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2014/09/22

「野性の実践 」ゲーリー スナイダー <2>

<1>よりつづく 

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「野性の実践」 シリーズ・ナチュラリストの本棚
ゲーリー スナイダー (著) Gary Snyder (原著), 重松 宗育 (翻訳), 原 成吉 (翻訳) 1994/08 東京書籍 単行本: 270p

 アウトドア雑誌の「ウィディライフ」を創刊号から揃えているよ、という人がいる。渓流釣りにくわしくて、各地の情報を握っている人もいる。木に触れる生活がしたい、という人もいる。それぞれが個性的で、なるほどと思わせる。

 しかし、私ならそのアクセスポイントだけでは、山の椒には届かないだろう。どこか必然性がなく、動機が弱い。もし私が山の椒に届こうとしていて、しかも、今生では、これ以上のチャンスはもうこないだろう、と思うとするなら、それはこの「野性の実践」というフレーズに突き動かされているからだろう。

 何を持って野性と言うのか、何を持って実践というのかは、それぞれの範疇にある。スナイダーにしたところで、その住んでいるキットキットディジーも、本当のウィルダネスである、とは言っていない。人間の手の入った、多少なりとも加工された自然なのである。

 しかしながら、比較の問題とは言え、多少なりとも自然の方へ、大自然の方へ、野性の方へと導かれるとするならば、それは内なる野性と符号する何かを外部に求めている、ということになろう。

 山の椒にいて、ふとコンテナハウスで目が覚め、気付いて見れば、夜中の2時半。還暦男であるから、多少早い時間に寝てしまえば、それ相応の時間に目が覚めてしまうのは、至極当然のことだ。

 体を温めるためと、二度寝の薬として、マイカップに注いだ焼酎に少しの水を足して手に持ち、山の椒のベランダにでてみると、外は満天の星空である。一週間前と同じように雲ひとつない夜空である。先週と違うのは月がないこと。二十六夜であった。

 毛布にくるまり、リクライニングチェアに座って空を見ていると、実に奇妙な気分になる。こんな角度で、これほどの近くで、こんなに沢山の星を見ているなんてことは、まず今までなかった。星以外の光がないのだ。
 

 空を見ていると、視覚の片隅を、瞬間的に流星が流れていく。ほんの瞬間的なものだ。方角と長さ程度は分かるが、それをキチンと目の中心で捉えることはない。チェアに座っている数時間の中で6~7個見えた。

 それと、今回初めて気がついたのは、人工衛星ってやつは結構飛んでいるんだな、ってこと。山の椒においては、これがよく見える。大きさは他の星とほぼ同じ大きさか、もうすこし小さいのに、ある一定時間、ひとつの方向へ飛び続ける。

 流星のように一瞬で消えてしまわないから、自分の視覚の中心において、その奇跡を追うことができる。時間にして数分みていることもある。山の稜線近くなるとぼやけて、消えていく。この人工衛星も、数時間のうちに6~7個見つけた。あちこちの方向に動いていく。

 そして、当然のことだが、夜空を見ていると、数時間のうちに天球そのものが動いていく。西の山の稜線にかかっている星や星座はひとつづつ消えていく。山の木々のシルエットの中に溶け込んでいくようだ。

 そして4時半ともなると、東の空がどことなく黒から薄くなり始め、空全体が明るくなる。星の数は減り、星座も減り、やがて主だった星だけが残り、最後の最後の星も消えて、そして、朝がくる。

 その頃には、もう早起き鳥が鳴きだす。

 街にいたら、こんな早い時間から起き出すことはないのだが、森の中にいると、自然と体が動きはじめる。あれこれ仕事が見えてくる。草を刈り払い、木々の枝を払う。道を広げ、水のパイプを治す。車の位置を変え、ハウスの周囲のあれこれに手をいれる。

 友が来れば、雑草を払いながら、山道を歩く。長靴。動物よけの鈴。手に持ったナタ。からまる蔦、足元に絡みつく下草。それらを刈り払い、足を進める。友との談笑の声も、決してうるさくはない。どこまで大きく笑っても、その音を、森は吸い込む。

 今年、あるいは数週間前に生え出したような小さな植物もあれば、年輪にすれば、私の年齢をはるかに超える大木もある。それぞれにつけた小さな花たち、木の実たち。ちぎっては匂いを嗅ぎ、切りとっては食べてみる。

 あれもこれも、ここに入ってみないと分からないことばかり。行くたびに表情を変える山道、森の植物たち。

 アケビ、ホップ、栗、ササ、いまならススキが最盛期。

 ここを刈り払い、道を作ることだけが、やりたいことではない。この中にいて、歩いていることそれ自体がやりたいことなのだ。自らの中の野性が目覚める。かよわく隠れていて、もう見えなくなっていたと思っていたのに、むくむくと起き出す。

 野性の実践。このフレーズこそ、私を山の椒につれていく最大の呼び掛けである。

 この本を前回読んでいたのは3・11の9日前。2011/03/02のことであった。

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