「わが新宿!」 叛逆する町 関根 弘 <1>
「わが新宿!」 叛逆する町 <1>
関根 弘 (著) 1969/05 財界展望新社 ハードカバー 376ページ
Total No.3265★★★★☆
最近、 「電脳・風月堂」を編集している方とSNSつながりとなった。以前よりチラチラと拝見してはいたが、実際にご本人のナビを受けて閲覧すると、これがなかなか、ひとつひとつが説得力を持ってくることになる。
特に読書ブログとしての当ブログにおいては、その参考資料リンク、「Large Beer」と「Can Beer」あたりは気になるところとなる。順不同となり、蚕食する程度のことになるとは思うが、このリストをお借りして、一体、60年代の日本アンダーグラウンド文化を支えた「新宿・風月堂」とは何だったのか、探りに行く旅にでる。
時あたかも、70年代アンダーグラウンド文化のアーカイブズをまとめようか、という誘いもある。その流れとコミットしつつ、70年代が成立した基盤としての60年代とは何かを問うきっかけにもなるだろう。
そもそも新宿風月堂とは何だったのか、BLACK COFFEE [新宿『風月堂』の概要(1945年~1973年)] を見るととても分かりやすく簡潔に整理してある。おそらくこれが、唯一、最も丁寧にまとめられた「新宿・風月堂」のアーカイブズであろう。
編集のフーゲツのジュンは、このサイトをインターネットが始まったあたりから立ち上げ、すでに17年に渡ってサイトを運営しているとのことである。青春時代からリアルタイムで風月堂に関わった御仁だけに、その風月堂に対する愛情はひとかたならぬものが感じられる。
ふと、思う。北山耕平が、「ホール・アース・カタログ(WEC)」がネットで全てみれるようになった時に自分のブログで、「同志たちよ、あの偉大なるカタログがウェブサイトですべて公開されましたよ」と感嘆しつつ次のようにつぶやいている。
「これがもっと大きな話題にならないのは、ぼくの前の世代があまりインターネットに主体的に参加していないからなのかと、少なからず考え込んでしまった。」北山耕平「Native Heart」 2009/01/12
1949年生まれ(現在65歳)の北山耕平にとって、「ぼくの前の世代 」とは、誰のことだろう。初期的に影響を受けたとされる片岡義男(1940年生)のことだろうか、谷川俊太郎(1931年生)やサカキナナオ(1923年生)あたりのことだろうか。
一方、WECの中心人物であるスチュアート・ブランドは1938年生まれ、現在75歳。すでに、1980年代において、「メディアラボ」―「メディアの未来」を創造する超・頭脳集団の挑戦 (1988/04 福武書店)などをものしている。原文1987年。
日本人の感覚では、現在70歳以上の人々が当時からネット文化に積極的だったとは推測しかねる。むしろ、デジタルだ、アナログだ、と言って、むしろコンピュータ文化には背を向けていたイメージはある。
はてさて、この電脳・風月堂であるが、どうしてどうして、アメリカには多少の遅れを見るが、50年代から60年代以降の文化が、色濃く反映されているように思われるのである。全てを追っかけすることは不可能であるが、せめて、北山の更に後輩となる私なんぞの手の届く世界ではないが、その「前の世代」とやらの後塵を拝すべく、いそいそと追っかけを初めてみよう。
「Large Beer」と「Can Beer」あたりを手掛かりに何冊か取り寄せたところ、まず来たのが、この「わが新宿!」だった。ちょっと読み始めたところだが、なかなか濃い。
いまでは、風月堂と乞食は、切っても切れない関係にあるが、しかし、風月堂の支配人にいわせれば、フーテンはありがたい客ではない。一杯のコーヒーで何時間も粘るし、食い逃げ、飲み逃げはしょっちゅうだ。ほんとは、ノーマルなお客さんに集まってもらいたいと思っている。
フーテンの巣窟と化したのは、「五ドルで遊べる東京」という本がアチラで出て、それに店の名前が載ったからだ。いらい外人の家出人、つまり西洋乞食が日本へくるとかならず、立ち寄るようになった。日本の乞食(ビート)は、彼らの亜流なのである。p30関根「花ひらいた現代無宿モード」
この「五ドルで遊べる東京」という本は、実際にあったのだろうか。それともWECあたりの紹介などと関係があるのだろうか。最初の「Whole Earth Catalog 」が出たのは1968年の秋。ここで紹介があったのかなかったのか。いや、むしろもっと前に紹介記事はあったような気がする。
諏訪優の「ビート・ジェネレーション」という本は、ビート詩人についての要領のいい解説書だが、そのなかで、京都に禅の修行に来ていたゲイリー・スナイダーについて、かれの人生哲学は”乞食”のそれではないか、と書いている。
わたしは、このスナイダーに会って、ビート精神を吹きこまれ、本格的に家出を決意、ズダ袋のなかに寝袋その他の生活日用品を詰め、夜は、お宮の屋根の下で寝るというふうなことをしている大阪のA青年に会ったことがあるが、このように労働を拒否して施しものに依存する完全な浮浪生活に踏み切っているものが全国に十数人いるということだ。
かれらは、フーテン仲間のいわが横綱格で、尊敬を一身に集めているが、その根拠地はやはり風月堂だ。p30関根
新宿・風月堂そのものは1946年に出来たということだが、スナイダーが初めに来日したのは1956年で、1968年あたりまで滞在した、ということだ。他の多くの当時のアンダーグランド文化人たちも集ったであろうこのコーヒーショップが、いわゆる後世代の私(たち)が知っている「風月堂」のイメージになったのは、いつ頃からだったのだろうか。
閉店は1973年ということだから、当時私はすでに19歳、リアルタイムに行けば行くことができた筈だが、私は行かなかったし、私の周辺ではその存在が当時熱く語られることはなかった。
| 固定リンク
「22)コンシャス・マルチチュード」カテゴリの記事
- 「石川裕人蔵書市」 ひやかし歓迎! 7月27日(日)~28日(月)<2>(2014.07.27)
- 今日の気分はこの3冊<4> 小屋、恐竜、風力発電(2014.07.26)
- 「終末期の密教」 人間の全体的回復と解放の論理 板垣足穂 梅原正紀 編著(2014.07.25)
- 「映像をめぐる冒険vol.5」 記録は可能か。東京都写真美術館(2014.07.25)
- 「ニュー・ライフ・ヴァイブレーション」 地球の子供たちから愛をこめて 今上 武蘭人 <4>(2014.07.25)
コメント