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2014/07/25

「映像をめぐる冒険vol.5」 記録は可能か。東京都写真美術館

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「映像をめぐる冒険vol.5」 記録は可能か。
東京都写真美術館  2012年12月11日 ( 火 ) ~ 2013年1月27日 ( 日 )

 先日来、読書の途中ででてきた宮井陸郎についての記述が断片的なので、当ブログにそのつど転記して貼り付けて関連リストを作成しておいたが、ネットでも彼の略歴があったので、拝借し、貼り付けておくことにします。

宮井陸郎

 1940年島根県生まれ、岡山/東京在住。映像作家。1960年代に「映像芸術の会」に参加するとともに「ユニットプロ」を主宰。拡張映画、環境映画としての映像作品を数々発表し、アンダーグラウンドシーンを牽引する。また、アンディ・ウォーホル展の企画などプロデューサーとしても活躍。

 1976年以降はインドに渡り、瞑想に入る。金坂同様にアンダーグラウンドシーンを牽引していた宮井の問題意識は、時代の全体像を「透視することが困難な時代において、現象が我々の前にあるのではなくて、我々自身が単なる現象として現前している」 として、それまでの映画作品に多くみられた外面性/内面性の二項対立という図式からより現象学的方向に向かっていた。 

 そして、自身の関心から当時ヌーヴェル・ヴァーグへ影響を与えていた「シネマ・ヴェリテ」の手法にならい、《時代精神の現象学》(1967)を制作する。映画では、ユニット・プロの一室からはじまり、新宿の繁華街、スーパー、映画館、ゼロ次元のパフォーマンスにいたるまで「計画されたハプニング」の一日が長回しで撮影され、最後は地下街に設置された時計の3分間の大写しで終わる。

 1967年の新宿の空気を切り取ると同時に、最後のショットによって映像に潜在的な時間性が意識される。計画された偶然性やパフォーマンス性をもった映像をコラージュする実験的な手法は、宮井が構成で協力したテレビ番組《クール・トウキョウ》(村木良彦演出、1967)でも用いられている。 

 「シネマ・ヴェリテ」的手法や、アンディ・ウォーホルの作品に見られる物質性や反復性を重視する「ポップシネマ」的手法に可能性を見出していた宮井は、作品の上映方法にも着目し、二つの同じフィルムを一面に重ねて投影するなど、後に「拡張映画」と言われるような、上映方法を提案した。《シャドウ》(1969)は、タイトルどおり自身の影の記録であり、反転したフィルムとオリジナルのフィルムを同時に2面構成で上映しており、宮井の問題意識を率直に反映した作品となっている。<参加作家プロフィール>より

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