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2014/06/16

「本とコンピューター」 津野 海太郎

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「本とコンピューター」
津野 海太郎   (著) 1993/08 晶文社 単行本 280ページ
Total No.3272★★★★☆

 先日「みんな八百屋になーれ」(長本 光男1982/07晶文社)についての記事を書いたところ、槇田 きこり 但人 がコメントをつけてくれた。

 この本の晶文社の編集者の上司は、津野海太郎さんで、後の「本とコンピューター」誌の編集長をした人だった。(中略)

 もちろん、津野さんは『ワンダーランド』誌を晶文社の編集者として仕掛けた人だ。

 津野さんはまた、70年前後のアングラシアターの《黒テント  自由劇場》のプロデューサーだったか中心人物でもあった。2014/06/14 槇田 きこり 但人

 「本とコンピュータ」という雑誌も、津野海太郎という名前も、このところ良く出てくる名前である。さっそく図書館を検索してみると、この方の本は何冊もでているようだ。まずは気になるところ三冊を借りだしてみた。「本とコンピュータ」(1993晶文社)、「電子本をバカにするなかれ」書物史の第三の革命(2010/11国書刊行会)、「図書館の電子化と無料原則」(2011/10 共同保存図書館・多摩)。

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 この三冊の中では、もっと古い時代に書かれた「本とコンピューター」ではあるが、1993年という、インターネット爆発の以前に書かれた本としては、かなり先駆的な本である。なるほど、多くの編集者たちがこの本に触れる意味がわかるようである。

 そこに登場したのが、さきに紹介したアラン・ケイだ。もしも「スケッチボード」のような対話型コンピュータのソフトウェアを、高い解像度をもつディスプレイ画面にむすびつけることができたら、そのときこそ、軍隊や大学や企業の研究所っではたらく専門家ではなく、ただの個人として暮らしている人間が日常的につかいこなす道具としてのコンピュータが可能になるだろう。p127「魔法の紙」

 この文章が1993年当時のものであることに留意しなければならない。1993年の段階ですでに、このような「夢物語」が語られていたこと。このようなことが語られなかったら、今日のタブレット環境など生まれなかったのだ。

 あるいはまた、いま、私たちは日常的に使っているWIFIタブレット環境が、1993年では「夢物語」でしかなかったのだ、ということもまた強く記憶しておく必要があるだろう。

 私たちが1970年に「黒テント」による移動演劇をはじめたとき、その活動の一環としてディヴィッド・グッドマン、藤本和子夫妻が「コンサーンド・シアター・ジャパン」という英文雑誌をだすことになった。かれらの努力の甲斐あって、ほどなくB5判の堂々たる季刊雑誌が創刊された。

 以来三年、この雑誌によって別役実や秋元松代や唐十郎や佐藤信の戯曲、つげ義春や白土三平や赤瀬川原平のマンガ、末広保や森崎和江や鈴木忠志のエッセイなどが、はじめて英語で読めるようになったのである。

 この「コンサーンド・シアター・ジャパン」--略称CTJの版下をグッドマン夫妻は、当時、IBMから売り出されたばかりの電動タイプライターで作成していた。p133「マックはタイプライターにあらず」

 1970年、高校生だった私は、友人の石川裕人と連れだって「黒テント」公演をみたことは、別途書いた。この当時から、この津野海太郎という方にお世話になっていたのかと思うと感無量である。

 これと同じ方法でスチュアート・ブランドとかれの友人たちがつくった「全地球カタログ」が日本の洋書店にも平積みされ、アメリカ西海岸に生まれ育ったヒッピー文化の代表的産物として結構ないきおいで売れていた。実に悔しかった。

 ディヴィッドや和子さんが口笛を吹きながら手ぎわよく版下作業をこなしていく隣の部屋で、テント公演用の佐藤信や山元清多の台本を、一字一字、カリカリと鉄筆で蠟びき原紙に刻みつけながら、どうしておれはアメリカ人として生まれてこなかったのだろうと、たまたま非アルファベット圏に生まれあわせた身の不幸を本気で呪ったほどだ。p134 同上

 現在、電脳・風月堂参考リストを手掛かりに、60年代日本のカウンター・カルチャーを探索中だが、1970年前後の風景として、じつにこの日米の差は大きかった。

 1968年、「コンピュータは専門家の独占物ではない」と考えるようになったアラン・ケイは、紙や鉛筆の役目をはたし、あわせて電話回線をつうじてコンピュータ・ネットワークに接続できるノートブック大のパーソナル・コンピューター「ダイナブック」の構想にとりかかった。p181 「電子本作法」 

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               p182

 この上のイラストはすでに1968年に描かれたアラン・ケイのダイナブックだが、2014年の現在、下の我が家の2歳半の孫の画像のように、ごく当たり前の風景となっている。

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 スチュアート・ブランドと彼の友人たちは、いたるところから自分の暮らしと考え方を変えたり支えたりしていくための本や道具の情報をかきあつめてきて、それらがある量にたっすると、そのつど自作の薄っぺらなパンフレットにまとめていった。これが「全地球カタログ」の最初のかたちである。p203「もうひとつの編集術」

 当ブログは、現在、このスチュアート・ブランドの「地球の論点」(2011/06 英治出版)を巡って、彼を追っかけ中である。

 はじめにコンピューターがあったから、かれらはこのように考えるようになったのか。
 それとも、かれらが最初からこのように考えていたからこそ、その考えにあわせてコンピューターをつくりかえていったのだろうか。
p242「細部の自由な連合」

 この本は1993年に出た本である。周辺の環境は違うが、今読んでもなかなか刺激的である。つまり1993年当時なら、最先端だった、ということになろう。そしてその問題意識は、ずばり今日へと繋がってくる。

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