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2014/09/07

「蝶を放つ」 長澤 靖浩 <2>

<1>からつづく

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「蝶を放つ」 <2>
長澤 靖浩(著) 2014/08 鶴書院単行本: 143p
★★★☆☆

 早い、もう届いた。さっそく読んでみようかなぁ、と思ってパラパラめくってみると、割と、スカスカの字面である。前回の。「魂の螺旋ダンス」 (2004/10 第三書館)は、巻末の参考文献の羅列を見てもわかるように、なかなか難解そうなイメージの一冊だった。

 今回は、高校生時代に読んだ「赤頭巾ちゃん気をつけて」を読んだ時のように、文字が大きく、行間は広く、文面もそう難解きわまる、という程でもなさそうだ。これなら、苦手な小説もよめるかもなぁ。

 腰巻には、なにやら芥川賞作家が推薦の弁を述べておられるが、こちらはとかく勉強不足で、何賞かに賞を取ったなどと言われても、チンプンカンプン。というか、そういう賞をもらったとかいう作家の意見にまるで同調できないことも多いので、あまり気にはしないことにする。

 ところで、この「蝶を放つ」というタイトルは、どういう意味を持っているのだろう。などと考えて始めている時に、ちょうど、バーベキューを今度の週末にやろうよというお誘いがあった。いろいろ古い文献をひっくり返しているうちに、ある一つの符号を見つけた。

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 3・11直前、私(たち)はあるひとつのプロジェクトに取り組んでいた。あるスペースを、もっと活用して、より意義のある参加のしかたができないか、というものである。そこにはいくつかのキーワードがあり、もともとは、「山の椒」という名前のつく、しぜん菜園だった。

 その山の椒というネーミングは、どこから来たのかと言えば、その土地に自生している山椒の木からのインスピレーションだと住人は言った。なるほど、そうなのか。そして、それにシンボルマークを考えていたデザイン担当のHさんは、上のような蝶をイメージしたマークを提案した。

 山椒の木には、アゲハ蝶の幼虫(そう、あの特急列車のような毛虫だ)が寄生するという。山椒の葉を食んで、幼虫は大きくなり、山椒の木から巣立っていくのだ。

 いったんは出来上がった第一案のこのマークデザインは、実はあまり活躍することはなかった。2010年暮れから企画が始まっていたこのプロジェクトは、実は2011年に起きた3・11大災害で、形としては頓挫してしまったからだった。

 山椒の木に寄生していたひとつのプロジェクトは、見事に成長したとは決して言いがたい。ほとんど仮死状態になってしまっていたのだ。それはひょっとするとサナギになって固まっていた、とも言えるのかもしれない。

 幼虫というものは、いつサナギになって、そしてどのくらい時間が経過したら、そこから飛び出して蝶として羽ばたいて独立していくものなのだろう。

 この山の椒、そもそものネーミングは「しぜん菜園」である。そこに後から押しかけた私(たち)は、「エコビレッジ」という概念を追加することによって、何事か自分たちの参加できるスペースを見つけようとした。

 しかし、その試みが効果あったのか、逆効果だったのかを確かめる間もなく、私(たち)は3・11に遭遇した。サナギ化したこのプロジェクトが目覚めるまで、3年半の時間が経過した。いや、本当に目覚めたわけではない。目覚めるきざしが見えてきた、という段階である。

 ところで、このサナギからでてくる蝶は、ひとりでに飛んでいくものだろうか。それとも、「放たれる」必要があるのだろうか。「放たれる」必要があるとするならば、それは「誰」に放たれることになるのだろう。

 私は、蝶は、一人でに「飛び立って」いくものだと思う。それは蝶の意志なのであり、幼虫である毛虫やサナギは、蝶として飛び立っていくための準備に過ぎない。それはもともと仕組まれた大いなる「方向性」なのである。

 すくなくとも、山の椒は蝶として飛び立つ季節が訪れてきているようだ。すくなくともその気配を感じ取っている。はて、この蝶としての「山の椒」は、しぜん菜園としてのもとのサヤに収まり続けたいという「意思」を持っているのだろうか。それとも「エコビレッジ」(あるいはさらに別な何か)への変身(トランスフォーメーション)を期待しているのだろうか。

 そこにある「主体」は、一体なんだろう。

 さて、この小説において、「蝶を放つ」とは一体何事であろう。蝶を放つとは、成虫となった蝶を一度とらえておいて、そしてもう一度「放つ」のだろうか。それはまるで、夏休みの子供が、一度虫網で捕まえた蝶を虫カゴに入れ、あとからまたその虫カゴをあけて、蝶を空へと「放つ」のであろうか。

 文章としては、そのようにも読める。

 もし、サナギから羽化して蝶になっていく瞬間を手助けして、空へと舞い上がるのを手伝うとするのなら、その時、「放つ」という言葉は、あまり適格ではないと感じる。

 なんであれだ、このタイトルが、結局はどのような比喩を含んでいるものか、今はわからないにせよ、蝶を「放つ」とは、かなり傲慢な言葉なのではないか。

 蝶を捕まえておいて、そして放つ、それは一体、誰?

<3>につづく

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