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2014/07/23

宮井陸郎他 「芸術」の予言!! 60年代ラディカル・カルチュアの軌跡 (「季刊フィルム」コレクション)

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「『芸術』の予言!!」 60年代ラディカル・カルチュアの軌跡
「季刊フィルム」コレクション・編集部 (編集) 2009/05 フィルムアート社 単行本 400ページ
Total No.3300★★★★☆

1)60年代の新宿風月堂界隈のにぎわいを探索するとなると、我らがシャンタンこと、宮井陸郎の消息をも尋ねなくてはならない。映像作家という触れ込みではあるが、長期に渡る活動期間に残された作品群は、決して多くはない。あるいは、なかなか検索できない、というところが正直なところ。

2)現在のところ、いくつかの文献がでてきた。

「新宿考現学」 (深作光貞 1968/09  角川書店) 

「60年代新宿アナザー・ストーリー」タウン誌「新宿プレイマップ」極私的フィールド・ノート (本間健彦 2013/06 社会評論社)

3)「随(かんながら)神」意識の扉を開く鍵―(阿部敏郎 2010/5 ナチュラルスピリット)にも登場するが、この時はすでにシャンタンとなっており、描かれている時代は1980年代の末から1990年代の初めにかけてのことである。

4)宮井陸郎(みやい・りくろう)
 1940年生まれ。映像作家。代表作に2台のプロジェクターを使用する「現代精神の現象学」(67)など。74年、大丸ミュージック(東京、神戸)での「アンディ・ウォホール展」を企画。75年インドへ渡りヨガや瞑想を学び、以後インド、ネパール、タイなどで東洋医学の医者をしていた。2008年に帰国。
p397「執筆者略歴」

5)映像作家と東洋医学の医者、では、かなりのイメージの開きがあるが、芸術畑での紹介でなら、このような紹介も可能なのであろうか。よそ様の経歴の書き方にどうのこうのと言える立場にはないが・・・。私は最初1977年、インドで会った。その後、継続的に交流はあったが、日本人の私たちの目の前から1992年頃に姿を消したあと、一時死亡説も流れたが、彼がふたたび日本人の友人たちの目の前に現れたのは2005年春のことであった。

6)何はともあれ、この本においては、映像作家としての宮井陸郎が発言している。実はこの本、他の部分もかなり面白く全体が興味深い。別な角度で通読したいが、今回は、実に変則的ではあるが、ピンポイントでフォーカスし、4人対談で彼が発言した言葉のみを再録するにとどめる。

7)座談会=技術・思想・表現 「未来とむきあっているもの」 磯崎新 武満徹 宮井陸郎 松本俊夫(司会) 「季刊フィルム」第2号所収/1969年2月)。1940年生まれの宮井29歳の時の弁である。ちなみに私はリアルタイムではこの雑誌の存在さえ知らなかった。だが、1980年前後に瞑想センターの連絡場所を置かせてもらった仙台のスナック「サンハウス」太田道夫氏は、カメラマンの道を歩いていたので、リアルタイムで、宮井陸郎の名前を知っていた。

8)宮井 新宿のフーテンで安土ガリバーという男の子がいるんだけど、その男が「LSD」というスナックで映画会をやったわけです。かれの言葉では、ウィズ・フィルム(フィルムと共に)という集まり(シチュエーション)をやったわけです。

 スクリーンには、ただ延々とスウィッチだけが写っていて、まわりはゴーゴーの絵がかかっている。それだけのシチュエーションです。そのスウィッチに手がでてきて、OFFになっていたのをONにする、まわりの電気がパッとつく。

 これだけのアクションがあった時に、スクリーンはひとつなんだけど、マルチ・スクリーンなどとは違う別個の映像に対する考えかたがあって、それが面白い。マルチというのは結局映画の延長だと思うけど、ガリバーの場合はエクスパンドといっても、メディアがもっと日常化され、ウィズ・フィルムというパーティ自体のなかへと拡張している。

