「終末期の密教」 人間の全体的回復と解放の論理 板垣足穂 梅原正紀 編著
「終末期の密教」―人間の全体的回復と解放の論理
稲垣足穂 (編集), 梅原正紀 (編集) 1973/09 産報 ハードカバー 349ページ
Total No.3302★★★★☆
1)SNSつながりの複数の友人からこの本のタイトルが飛び出した時、あ、それは面白いでしょう、と直感した。そして、それとともに、当ブログとしては、もう終わっているテーマではないか、とも思った。
2)当ブログの流れで言えば、終末期に現れるスピリチュアリティだからこそ密教なのであり、スピリチュアリティが密教としてしか存続し得ないからこそ終末期なのだ、とも言える。つまり、「終末期の密教」というのは修飾過剰、同じことを二度言っているに過ぎないのだ。
3)大雑把に言えば、当ブログでは、密教いわゆるタントラを、読書の中の三冊に集約してまとめてしまうことは可能だ。
「チベット密教の本」(1994/12 学研)。これは一般的なチベット密教について、よくまとまっている本であり、画像やイラストが多い。
「裸形のチベット」(正木晃 2008/07 サンガ)。これは現在のチベットと、そこで何がおこったのかという歴史について、コンパクトながら、実に正確に教えてくれる。
そして、「反密教学」 (津田 真一 1987/09 リブロポート)。 つまり、ここで密教はトドメを刺される。終末が終末するのだ。そして、次なるものが生まれる以外になくなる。
4)まずはそういう予感がよぎった。さてさて、1973年に出たこちらの本は、どんな経緯で、どんな展開になっているのだろうか、と、中身を満足に忖度しないままパッと開いたところに、こんな画像があった。
あれまぁ、これはダダカンではなかろうか。「仙台市郊外で独自の生きざまを示すヒッピーのひとり」となっている。p93 1973年当時に、まぁさまざまなキャラクターが仙台にも存在したが、この人はあの人できまりでしょう。
5)確信のないまま、ネットで検索してみると、竹熊健太郎氏のページに、ゼロ次元と一緒に映ったダダカンの写真がある。
後列中央がダダカンだということだから、よくよく見てみると、サングラスも同じ、ヘアースタイルも同じ、首から下げたネックレスも、上の写真と同じではないだろうか。ひょっとすると、同じ時に撮った写真のシリーズなのかも知れない。まず、上の写真もダダカンで決定だろう。
6)不思議なこともあるものである。昨日、SNSでダダカンを訪問した時のことが話題になって、私も画像を二、三、アップしたのだった。2006/08のことである。
7)それにしても、このダダカンの写真が挿入されていたのは、山尾三省の「部族を志向した聖集団---愛と自由と知恵によるむすびつき---」p87 の中だった、というところが、私にはなんとも不思議だった。三省とダダカンが、どの様に結びつくだろう。すくなくとも、ダダカンは部族志向ではなかったと思うし、三省がストリーキングをした、という話も聞いたことがない。
8)などなど、読みもしないうちから、いろいろ逡巡している。
つづく
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