「麻原彰晃の誕生」 高山文彦 <2>
「麻原彰晃の誕生」
高山文彦 2006/02 文春新書 p249
石川裕人(ニュートン)蔵書市の第12弾。当ブログなりに麻原彰晃との一団が引き起こした事件を、ずっと時間をずらしておっかけてみたが、この本は、出色の一冊だった。麻原の生い立ちを尋ね、類本に見ないじっとりとした姿勢で事件の本質を追う。
ニュートンがこの本を読んだのは、2006/02/25。この本もまた彼はリアルタイムで購入している。ここまでやられると、実に、私なんぞは、出版されてすぐ購入する本などというものはないのではないか、とさえ思えてくる。
ましてやすでに書店から本を購入するのをやめて、図書館から借りるのを中心としてからは、リアルタイムで新刊本を読むということはほとんどなくなった。あったとしても、月一度くらいの書店での立ち読みで済ましてしまうことがほとんどである。
それでは身につかないでしょう、という向きもあるかもしれないが、身になどつかなくても構わない。所詮、読まない本を購入してツンドクにしてしまうより、月遅れの図書館本でも、こうして読書ブログにメモしておけば、それなりに、自らの情報源には成り得るのである。
それにしても思いだすのは、彼の芝居を決定的に見なくなったのは、1995年の、いわゆるオウム事件の直後に、彼がオウムを「おちょくって」書いた芝居が、あまりに私の視点と違っていて、ああ、これは、全く違うと痛感してからだった。
私には、芝居を「見る」という行為が、まったく意味をなさなくなったのは、あれからだった。
あの問題は、今だ解決していない。いずれ、あの問題に再突入しなければならないだろうと、覚悟はしているが、どうもいまいち意気があがらない。
おそらく、彼のほうが、あの事件や、その背景にあることごとを、少なくとも私よりかは、客観的に見ることができる立場にあるように思う。そして、彼は「共感」的よりかは、「冷笑」的に、あの事件を見ているだろうと思う。
そうしてみると、私は逆に、彼よりかは、もっと身近にあの事件を「感じざる」を得なかった、ということになろう。だからこそ、私はあの事件を再点検しようという気分になるまで10年かかったということになる。
私がこの本を読んだのは2007/.07/29。この本自体、いわゆる一過性のブームに遅れること10年を経過しての出版だったのだが、私はやはり一年半遅れのタイミングで読んでいる。この本は、読んでいて、ちょっと恐ろしくなった本である。
そう言えば、 「オウム帝国の正体」(一橋文哉 2000/7 新潮社)なんて本も怖かった。おそらく、ニュートンは、こちらの本もリアルタイムで読んでいたに違いない。蔵書市では見つけることはなかったが。
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