 スクリーンの拡張ではなく、日常のなかへ拡張されてゆくことが、より面白いとぼくは思うんです。p111

9)宮井 エクスパンデッド・シネマといっても、映画じたいの可能性を拡げてゆくことと、スペース・シネマというか、インテリアとしてシネマを使うといった具合に環境的なシチュエーションの変化をはかるということと、ガリバーの場合のコンセプト・シネマというか、シネマ自体を考え直していくということとは、違うがあると思うんです。

 ぼくは、スペース・シネマとか、ガリバーのやっている形が面白いんじゃないかなと思うんです。p112

10)宮井 ぼくは、内的なものとか、イマジネーションなんて全然信じないな。むしろ、テクノロジー自体のイデオロギーが必要だという気がするんですよ。たとえばコンピューターを使ってケネディの顔を描くというのは、全然面白くない。イマジネーションがあって、その表現のテクニックとしてテクノロジーを使うのではない時代なのではないかと思うんです。 

 つまり、決して内的なイメージだとか、イマジネーションということに対してプロフェッショナルでなければいけないのではないか。そういう気がするんです。ここでは一元論のほうが先行するわけで、ぼくには個人だとか人間というものが信じられないというか、そうではないコミュニケーションの時代にきているという実感が強い。

 今のコンピューター・アートの例をとると、コンピューターを使ってケネディを描くというのは、もっとも現象的で、機械が人間のすることを真似ることが面白いという興味だけだと思うんです。もう一歩進むと、コンピューターなり、テクノロジーを使って自分の内的なイメージを表現として豊かにしていくという考えかたがあると思うんです。これもぼくは全然面白くないと思うんです。

 そうではなくて、いわばテクノロジー自体の思想というか、システム自体の思想というか、こういうものが映画の場合でも現れてくるのが当たり前の時代にきていると思うんです。ですから、ぼくの考えている映画というのは、当然表現の結果というものは常に与えられてない。観客が参加する参加のしかた自体を映画がつかまえていくというものなんです。

 もう少し言うと、コンピューターが自己学習を行っていくということが最近話題になっていますね。自分みずから発展してゆくという、今ではそういうテクノロジーの時代なのであって、人間がテクノロジーをどう使うかとか、人間とテクノロジーが対立するものだという時代はもう終わっている。

 あるいは、融合して表現を使いましょうという考え方も面白くなくて、テクノロジー自体の思想は何か、ということのようがぼくにはより面白いんです。p117

11)宮井 さっきのロボットの話が面白かったので、もう1回そこに話を戻すと、ぼくのガキ時代にロボットといったら機械を考えた。しかし、今のガキは人間の脳を持ったサイボーグを考える。人間の心臓移植などが反映しているわけですよ。機械が人間化する、これが違うことだと思うんですね。

 手の延長で機械が生まれてきて、機械が手になっていく。ことにロボット学会でやっていることなんかは、体温があって動いて、記憶させてジャンケンさせる。そういう完全な手をつくる。そうなると機械ではないんです。そうじゃなくて機械が自己増殖するようになるんだと思うんですよ。

 コンピューターの能力をきたえて、学習させてゆく。これがテクノロジーの思想なのであって、そこまでいったところで、今までの内的な表現衝動によって芸術というものを考えたこと全く違った、いわばシステムの問題が芸術の今日的な問題になってくると思うんです。p121

12)宮井 それは、プログラミングの部門が具体的な条件におかれたほうがいいと思うんです。ただ、プログラマーがいてプログラミングするのではなく、乱数表のあたるものがお客さんだったり、シチュエーションのいろいろな条件であるというほうが、面白いと思うわけです。p123

13)宮井 しかし意識にかかわっているということを言わずにすむ状況じゃないかと思うんです。p123

14)宮井 古典的に、原理をさし示すという形では、なんにもできないんじゃないか。p124

15)宮井 そういう純粋化された形でのことというのは、考えられないんじゃないかな。もっと具体的に、「LSD」というスナックであるとか、アングラ・ポップであるとか、そういう具合に、より細分化された具体性のなかにしか、エクスパンデッド・シネマなんてものもないんじゃないか。

