「『族』たちの戦後史」 都市のジャーナリズム 馬渕公介
「『族』たちの戦後史」 都市のジャーナリズム
馬渕 公介 (著) 1989/10 三省堂 ハードカバー 263ページ
Total No.3275★★★★☆
この本、包括的で網羅的で面白いのだが、結局はリアルタイムに書かれた本ではないので、そこがどうもビビッドな感性に訴えかけてくる力が足りない。分かった風に、だれかが後付けでまとめているという感じである。
本書では、マスコミが若者たちについて発した数ある□□□族、△△△族のなかからとりわけ目立った十族を選んで、記述した。その族は、年代順に、太陽族、カミナリ族、六本木族、みゆき族、原宿族、フーテン・ヒッピー(族)、新宿カミナリ族、アンノン族、暴走族、竹の子族、の十属である。p11「はじめに」
この本をナビとして、それぞれの時代の若者の風俗を追っかけてみるのは相当におもしろそうだ。だがしかし、当ブログは現在、60年代の新宿風月堂をおっかけているのである。となれば、おのずと、これらの中から「フーテン・ヒッピー(族)」あたりに焦点を当てていくこととなる。
フーテンが登場したのはそんな時代1967年の夏だった。
彼らは終日何をするわけでもなく、新宿東口駅前広場の芝生(グリーンハウス)にただごろごろしとたむろしていた。p167
今回の風月堂追っかけの中では、約20頁にわたり、フーテンとヒッピーについて論述しているので、もっとも長い記述と言えるかもしれない。
新宿の喫茶店風月堂にたむろするフーテン、ヒッピーなどの若者は<フーゲツ族>(1967年)と呼ばれた。風月堂は正面がガラス張りで、天井も高く、中二階をもつ明るい造りの音楽喫茶店であった。
ただ中の客たちは皆一癖ありそうな風体をしていて、目に見えないバリアーがあり、中に入るにはちょっとした覚悟を要した。つまりカウンターカルチャーの”教養”のない奴は入ってくるな、という感じだったのである。p175
この辺を抜き書きすれば、今回の追っかけの目的は達せられたということになろう。
当時のこの新宿フーテンの渦に出入りしていた、画家であり映像作家でありアルバイトで週刊誌の記者もしていたS氏によれば、はじめて本格派のヒッピー<部族>のメンバーに会ったとき、「こりゃ違うな」と感じたそうだ。考え方ばかりか、ボキャブラリーのところですでに別世界の人間という気がしたそうである。S氏はその後インド旅行を経て、ヒッピーになった人物。p177
このS氏とは誰だろう。追っかけてみればわかるかもしれないが、書き手が匿名で書いている限り、複数の要素を一人の人間に語らせている可能性もあるので、特定する意味はうすいかもしれない。
その他、興味深い記述は多いが、語られている内容については、特段に目新しいということはない。とにかく、ここでは空間軸としての「新宿風月堂」を書きとめればことたりる。
ところで、この本では一章を割いて「みゆき族」を取り上げている。
外人コンプレックスに起因した衛生神経症の都市TOKYOの、その精一杯の街銀座の、さらにそのなかで最も高級品が多く古い銀ブラ族などが「三丁パリ」と読んでいた通り、みゆき通りに、女はロングスカートに長いリボン、男はつんつるてんのズボンという出立ちで、大きな中古のズダ袋をひっさげて登場したのが<みゆき族>だった。
1964年の初夏に現われ、夏から初秋にかけての全盛期、多い日には一千人とも二千人ともいわれる若者が、みゆき通りを中心に並木通りや銀座通りに群れをなした。都内ばかりか、千葉、神奈川、埼玉県からもやってきた。
彼等はビルの壁やウィンドーに寄りかかったりして数人ずつ束になり、たわいないおしゃべりに興じ、疲れると喫茶店に入って何時間も粘り、お尻が痛くなるとまた路上で立ち話を始めるのであった。とりたてた奇行はない。ただ路上にたむろした。それだけである。なのに大人たちはそれを薄汚く、不気味と感じたのだった。p115
時あたかも1964年。春に「平凡パンチ」が創刊され、秋に東京オリンピックが開催された年のことである。
このようなみゆき族ファッションはどこからきたのか・・・というと、これがよく分からないのである。教祖の形跡が見当たらない。洋画や邦画やテレビの影響でもなさそうだし、繊維メーカーや有名デザイナーの先導があったわけでもない。それでは雑誌だろうかというとこれも違うらしい。(略)
どうやら、みゆき族ファッションは、無名の女の子たちの手になる消費者主導型のオリジナルファッションだったようなのである。 p120
みゆき族は、特に女性(女の子)たちの流行ファッションだったようだ。
このズダ袋とは、お米の紙袋や、コーヒー、豆類などの麻袋であった。米穀商やアメ横で買ったのである。みゆき族はこれを「フーテンバッグ」と呼んでいた。「フーテンバッグ」のフーテンには、その頃住所不定とか外泊するという意味があったのである。
そしてその袋の中には「フーテン」の名の示すとおり、着替えやら、洗面道具やら、学校帰りの制服やら、つまり外泊用品の一切合切が入っていたのだった。ときには愛用の睡眠薬や精神安定剤も入っていた。p127
おお、ここでフーテンの語源に出会えたのは幸甚である。なんだ、フーテンとは、住所不定のフテーから来ていたのか。そして、ズダ袋に外泊するための一切合切を入れていたとなると、これはつまりバックパッキングを意味していたわけだ。
高度成長のモータリゼーション爆発前夜のことであり、まだヒッチハイクは一般的に流行する直前でもあったのだろう。みゆき族→フーテン→ヒッピー、という系譜には、このようなバックボーンがあるかもしれない。
1964年9月12日。築地署、みゆき族の一斉補導開始。
戦後最大の祭典東京オリンピックを一ヶ月後に控え、みゆき族は不良図書や木製ごみ箱と同じように排除され秋風と共に路上からその姿を消していった。p117
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