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2014/07/14

「死の淵を見た男」 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日 門田 隆将 (著)

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「死の淵を見た男」 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
門田 隆将 (著) 2012/11 PHP研究所 単行本 380ページ
Total No.3294★★☆☆☆

1)一読して、この本は「嘘」が多いと思う。少なくとも、この本は、吉田昌郎一人を書いた本ではない。3・11当時の原発事故において、福島第一原発に携わっていた多くの人々のことが書いてある。別段に吉田を中心に書く必要などあったのだろうか。

2)ふたつめに、500日と語っているが、そういうことでもない。敢えていうなら、この本に書かれているのは、事故後の100時間であり、せいぜい500時間と言っていいだろう。この本がでたのが、事故後の500日あたりだったので、本を売るための戦略として、このようなタイトルができたのだろう。

3)もっと言うなら、吉田はこの本がでた7ヵ月後にはガンで死亡しているのだから、「死の淵を見た男」というタイトルも、どうも的を外しているように思う。

4)いろいろ言われていることだが、事故後の当時の首相だった管直人のことを悪く書いているのも、私はあまり面白くない。別段に反論材料があるわけではないが、官邸と東電がぶつかっている時に、まずは東電側の心情を先行して書いていることが、私は面白くない。

5)反論として、管直人の後日のインタビューや述懐を付け足してはいるが、つねに視点は東電側にある。

6)この本自体が、東電関係の多くの人々へのインタビューや取材で成り立っている以上、その協力者達への配慮から、これらの人々を悪く書くことはできない。それは理解できる。そして、このような一冊が残されたということは、後年における再検証の点からも、大変貴重なことではあると思う。

7)しかし、ひとりの人間として見た場合、あまりに東電の視点から物事を見過ぎている。すくなくとも、そもそも論として、原発の是非がまったく語られていない。原発ありき、偶然おきた原発事故に、自らの命を投げ出して戦った「美談」として語られ過ぎている。

8)今回の3・11に限らず、歴史的にも、世界的にも、苛酷な状況を戦った人々は多くある。その中のひとつの「美談」として、このレポートを鵜呑みにするわけには行かない。

9)少なくとも、吉田を始め、この本に登場する人物たちは、「すべて」原発推進派というばかりではなく、その存在によって、生活を成立させてきた人々である。事故があったら、その任務を全うするのが当然であるはずであり、大仰な賛美は避けるべきだ。

10)むしろ、当事者、責任者たちでありながら、後ずさりした人々の姿も若干書いてあり、その人々の「無責任」さをこそ問うべきである。

11)この本においては管直人のことを、まるで道化役として書いているが、それは納得できない。むしろ、一般人の感覚を持っていたのは管直人のほうであり、当時の首相としての、「責任」の持ち方が、「東電」側から見た場合、滑稽に映ったかもしれないが、全体として見た場合、滑稽な位置へとはみ出してしまっていたのは、「原発」そして推進派そのものである。

12)つくづく思う。原発はやめようよ。原発は人間にはコントロールできないのだ。無理なのだから、それを変な「美談」で歪曲するのだけはやめよう。

13)大きな視点から見れば、吉田は、単に現場指揮官の一人に過ぎないのだから、その蔭にいる、大きな資本や「意志」こそ糾弾されるべきだろう。「木口小平は、死んでも口からラッパを離しませんでした」なんて「美談」で、現場を括られてしまってはいけない。

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