「満月祭」 太鼓と精霊のお祭 福島県双葉郡 獏原人村 8/8~12 <5>
「満月祭」太鼓と精霊のお祭 <5>
福島県双葉郡川内村下川内 獏原人村 2014/8/8~12
★★★★★
1)獏原人村の象徴と言ったらなんだろうか。ずっと40年近くも住み続けて来た「村長」のマサイカップルそのものが象徴であるかもしれない。あるいは、年に一度のこの夏の「満月祭」こそが獏原人を表しているかもしれない。それとも、最も地域の人々に認知されている「自然卵」の生産を思う向きもあるだろう。どれもが象徴と言えるかもしれない。
2)しかし、その中にあっても一番高台にあって、もっとも大きい建築物であるドームを思い起こす人も多くあるだろう。
3)このドーム、豊かな大自然のふもとにあり、どっしりとして穏やかな佇まいを見せているが、中に入ってみると、実にデカい。
4)中ではミニコンサートやセレモニー、雨天時のメインイベントなどが行なわれている。あるいは沢山の蔵書を擁する図書館でもあり、小さな子供やテントを持たない人々の宿泊場所であったりする。
5)このフラードーム、そもそも工法はどのようにして作られたのだろう、とも思うし、相当に経費もかかっていそうだな、とも思う。そもそも、どのような経緯でできたのだろう。何時か誰かに聴いてみたい。
6)ところで、このフラードームについて、60年代カウンターカルチャーの象徴とも言われる、ホール・アース・カタログの編集長スチュアート・ブランドは、最近、「スペクテイター」<30号>のインタビューで次のように発言している。
失敗ね。たとえば「ドラッグ」、「コミューン」、「フリー・ラブ」なんかがそうだ・・・・・あとはバックミンスター・フラーのドームも忘れてはいけないね(笑)「スペクテイター」<30号>(2014/05 幻冬舎)p071「スチュアート・ブランド」
7)この人物は良かれ悪しかれ論争的な存在としては知られているが、最近では「地球の論点」 現実的な環境主義者のマニフェスト(2011/06 英治出版)で次のようにも発言している。
有力な環境保護論者のなかでこれから増えていくだろうと私が予測しているタイプは、仕方がないから我慢する、という「消極的忍耐派」だ。彼らが核エネルギーへの支持を表明する際には、複雑な言辞を弄してわざとわかりにくい表現にし、発言が引用されないよう気配りをしている。スチュアート・ブランド「地球の論点」 現実的な環境主義者のマニフェスト(2011/06 英治出版)p130「新しい原子力 支持派の見解」
8)当ブログは、この数ヶ月から数年、この御仁の言葉に翻弄されていると言っていい。つまり、60年代からのカウンターカルチャーの旗手とも目されてきたこの人物が、スティーブ・ジョブズの講演で更に注目された。より発言力が増しているところで、実は原発推進派に「転向」したかに見える言動を続けているのだ。それは3・11以前に出た本で表明されたものだが、その後、この日本から赴いた「スペクテイター」誌へのインタビューでも、決して後戻りはしない雰囲気である。
9)この人物は、原発を推進し、さらにはここで、かつてカウンターカルチャーのシンボル的意味合いを持っていた「ドラッグ」、「コミューン」、「フリー・ラブ」、「バックミンスター・フラーのドーム」などを、ことごとく一挙両断して「失敗だった」と決めつけているのである。
10)異論も多くある。論争を呼び起こす発言である。さすがに「地球への論点」という挑発的なタイトルをつけるだけはある。当ブログとしては、最近この人物の発言は眉つばものとして、一歩も二歩も距離をおいて読んでいるのだが、しかし、痛し痒しのところを突いてくるのは確かなことで、「論点」である限り、できれば「クリア」に論破してみたいものだと思う。そう思うのだが、あせって拙速な結論には持ち込まないでいる。
11)ところでさっき知ったのだが、関ちひろさんという方がいらっしゃる。この方、昨年の獏満月祭のステージに出演している。どうやらこの方は、最近の青森県六ケ所村の村長選挙に立候補し22票を獲得したようだ。だが、その後、なんらかのトラブルに巻きこまれているようである。現在ハンストまでしているという。26日目とか。
12)細かいことはよくわからない。結局は自分が自分を生きる以外には何もできないのだが、ただ、60年代以降、カウンターカルチャー的傾向の元で、ある種の典型とされてきたライフスタイルが、時代とともに見直され、また否定され、また復活したりしているようだ。
13)今日のこの書き込みは実にまとまってなくて、そして問題含みなのだが、敢えてここで一つだけ当ブログとして言っておきたい。もし過敏な脱原発派なら、福島第一原発から数十キロにある獏コミューンには住めないし近づけない、ということになりかねない。しかし、獏コミューンに何らかの意義を見つけ、今後もこの地に留まり、あるいは訪れてみたい、とするならば、何らかの形で原発との距離を見つけなければならない。(下の画像は友人の友人のFB写真からのお借りしました)
14)スチュアート・ブランドのように「消極的推進派」などとは言わないまでも、明日から線量がゼロ(元の数値)にならないのである限り、私たちの残された人生は、どのような形であれ、原発とは「共存」していかなくてはならないことになってしまっている事実は、認めなくてはならない。
15)難しい時代になった、と嘆くことは簡単である。でも、それだけでは「解決」しない。何事かの「解法」があるとするなら、すこしづつでも、その歩みを止めるわけにはいかない。
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