく、ある括りの中の項目として挙げられているにすぎない。この本においても、必ずしも風月堂ばかりを描いているわけではないが、その本質的な意味において、これは他の資料とは一線を画す記念碑的な作品である。
北田玲一郎のばあい、あくまで理論的創造によって、乞食(ビート)のモデルづくりをしたのであり、それを社会風俗化させたのである。アサヒグラフ(42年<注1967年>」8月4日号)は、日本乞食(ビート)の特集を組み、(これが爆発的流行の事実上の契機となった)北田の「乞食学入門(ビートロジー)」を乞食(ビート)の「教典」として紹介したが、「乞食学入門(ビートロジー)」は、まさしく「教典」そのものであったのだ。p13 篠原 同上
アサヒグラフは現在、図書館ネットワークでもなかなか見ることはできないだろう。しかしそれに先立つことのこの「乞食学入門(ビートトロジー)」のほうが、より本質的に60年代中盤の先鋭的な部分を表していることになる。
「乞食学入門(ビートロジー)」は、しかし、単なる理論書ではないのである。これは、むしろ、一人の主人公をもった、特異な現代小説ともいえるのだ。p14 篠原 同上
この依って立つ所以は明確ではないが、すくなくとも、この文章をノンフィクションとして読むのではなく、「現代小説」として読むべきであろう。この小説には江良ビートという主人公が登場する。その振る舞いや言説から、だれか実在の人物を想定してみたが、やはりこれは全面的に架空ではないにせよ、作家・北田玲一郎が造り出した小説上の人物と見たほうがいいだろう。北田本人についても調べてもいないが、その文学的素養、哲学的知識にあふれつつ、のちに「司法書士」に関わる小説を何冊もモノしているので、そのような仕事についた人なのであろうが、決して、作家本人が「乞食(ビート)」ではないようだ。
ーーーかれらからのもらいものがビートの生活の重要資源なんです。東京なんかじゃ、ビールのんでスィングしたいなとおもったら、新宿の風月堂へいく。江良チャンがきた・・・って、天使もよってくるし、ファンやエピゴーネンがジャンジャン飲ませてくれるしさ。やっぱり東京なんか一番ムードあるな。p109「乞食学入門(ビートロジー) 日本ビート大会始末記」
私なんぞは今まで漠然と誤解していたわけだが、空間軸としての新宿風月堂は確として存在しており、それはクラシックなどを聞かせる戦後以来の音楽ファンに支えられた、中二階席などをもつ、サロン風の新宿の東口にあるコーヒーショップにすぎないのだ。その風景は、西江 雅之 「異郷の景色」(1979/01 晶文社)や、森瑶子「プライベート・タイム」 (1986/09 角川文庫)などに描かれたように、かならずしもいわゆる「乞食学入門(ビートロジー)」一色に染められた巣窟のように思ってはならないのだ。
新宿乞食(ビート)の溜り場、東京の「風月堂」でもそうだが、どうしてマリワナとビートと天使の集まるところ、のっぺらぼうのアブストラクトの看板みたいなのがぶらさがっているのか? そういえば、ビートはたしかに抽象主義的であり、生き方もノン・フィギュラチーフであるといえる。瞑想、神、宇宙の神秘、詩的幻想、白夜の哲学・・・。抽象の化物だ。p209「ビート・ヒップ未来学」
この本の表題は、中にある一説のタイトルであり、必ずしもこの本全体のタイトルではない。表題となっている部分は、作者が江良ビートと称する、いわゆるひとりの日本ビートに惹かれて、いろいろと追従し画策するのだが、二つの存在は、結局一つになることはない。
小説には、ギンズバーグやスナイダー、ケルアックなど、実在の人々の実名が多くでてくるので、主人公たる江良ビートのモデルはだれだろう、と思うのだが、やっぱり全くの空想ではないにせよ、架空の人物だろう。トカラ列島とか長野のコミューンなど、あきらかに「部族」の当時進行形だった実在の動きをカバーしているので、まったく架空とは言えないが、事実として捉えることはできない。
ところで、この江良ビートという呼称はどこから来たのだろう。実在したのであれば、それはそれでいいのだが、どうやら、これは言葉として「選び人」がかかっているような気もする。選民思想がすこし見えてくる。あるいは、ビート、という感触から、私なんぞはどこか、コメディアンのビートたけし、を連想するところがある。
ビートたけしの若いころ、あるいは、彼が全然社会に認められることなく乞食道を邁進したら、この登場する主人公のような掛け合い漫才のような口調になるかもな、と思った。でも、私がもっている「部族」的なものは、この江良ビートそのものではない。
作者、北田は1931年生まれ、どのような人生を送ったのかは今の私には定かではないが、少なくとも1960年前後の、いわゆる60年安保を体験していたとしても、すでに29歳。学生というにはちょっと老けすぎている。1965年からこの小説を書いたとしても34歳、この本が出版された68年には37歳となっている。微妙な世代である。
本書で、私はとくに、これら革命的な青年群像のなかで、ひときわ異端である日本乞食(風俗的には、ヒッピー、フーテン、天使)について考察をくわえてきた。しかし、私の本来の興味は、いうまでもなく、旧世代の形而上学、イデオロギーをもってしてはどうにも間に合わない新鮮な知識階級の行動的な登場についてかたりつづけることにこそあるのだ。世界の未来史は、かれらによって、ある日、突然にかきかえられることは確定的であるからにほかならない。p313 北田「あとがき」
当ブログは、現在、新宿風月堂を通じて、結局は「部族」を追いかけることになってしまっている。私に関して言えば、当時の自分の理解の「ブゾク」の範囲に留まるのだが、1975年の段階で、私は「ブゾク」的なものに対しては「否」を言わざるを得なかった。そして、結果的に新たなる「是」を見つけ出さざるを得なくなったのであり、それまでの自らを「終」にせざるをえなかった。今、こうして振り返ってみるに当たって、1975年の私の選択に狂いはなかったと思う。すくなくとも私個人にとっては。
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