「蝶を放つ」 長澤 靖浩 <3>
「蝶を放つ」 <3>
長澤
靖浩(著) 2014/08 鶴書院単行本: 143p
★★★☆☆
蝶を放つ、蝶を放つ、と呪文のように繰り返して見ると、私の中に、もっと他の、いくつかのイメージがあることが分かってきた。一つは、かれこれ私が十歳の頃のことである。
当時は、1960年代の半ば前、東京オリンピックが日本経済に火をつけようというタイミングであったのだろう。私が生まれた農村地帯は、川の流れにそって、西から東と、つまり奥羽山脈から太平洋へと流れる用水路にそった形で集落ができていた。
その東西の集落は、南北に走る国道パイパスに真っ二つに裂かれることになる。南へ行けば、そこは東京である。そして、北へ北へと走っていけば、そこは青森や北海道に続くはずだった。
自家用車の数もすくなく、モータリゼーションが爆発する寸前の出来ごとであった。まだヒッチハイクは少なく、自転車で旅する、いわゆるサイクリングというものが流行っていた。ある時、その少年、とはいうものの私よりも5歳か7~8歳も上の高校生だった。彼は、山形から自転車でサイクリングで登場した。
夕方になり彼は、テントを張るために我が農家の敷地を貸してくれと言ってきた。それは構わぬが、どうせなら、家の中にお泊まりなさいと、家族みんなで接待したのだった。その風景は、とてもなごやかなものだった。彼は翌日になって旅立った。私はその山形の高校生を好きになった。
それは夏休みのことであった。私は別に昆虫採集が大好きな小学生でもなかったが、とりわけその時は、いろいろな蝶を捕まえた夏だった。その中でも、特に変わった蝶がいた。なにか葉っぱに似せて自分の羽を作っている蝶で、おそらく図鑑かなにかで調べれば分かったのだろうが、私は、あの高校生に「質問」をしてみたかった。
私は三角に折ったロウ紙に蝶を挟み、封筒で彼に送って、この蝶の名前を調べてほしい、と書こうとしていた。しかしその時、まだ40過ぎだった母親は、それでは、蝶の身体の部分が郵送途中でつぶれてしまうので、羽だけを取って、それだけを送るように言った。当時10歳の私は、その母親の言葉に逆らうようなことはまだできなかった。
私は、葉っぱに似た蝶の羽だけを二枚、封筒に入れて、彼に手紙を書いた。考えてみれば、何故にそんなことを考えたのか、今となっては定かではない。しかし、彼は、東西に並んだ集落を、真っ二つに割った南北に走るバイパスの、南から走ってきたのだった。
つまり、私から見た彼は、東京方面からきたマレビトだったのだ。なにか私の知らない未知の、未来の世界からやってきた少年に思えた。だから、彼に、何事かを話しかけたかったのだろう。私はあの時、彼に羽だけの手紙を送ることによって、たしかに、蝶を「放った」ような気がする。
ただ、あの手紙には、返事はこなかった。
もうひとつ、蝶を放つ、で思い出したことがある。私はそれから数年経過して、謄写版刷りのミニコミ小冊子を作ったことがある。16歳高校2年生の時のことだ。私はもう、あの時のヒッチハイクの山形の高校生と同じ年齢になっていた。
内容については、すでに当ブログにも少し書いたが、結局12号で終刊となった。その時の最期の表紙がこれである。
大きさはB5版のザラ紙を更に二つに折った中綴じである。およそ98頁。表紙は、色つきラシャ紙に謄写版で字を刷り、羽の部分は、ゴム版画でスタンプした。1972年3月、私はこの号で個人ミニコミは卒業し、共同でつくる「時空間」へと「変態」していった。
私はこの時もまた、「蝶」を「放った」のではなかっただろうか。
さて、私にとっての「蝶」とは何だったのか。
そして、「放つ」とは・・・・
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