「演出家の仕事」 六〇年代・アングラ・演劇革命/日本演出者協会/西堂行人<3>
「演出家の仕事」 六〇年代・アングラ・演劇革命 <3>
日本演出者協会/西堂行人(編) 2006/02 れんが書房新社 単行本 p269
★★★★☆
石川裕人(ニュートン)蔵書市の第19弾。この本についてもすでに何度か触れている。60年代、アングラ、演劇革命、というフレーズにおいては、私もニュートンも、遅れてきた青年に過ぎない。私たち当時の高校生がアングラに触れるのは1970年であり、演劇センター68/69(黒テント)にしたって、私たちが見たのは1970年になってからだっただろう。
一方、現在の私は、ある仲間うちから「アンダーグラウンド会議室」というネット集まりに誘われており、60年代に始まる「アンダーグラウンド」流れのアーカイブズを作ろうというグループに属している。
おそらくこの名前のこの目的のグル―プのメンバーとしては、私はふさわしくないだろう。60年代において、そのようなものに関わってはいないし、蔵書も少なく、知らない、というのが本音である。
ただ、私が思っているのはこのグループは、自分たちの言いたいと思っている「うごめき」に対して、つける名前をまだ的確につかんでいないのであり、おそらく「仮称」が前についているのだろうと、いうことだ。
アンダーグラウンド、カウンターカルチャー、ニューエイジ、ビート、ビートニク、ヒッピー、叛文化、グリーン派、反体制運動、学生運動、スチューデント・パワー、全共闘、全学連、地域闘争、反原発、フーテン、フリークス、イッピー、・・・・ などなど、ある時期からのうごめきは、さまざまな言葉で語られてきたが、どれも全てを包括するような使われ方はしていない。全ては不完全であり、他の何かの要素を含みつつ、しかも独立して離れているわけではない。
私は、結論としては、私自身のブログの中の中枢を名付けるなら「地球人スピリット(・ムーブメント)」というのが、一番だと思っている。ここが核心であり、より深化すべきものとしてある。
さはさりながら、はてさて「アンダーグラウンド」とは何か、という、古くて新しいテーマにまたまた直面することになる。60年代新宿の風月堂にくわしいフーゲツのJUNによれば、「アンダーグラウンド」の名付け親は、金坂健二であるという。かなり信ぴょう性のある説ではあるが、当ブログとしては、まだ結論をみていない。
はてさて、我が友ニュートンにおいて、晩年のブログを見る限り、自分の理想とするのは「アングラ」であり、やりたいことは「アングラ・サーカス」である、と言っているようだ。
彼においてのアングラとは、いわゆる60年代文化の踏襲であり、かつ、サーカスとは、テントであり、野外であり、吊りものや、階層的な仕掛けにあるだろう。火あり、煙あり、水あり、光あり、のサーカス的アングラ芝居、それをやりたかったに違いない、と思う。その代表作として彼は自身の「時の葦舟」を脳裏に浮かべるのである。
宮沢賢治にまつわるPLAY・賢治シリーズや、シニアに提供したシリーズでもなく、子どもたちに提供したシリーズでもなく、あるいは社会派的批評劇でもなく、寸劇でもない。とにかく、彼は、そう表現するしかない「アングラ・サーカス」をやりたかったのである。
ニュートンは、この本を2006/05/16に自らの蔵書リストに収蔵している。発行が2006/02/15であるが、おそらくこの本は店頭に新刊本として並んだのではなく、誰かの紹介かカタログを見て、書店などに注文したのではないだろうか。
アングラ、という言葉を、60年代的文化の形容詞とみるなら、「まだなにも終わっていない」と言うコピーは、むしろ宙に浮いた空虚なものになるだろう。
ここはむしろ、60年代に生まれながら、その中核的なスピリチュアリティにおいて、いまだ命脈を保っている芸術的エネルギー、文化的足跡、という風に定義づけておけば、むしろ「アンダーグラウンド」というコンセプトは、今後も、確かにまだまだ生きつづけていくように思える。
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