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2014/07/17

「60年代新宿アナザー・ストーリー」タウン誌「新宿プレイマップ」極私的フィールド・ノート 本間健彦 <1>

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「60年代新宿アナザー・ストーリー」タウン誌「新宿プレイマップ」極私的フィールド・ノート <1>
本間健彦 (著) 2013/06 社会評論社 単行本: 342ページ
Total No.3297★★★★★

1)面白かった。場合によっては、伝説の編集者、「SUB」の小島素治をレポートした「Get back、SUB!」 あるリトル・マガジンの魂(北沢夏音2011/10 本の雑誌社)と合わせて読んでみるもの一興だろう。

2)そもそもは、「ニュー・ライフ・ヴァイブレーション」地球の子供たちから愛をこめて(1976/12 ブロンズ社)の今上武蘭人を消息を尋ねる趣向だったのだが、その目的もともかくとして、当時のタウン誌の編集現場の話が読めて貴重である。

3)そもそもは、内外タイムスで、斎藤龍鳳(作家)や、矢崎泰久(のちの「話の特集」編集長)で記者仲間であったことが、編集者・本間健彦の人生を決定づけた。

4)「新宿プレイマップ」。一世を風靡した花形のタウン誌だったが、内輪話を聞いてみれば、そうそう簡単なものではなかった。まぁ、これはどこでもそうだろうが、あまり語られることはないので、貴重なレポートである。

5)1969年7月創刊、1972年6月36号で休刊という、決して長くはない寿命ではあったが、あの時代における3年というのは、ある意味驚異的な時代経験であったとも言える。

6)今上武蘭人は、「新宿プレイマップ」の最初のスタッフだったようだ。数カ所に彼のプロフィールや仕事、姿勢などが紹介されている。しかし、その編集を去ったあとのことについては、結局触れられていない。おそらく、本間本人も、現在の今上についてはつかんでいないかもしれない。

7)私は当然リアルタイムでこのタウン誌を知っていた。横尾忠則の表紙のついた35号を長く所蔵していた(いまはない)が、この号は、編集母体を新都心新宿PR委員会からマドラに移動し、最後の断末魔のような状態で発行されたことを知った。

8)当時の執筆者やスタッフたちの活動ぶりが随所に紹介されている。宮井陸郎(シャンタン)の「新宿・しんじく・シンジク」(第8号 1970/02)p178などという文章も、当時の雑誌のまま、見開きで紹介されているので、関心ある向きには見逃せない資料である。

9)芥正彦などについても、紹介がある。新たなる側面からの「攻撃」材料が揃い始めた。

10)60年代新宿というテーマであれば、当然、新宿風月堂が取りざたされてしかるべきであるが、記事の中でのエピソードとしては登場しているが、「文化」としては、このタウン誌と風月堂は、一線を引いていたようである。

11)ジャズ喫茶についても、かなりな記述があるが、他の店についてである。

12)「話の特集」は私も10年間くらい、ずっと定期購読していたが、私たちの「ミニコミ」の世界とは別次元だった。

13)結局、本間健彦は何をしたかったのか。終章になって、1974年当時「古新聞」というガリ版ミニコミをだしていたマンジェロに触れるところがある。p329 なるほど、じつは、本間健彦という人は、こちらの人であったか。

14)「名前のない新聞」には遅れたが、というかそれに触発されたのであろうが、マンジェロの「古新聞」も面白かった。彼のアパートを尋ねたこともあった。当時25歳くらいだっただろうか。広島出身で、両親とも被曝しており、彼自身、原爆症の症状を持っている、と聞いた記憶がある。

15)この本は支線がたくさんある。話の発展材料満載。いずれ再発する可能性あり。

<2>につづく 

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