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2014/06/08

「EARTHLING」 地球人(アースリング)として生きるためのガイドブック

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「EARTHLING」 地球人(アースリング)として生きるためのガイドブック
一般社団法人Think the Earth (編) 2011/12 ソル・メディア 単行本: 336ページ
Total No.3261★★★★☆

 3・11直後に出版された40人程の執筆陣が関わるオムニバス本。この手の3・11オムニバス本では、ほとんど面白い本がない。各論並列でまとまりがない。ごちゃごちゃして何がなんだかわからない。各人が言いたいことをとりあえず言っている、という感じ。

 この本もそういう本なのだろうか。それにしても、「地球人として生きる」というフレーズはいいですね。当ブログでも、3・11の前ではあったけど、カテゴリを「地球人として生きる」として書き連ねていたことがあった。

 一般社団法人Think the Earth編とある。なにやら公的機関かなと錯覚しやすいが、この一般社団法人とは2008年にできた新しい法制度で、割と簡単に成立する法人で、別段、公的な目的がなくても設立できる。最近は、錯覚を利用して、詐欺的団体が悪用しているというレポートもある。まぁ、ほとんどはまともに運用されているのだろうが。

 ところで、このEARTHLINGとは一般的な言葉なのだろうか。調べてみると、地球人と訳されていることが多い。なるほど、こういう言葉があったのか。当ブログのタイトルも「地球人スピリット・ジャーナル」と銘打っている。英訳する時は、TerranとかEarthのままだったりしたが、これからは、このEarthlingという使い方を研究してみよう。

 茂木健一郎を初めとして、約40名ほどが書き連ねているが、全部を読むのはちょっと大義である。パラパラめくると、2~3人の文章が目にとまった。

 友人の文筆家、星川淳は、彼自身のことを「在日地球人」と規定していたが、この感覚は私にも見事に当てはまる。p044芹沢高志「ひとつの時代が終わろうとしている」

 なるほどこれでもいいのだが、「在地球・地球人」のほうがより正確なのではないだろうか。ことさら「在日」を強調する意味はあるだろうか。

 私はこれまでの国家という枠組み自体が、そろそろ老朽化しつつあるのではないかと思う。それは体制とかイデオロギーの問題ではない。国家、あるいは国民国家という概念そのものが、崩れ始めているのではないかと感じる。p043芹沢高志 同上

 このあたりは本当にそう思う。それを前提に当ブログは進行している。

 これがこれからの、地球人の読書です。それは野外で読むことでもなければ、英語で読むことでもありません。部屋の中で読んでも、日本語で読んでも全然構わない。それぞれの人が、それぞれの場所で、大地の恵みのような豊かな本を、想像力や思考力を働かせながら作者の無意識に接続し、人生いっぱい、身体いっぱいで読んで、何度もそれを読み替えていくような運動、それこそがまさに地球人にとっての読書ということになっていくんじゃないかと。p150内沼晋太郎「地球人の読書」

 ここもなんとなく心に染みる。当ブログは別に読書ブログとしてスタートしたわけではなかったが、いつの間にか読書が中心となって進行している。地球人の読書、とは言い得て妙。

 地球サミットが最初に行なわれたのは1992年、ちょうど冷戦が終結した直後、ブラジルのリオデジャネイロで開かれました。この最初の地球サミットは、私たち人類にとって非常に大きな意味を持っていました。p222佐藤正弘「地球サミット2012に向けて」

 思えば、1991年の国際環境心理学シンポジウム「スピリット・オブ・プレイス仙台」も、この地球サミットと連動した動きだった。当時は、インターネットも発達していなかったし、情報も少なかった。この10年に一度のイベントの結果はどういうことだったのだろう。

 今年、2011年で世界の人口は70億人に達するそうです。セヴァンがあのスピーチをした1992年、世界の人口は50億人台でした。そしてこの人口は、2030年には90億人に達すると言われています。果たして、この90億人が分かち合いながら生きていくことは可能なのでしょうか。p227佐藤正弘「3度目の地球サミット開催」

 私が、1992年に「湧き出ずるロータス・スートラ」私の見た日本とOSHOの出会い(1992/06・ツクヨミ・プロジェクト)を書いた時、国連のポスターを見たことがあった。そこに「現在の地球の人口56億7000万人」と刷り込んであった。だから、あの文章の最終的な結論が「56億7000万人のマイトレーヤー達」となったのである(やや、こじつけだがw)。

 おっと、この方も登場していた。そもそもこの方の名前で検索した結果、この本と出合ったのだった。

 彼ら(インディアン)からは「日本の歴史ってどのくらいあるの」ともよく訊かれました。で、「日本には世界で一番古い歴史書があるんだよ」と話すと、彼らはやっぱり大笑いするわけです。「おまえ、1200年くらい前に書かれた歴書がほんとに世界で一番古いんだとしたら、1200年前にいったい何が起こったんだ」って。彼らはアメリカンの歴史とはほとんど無関係に生活しているのです。p269北山耕平「アメリカ・インディアンの生き方、考え方と日本人」

 当ブログにおいては、それを正統な歴史書と言えるかどうかわからないが、1300年よりはるかに古えといざなってくれる「ホツマツタエ」を逡巡している現在である。

 日本の場合を考えると、縄文人たちが本当に日本のインディアンだとしたら、彼らがいったい何者であって、われわれとどういう関係にあるのかということにアクセスする能力を、僕たちはいまほとんど持っていません。p274北山 同上

 ここもまた当ブログとしては、多少エスノセントリズムと揶揄されるかもしれないが、飯沼史観を通じて、ホツマワールドにアクセスしているところである。

 今回3・11以降に起こったことを思い出してもらえばわかるように、とてつもなく地球ってものに対する接し方の一番コアな部分を失ってしまっています。この部分をわれわれはもう一度この日本列島に復活しないかぎり、地球はおろか日本列島の自然さえ、ものすごい勢いで絶滅に向かわせてしまうことを知ってほしいのです。p275北山 同上

 同感である。

 このほかたくさんの気になる文章が満載であった。最後にもうおひと方の文章も気になるところだった。

 では、皆さん、意識は何のためにあると思いますか? 人間として、地球人として生きている活き活きとした喜びとか悲しみを感じるためだよ、という人がいます。確かに、喜びを感じると嬉しいです。けれど、それは意識があることの結果であって原因ではない。(略) 

 ロボットと、私たち人間、意識を持っている人間とでは何が違うのか、この意識のクオリア、意識の質感、こう感じる意識があるのは何のためなのか、ということが、謎なのです。茂木健一郎さんは、この、クオリアの問題が世界最大の謎だと言います。p279前野隆司「私たちは何ものなのか? 生命の謎・心の謎」「意識は、何のためにあるのか」

 結局この辺で、この本の文頭にもどっていく。当ブログでは、茂木健一郎「意識とはなにか?」(2003/10月筑摩書房)を一つのナビとしての模索を続けている(最近はお休み中)。

 偶然検索した本書だったが、再読する価値はありそうだ。姉妹書として10年前にでた「百年の愚行」(2002/04紀伊国屋書店)がある。

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