 だから、作家という意識とか、世界と自分とが一対一で対応するような表現というのは、ちょっと考えられないわけです。p124

16)宮井 ぼくなんかは、世界と自分とか、芸術と自分というふうにいわないで、ピンと自分とか、着ているものと自分とか、ゴーゴーと自分とか、そういう具合に考えるわけで、もし芸術というものがあるとしても、それもそんな程度のものと等価じゃないかと思うんです。

 松本さんはオプティミズムだといったけど、現代はオプティミズムという形でしかニヒリズムもない・・・・・。p124

17)宮井 ぼくなんかはコンピューターのほうがネイチュアなんです。ぼくらがガキだった頃、花や蝶がネイチュアだったような意味で、ジョン・ケージにとっては、やはりコンピューターがネイチュアなんだっていう感じがしますね。

 ケージがコンピューターを日本の水車と同じだと言ったのは、非常にオリジナルですばらしい。p126

18)宮井 ぼくなんかは、こうやろうという意識はないですね。受け身になっちゃう傾向が強いんです。p127

19)宮井 インターメディアという場合も、50年代後半には総合芸術とか大衆化という形でジャンルの統合が問題になったけれど、今は風俗とテクノロジーと、そういうメディア自体のシステマティックな考え方が問題なんですね。p128

20)宮井 なげやりな言い方をすれば、いろんなメディアが勝手に出会ってくれれば、ある意味の組織化は行なわれるでしょう。p128

21)宮井 ぼくは映画なんか関係ないですよ。磯崎さんが都市計画、環境計画をやるように、それと同じことをしてるだけだと思うんです。ファッションもあるし、遊びということもあるし、映画といわれるとなにかしっくりこないな。

 エクスパンドということがシネマから発しないで、生活全体から発するほうが面白い。映画っていわれると「ナンダ、エイガ」って気がするんだな。p128

22)宮井 ゴダールは、よく、朝おきた時、自分は映画をつくりますっていうでしょ。ところが、実際「ウィークエンド」を見ていると、ずっとロマンティックで、朝おきた時に、水を飲んだり、新聞をよんだりする行為と等価でつくってないというところが不満なんですよ。p131

23)宮井 職人的という言葉ではないけれど、それをぼくは赤瀬川原平の零円札なんかには非常に感じるんです。赤瀬川が零円札という1枚の紙幣をつくるために200時間をかけ、毎日毎晩1ヵ月の時間をかけて、細かく書いていってつくりあげたという、非常に陽気な形で現れるんだけれども、そういうニヒリズムは。

 そういうのを”職人的”ということでいえば、わかるんですよ。ぼくはよく「ラフ・イズ・ベスト」っていうんですよ。それは赤瀬川が厳密さによって書くことと裏返しの形でつながってると思うんです。p132

24)宮井 ぼくなんかはそういうひとつの結果というか、そういうひとつの表われかたがショックなんで、意識に対してではないと思うんです。p133 「季刊フィルム」第2号所収/1969年2月)

25)あまりに変則的な抜き書きなので、脈絡が不明な点も多いが、彼をすでに知っている人にとっては、69年当時において、彼がこのように発言していたということは、よくもわるくも興味深いのではないだろうか。とくにコンピューターやテクノロジー、アートについての考え方は、熟成され、きちんとまとまってはいないとしても、かなり明確な方向性を語っている。ある意味では、2010年代のリアルな現実を「予言」している、と言えなくもない。ただ、そのことが、「現在」の「彼」とどう結びつくかは、今後の課題であり、ご本人の弁を待つしかないかもしれない。

26)蛇足ながら、彼の父は夏目漱石研究家の宮井一郎である。

27)宮井陸郎 「映像と音でバックするキネディックなエレクトロニクス・エンヴァイラメント」p117

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