「タマサイ 魂彩」 星川 淳
「タマサイ 魂彩」
星川 淳 (著) 2013/10 南方新社 単行本(ソフトカバー) 261ページ
Total No.3259★★★★☆
著者については、当ブログとして十数冊をメモしてきた程度であり、その作品全体を網羅しているとは言い難い。ただ、時間軸として見た場合、結構長い間、著者を見てきたとは言える。著者については、三つの名前で知っている。
ひとつは然(ぜん)。1970年直後に著者が九州熊本で部族流れとも目される「虹のブランコ族」を組んでいた当時の通り名である。72年7月にその自然食レストラン「神饌堂」を尋ねた時のことは、たびたび書いてきた。あの時、あの場所が、80日間日本一周のヒッチハイクの旅で、最も印象深かったのは、あのお店に「ホール・アース・カタログ」があったからだったかもしれない。
二つ目は、スワミ・プレム・プラブッダとして。75年にOsho「存在の詩」を翻訳することによって、その若い才能の片鱗を見せ始めた。創刊号の本文は当ブログですでに全頁アップ済み。その後のOsho関連あるいはその他の翻訳業の活躍については、衆目の一致するところである。
三つ目は1980年頃から登場してきた、今回の小説にも使われている名前。本名でもあり、ペンネームでもあると言えよう。実は、私が1970年に出会いそれから共同作業を始めることとなった冬崎流峰は、著者と中学高校の同学年生であったわけだから、二次の繋がりとはいえ、実に1964年当時からの繋がりであったと、言えないこともない。
多彩な才能を発揮する著者だけに、その表現はさまざまな領域に達しているのだが、ことさら小説というスタイルに、その表現の活路を見出さんとするところの理由は奈辺にあるのであろうか。
女が体を寄せてきた。暗闇で顔は見えないが、甘い匂いがサカマタたちの吹く潮の香りにまじる。
「おまえの青い珠を身代わりに」
「だめ、このタマサイ(首飾り)は!」 p41
小説のタイトルは、ここからでてくる。
それらは最初、アイヌの首長や女性が身につけていたものを、和人がエキゾチズム趣味で愛好するようになった。p37
この小説の時間軸は、16世紀と21世紀のふたつ。時にはもっと過去に遡るが、7000年とか1~2万年とか、漠然とした比喩にとどまる。空間軸は、ベーリング海を挟んだ、日本列島の島々、特に屋久島周辺と、亀の島アメリカ大陸の北部。
著者の先立つところの作品、「精霊の橋」(1995/03 幻冬舎、のちに「ベーリンジアの記憶」と改題)、「モンゴロイドの大いなる旅」(1997/09)、「環太平洋インナーネット紀行」―モンゴロイド系先住民の叡智(1997/09 NTT出版)などに連なる一冊と言えるだろう。時には「魂の民主主義」―北米先住民・アメリカ建国・日本国憲法82005/06築地書館)あたりにも連なってくるか。
話は変わるが、当ブログでは現在、あるポイントを中心に歴史観が回っている。時間軸は、7世紀、空間軸は北日本である。その大きな影響は新沼勇義「解き明かされる日本最古の歴史津波」(2013/03 鳥影社)から受けている。誤解を恐れずに言うなら、ホツマツタエの世界観に、その宇宙観を見ようとしているところである。
著者が、縄文という時、西日本、南日本の島々特に屋久島あたりをひとつのルーツと見ようとし、当ブログが、その縄文のルーツを北日本、特にヒタカミにみようとするのは、良くも悪くも、空間軸として、現在、互いに住んでいる地域のエスノセントリズムと言えば、言えないこともない。この小説にはアイヌやアイヌモシリの文字も見え隠れするが、アイヌ本人たちの言葉になっているだろうか。
「青い石はこの土地からもたくさん出る。私らがはるか西の国から海を越えてここへ導かれたのは、石と石が呼び合う力のおかげだと伝えられている。産地が異なっても、すべての青石はつながっていて、それを身につける者の心を結ぶ。
遠い昔から、この石はそのように使われてきた。そして、これより五百年の闇を経て次の世がはじまるころ、ふたたび多くの者がこの石に魅きつけられるようになろう。そのとき、青い石を通じて魂の自由を思い出させるのは、私らよりもっと古い祖霊たちの声だ」p237
もちろん、ここで語られているのは、方便としての青い石であり、比喩としてのタマサイである。その意味しているところは、もっと抽象性の高いシンボリック、かつ、透明度の高い精神性であろう。
時間軸、空間軸は、今はどうでもいい。石の色とか、呼び名とかも、まぁ、こだわりすぎてはいけない。しかし、いつかあるとき未来において、この時空間を現出させる象徴としての「タマサイ(首飾り)」が存在している、ということに、当ブログは大いに同意する。
3・11後に書かれた小説であるので、フクシマはでてくるが、地震や津波はでてこない。かつてヒタカミにおいては、津波予知の暦があったようだ。古代エジプトにおいてナイル川の定期的な氾濫がカレンダーを生んだように、古代日本ヒタカミにおいては、この津波予知が重大な関心ごとであった。
ネイティブ・アメリカンの昔からの言い伝えにも重きがあるだろうが、古事記、日本書記、に収れんされる以前の、縄文から伝わる言い伝えも重要なものである。その主流と目されるホツマツタエについては、まだ研究なかばであるが、最近では千葉富三や中津攸子の作品が、良くも悪くも、その研究の途中経過を表している。
科学的に解明、証明されるのを待っていたら、いつのことになるか分からない。ここは直感で先を急ぐしかない場合も多い。かなり確証性は高いが、まずはその直感をストーリー化しておく、という意味では、小説などの表現も、ぜひとも必要となろう。
ここにおける「タマサイ」の直感と、当ブログでの進行中の直感は、時間軸においても、空間軸においても、ややブレがある。今後、この二重写しになっている直感のブレが、今後、修正されてひとつに溶けあっていくものなのか、あるいは、それぞれの独立したストーリーに成長していくものなのか、今のところは不明である。
前作(注「精霊の橋」)以来、魂の源流を探っていくと、そのむこうに現代や未来の問題が見えてくる、そして、その逆も真である、一見不思議だけれども、ある意味ではあたりまえの共時世界に馴染んだ私にとって、この物語は時間と空間を超えた”親族”の来歴の一端です。過去から未来を見ているのか、未来から過去を見ているのか---いやじつは、私たちの深い学びはそういう矢印とはあまり関係なく起こるのかもしれません。
15年も温めているうちに、すっかり自分の一部になってしまったその”親族”の物語を、みなさんとも共有しないと先に進めない気がしてきました。私にはもう物語の次の展開が見えかけているので、そろそろ魂の旅(ソウルサーチ)の続きに出たいと思います。その結果は、いずれまたご報告させてください。p260「あとがき」
次作も楽しみである。
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