「八〇年代・小劇場演劇の展開」 演出家の仕事③日本演出者協会+西堂行人<4>
「八〇年代・小劇場演劇の展開」 <4>
日本演出者協会+西堂行人 2009/10 れんが書房新社 単行本 305p
★★★★★
石川裕人(ニュートン)蔵書市の第18弾。すでに何度か触れてきた本書である。個人的な彼との双方向性を考えるなら、互いの80年代を解くカギは、片やOSHO「ダイヤモンド・スートラ」にあるだろうし、片やこの 「八〇年代・小劇場演劇の展開」にあるだろう。
彼は、この紹介文をおそらく自分で書いたのだろうが、彼自身はこれで満足していただろうか。正直言って、私は満足していない。
そもそも彼は自らを山形県東根市出身と「偽って」いるが、実際は、そこは母方の出身地であり、母が御里帰り出産をしたとはいうものの、そこを出身地というのは、宮城県人の私としては納得いかない。むしろ、塩釜市出身の父親の出身地を語るべきではなかったのか。少なくとも、幼くして名取市に移住したのだから、名取市出身としても可笑しくはなかった。だが、彼は敢えて、山形県出身を主張した。
80年代の十月劇場からスタートしたように書いてあるが、それもちょっと待ってほしい。小学校時代の学芸会までは遡らないまでも、高校時代からスタートした劇団「座敷童子」、そして高校卒業後に組織した劇団「洪洋社」は、すっぽり抜けおちてしまっているのではないか。これでは当時関係した人々が、ちょっとさびしい思いをする。
少なくとも、劇団「座敷童子」時代に情宣を一部担当した私としては、自分のいる位置がなくなってしまう。そう言った意味においては、いしかわ邑人、石川邑人などのペンネームも、どこかに起き忘れ去られてしまっている。80年代における彼は、そういう形で、自らを「演劇人」として「演出」していった。
この本には、この本の出版にまつわる私文が残されている。
しかしまた、彼の側から見えた私も、いよいよ問題であっただろう。せーこーはせーこーだろう。Bhaveshだなんて「偽名」を使ったところで、お里は見えている。何をあいつはやっているのか。キャリア・ロンダリングはさせないぞ。
まぁ、お互い、そういう位置関係にいた時代だった、ということになろう。(笑)
本を大事にする彼は、当然のことながら、この本の腰巻も大事に保存している。著者から発送されたのが2009/10/14。受け取って収蔵したのが、巻末の鉛筆メモから2009/10/17だったということが分かる。
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