「機械的散策」―評論集 関根 弘
「機械的散策」―評論集
関根 弘 (著) 1974/04 土曜美術社 単行本 318ページ
Total No.3282★★★☆☆
60年代風月堂の香りを辿って、電脳・風月堂の参考資料リストの中に、風月堂に言及しているとされる本から、これまで当ブログが読んだこのリストを作ってきた。本書は次のように評されている。
関根弘は「新日本文学」にもかかわり、労働組合の機関紙などに掲載される詩文などを注視していた詩人だ。なのに新宿に在住した縁でか、フーテンたちにも温かい目を注いだ。風月堂閉店に言及している。 電脳・風月堂の参考資料リスト
本書は、1974年にでた評論集であり、40弱の評論がひとまとめになった一冊であるが、この中に60年代的な新宿風月堂の消息を求めるとすれば、まず、この「閉店」風景を尋ねる必要があろう。
新宿の風月堂が店を仕舞うそうだ。なんの変哲もない喫茶店だったが、数年前から俄かにヒッピーのメッカとしてクローズアップされた。新宿中央口広場を新聞の命名にしたがえば、フーテンがグリーン広場と名づけてどこからとなく集まり、夜を明かすという夏があった。
ときならぬ異様な若者たちの集団の出現にマスコミが注目して、これを大きく報道したのが、日本版ヒッピーの存在を世間にしらせた最初である。この広場に集まった若者たちは、申し合わせたように無精ヒゲを生やし、その服装も、俗世間の若者たちとはかけ離れたボロをまとっていた。
乞食スタイルだが、これこそヒッピーの正装なのであった。このグリーン広場に集まった若者たち大半が鳩の巣のように出たり入ったりしていたのが、風月堂である。
フーテン、より正しくいえば、日本版ヒッピー族は、ある日、突然、ウンカのごとく湧き出たのではなかった。その前史ともいうべきものがある。まず青い目のヒッピーが「五ドルで遊べる東京」という本のなかに風月堂を紹介した。
それから同類の青い目のヒッピーが東京へくると必ず立ち寄る店となり、外国人にあこがれをもつ日本人との交流の場ができた。ヒッピーは、体制からドロップ・アウトした理想主義者であって、自由人の精神といえば体裁はいいが、貰い物の精神で生きている。かれらの先祖は、詩人のアレン・ギンズバーグ、ゲーリー・スナイダーなどだ。
彼らは世界を股にかける放浪常習者だ。東京は風月堂を媒介としてヒッピーにとっての暖かいベットとなった。自然の成行としてかれらの哲学、人生態度に感化されるものがでてきた。ヒッピーの哲学は、アメリカ的生産第一主義の文化にたいするアンチ・テーゼだが、日本に輸入されたのは体制離脱者というより、体制脱落者の自己合理化に短絡したようだ。マスコミはこの新型の家出人口をフーテンと名づけたのである。p82「詩人と放浪」
これ以下は、一般論に終始する部分であり、端折る。
風月堂はフーテンのメッカになり、新宿の名所となったが、経営的にはプラスにならなかったであろう。なにしろ一杯のコーヒーで粘りに粘るので儲かるお客さんではない。いつも満員でも利益が上がらないというのが、店を仕舞うことになった原因であろう。背に腹はかえられぬというわけだ。
風月堂がなくなるということはいろんな意味で新宿が淋しくなることであり、ザンネンだが、わたしが風月堂の役割をあらためてふりかえったのは、いたずらに嘆き悲しむためではなく、詩人と放浪というテーマに今日的照明をあてたかったからだ。p83 同上
このほかにも「歩行者天国」、「新宿西口広場の歴史」、「騒乱新宿--自衛作戦の全貌」などの評論もあり、どこか関連しているようでもあるが、今回は「新宿風月堂」にフォーカスしているので、割愛する。
著者には先行する「わが新宿!」叛逆する町(1969/05 財界展望新社)がある。
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