「『たべものや』の台所から」シリーズ食生活の再発見 たべものや編著
「『たべものや』の台所から」シリーズ食生活の再発見
たべものや編著 1982/12 柴田書店 単行本 284ページ
Total No.3299★★★★★
1)まずは、巻頭のこの図を見れば、この「たべものや」というベタな名前のお店の、そのユニークさが分かる。
2)このたべものやのは共同経営のようなスタイルだったようだから、代表とか責任者とかはいなかったのかもしれない。成り立ちからすると、たみさんが一番関わりが深かったか。
3)たみさん 1939年福岡県生まれ。高卒後会社勤めしたあと上京、次の会社に勤務しながらセツ・モード・セミナーに通う。62年結婚、フリー・イラストレーターとして、ファッション雑誌に絵をかいたり、ディスプレイの仕事をした。二人の子供を出産後、アクセサリーの工房を開設、デパートに卸す。73年荻窪の郵便局跡でジャムハウスをはじめ、77年たべものやに参加。(piixの要約)
4)こんな感じの方ですね。p192
5)あれあれ、いくら著名なかたと言え、こんなに引用していいかしらん、と思ってみるのだが、実はこの本、この程度のご紹介は序の口。並みいる女性の方々が、自らのある姿を、これでもか(ちょっとおおげさ)というくらいに自己開示なさっている。
6)この本、ネットで検索すると絶版になって、現在では古書しか手に入らないのは当然としても、その価格が32000円以上である。え? 古書で三千二百円の本もそうザラにないが、その十倍、三万二千円超であるのだ。なにをして、この本がこれほどの高値で取引されているのだろうか。興味シンシン。
7)単的には、1977年11月に、東京西荻にできた、小さなレストランのお話である。若い女性たち10人ほどのグループがその活動のプロセスを5年程経過した時点で、一冊の本にまとめた、ということである。
8)最初、登場する女性たちが、生い立ちや伴侶やパートナーとの関係を語ったり、仕事に対する姿勢を対談したりする。私は、スタジオジブリの傑作「魔女の宅急便」(角野栄子原作)を思い出しながら、読みすすめた。あの作品でも、何人かの年齢の違った女性たちが登場するが、実は、それはそれぞれの時代の一人の女性の成長記と読めないことはない。むしろそう読む事によってこそ、あの作品の幅は広がる。
9)こちらの本も、何人もの女性が登場するが、バラバラな人格の寄せ集めと読むよりも、むしろ、ひとつの人生ストーリーの中の一コマ一コマとして、読み進めてみると、なんとも複合的で、味わい深い一巻きの読み物という具合になるようになっている。
10)そもそもは、なぜこのレストランをやることになったのか、とか、どんな経緯で成長していったのか、とか、どんなメニューだったのか、とか、事細かに書いてある。たくさんの数のイラストでできたレシピも所せましと掲載されている。ほう、ひとつひとつこんな風に書いて共有していたのだろうか。それともこの本のために描かれたものなのだろうか。イラストを見ているだけで、実に食べたくなる。
11)この本、たべものの本のように見せていて、実は女性についての本である。決して難しいことは、なにひとつ書いてない(多分)が、ひとりひとりの発言者たちが、自らの口で自らのことを淡々(と見えてしまうのだが)と語っていくところがすごい。
12)この本、女性の本のように見せていて、実は男性についても、同じくらいの量で書いてある。女性がいれば、男性も側にいるわけだから当然ではある。しかしながら、彼女らを通じて語られる男性像も、実に生き生きとしたリアルなものになる。
13)例えばこんな風。
キコリ・サチコ (中略)中学生みたいに見えるサチコは、ともすればおじいさんにみえるキコリより歳上。ふしぎな感じのする組み合わせ。キコリは富士山のふもとで生まれ育ち、富士山をとても崇拝している。
和光大学時代は、ひげに長髪でミニのワンピースを着たり、校庭にテントを張って住んだり、ユーモラスな学生運動を展開。練馬区石神井のコミューンに住み、ミニコミ紙を編集・印刷した。
ホビット村にプラサード編集室ができ、「やさしいかくめい」という本の出版にたずさわった後、その編集室を本屋にするために奔走。開店して、ほびっと村学校の講座に出ていたサチコさんと知り合うまでは、この本屋に寝泊まりしていた。
インドのヨギみたいな外観の内側に、精巧な事務的能力を秘め、あの小さな本屋の名を日本中にとどろかせた。経営者としての才能はともかく、その個性的なフィーリングと、”情報局”とよばれる会話好きから、多くの人々の心を掴んでいることも確かだ。(4)P
14)お互いにこれほどフランクに紹介し合える雰囲気が、この界隈にはあった。あるいは、この雰囲気こそが、この本で特記すべき特徴であろう。
15)(20)pの「名前のない新聞」なんてところもなかなか面白い。ただ、ちょっと気になる部分もある。
「名前のない新聞」は当時、全国各地で別々に行動していた、いわゆるカウンターカルチャーの人々をつなぐ橋わたしの役もしてくれて、75年に「名前のない新聞」が主催した沖縄から北海道までのキャラバンでは、全国各地の拠点でコンサートや集会が行われ、たくさんのつながりができた。ああいうことは、あの時点でこそ可能だったのであろうか。p(20)
30年前の本にダメ出ししても仕方ないことだが、正確を期せば、75年の「キャラバン」は、「名前のない新聞」の「主催」ではない。他に、主催したと語れるかも知れない団体名もいくつかないことはないが、実際は、あのキャラバンは、「主催者」なし、というのが、結局は大正解だろう。ひとりひとりが主催者だった、ということにしておきたい。
16)この本が、もし今でも読まれ続けているとしたら、なにゆえそれだけの魅力を勝ち得ているのであろうか。おそらく、若い(10代、20代、30代、40代)女性たちの、しかも女性だからこそ語り得る言葉と姿勢、その直接にマトに「突きつけて」くる、鋭い刃物みたいなエネルギーが、多分、だれにとっても、ここちいいからなのではないだろうか。不思議な組み合わせである。
17)この本、「お産の学校」 私たちが創った三森ラマーズ法(1980/3 BOC出版部)とか、「みんな八百屋になーれ」 就職しないで生きるには(長本光男1982/07 晶文社)などと合わせ読めば、なお一層味わい深いだろう。
18)出版されてから32年の年月が経過したが、ひとりの人生を、ひとつ次のステージから、もう一度見るような、深い味わいがある。
19)「たべものや」は、1977年の開店以来、建物が解体される1993年頃まで続いたようだ。その後のレポートもあったら、楽しいだろうな。
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