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2014年9月の19件の記事

2014/09/30

「ゴジラ」GODZILLA 1954年公開

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「ゴジラ」GODZILLA
本多猪四郎(監督)、宝田明, 河内桃子他(出演), 映画公開1954 東宝 DVD 97 分
Total No.3330★★★★★

 1954年公開、ゴジラシリーズ第一作。実に私はこの年に生れたのだった。

 私が初めて映画館で観た映画は、深沢七郎原作「楢山節考」だった。この映画1958年公開だから、すくなくとも私は4才になっていた。東北の片田舎にも町はずれに映画館ができた。そのオープンかなにかで、姉や兄に手を引かれて見にいったのだ。あの時は二本立てで、もう一本は「ちびっこプロレス」だった。なんという二本立てか(爆笑)。

 先日、最新の「GODZILLA ゴジラ」 監督:ギャレス・エドワーズ 出演:渡辺謙他(2014公開)をシネマコンプレックスの3D版を見た。最新を見たらば、その原点も見なければならないだろう、と図書館から借りてきてみたものである。

 私がテレビというものを意識したのは1959年の現天皇の結婚式の時だった。これを見たいばっかりに、近所でテレビを購入した家庭があった。その頃のテレビ番組では「ホームラン教室」や「海底人ハヤブサ」などをやっていた。

 親戚でもテレビを買ったというので、期待していったら、午後の休み時間だった。そう、テレビは24時間やっているものではなかった。午後は何も放映していなかったのだ。

 我が家に中古テレビがやってきたのは1963年頃。自宅で初めてみたのは桂小金治主演の「ポンポン大将」だった。あのころ「三馬鹿大将」とか「ちびっこ大将」とか、大将のつく番組名がいくつかあった。

 その翌年1964年になると、東京オリンピックになり、各家庭に当たり前にテレビが入ったばかりか、カラー化が始まり、小学校の教育にもテレビ教育が取り入れられるようになった。

 はてさて、その10年前に、この「ゴジラ」GODZILLAはスタートした。

 特撮は、現在のそれやCGと比べれば、それは確かに質感や量感に劣ること多々ある。しかしながら、テレビもない、映画もまともに見たいことない。ましてや、科学的データや報道されている情報が少ない時代に、いきなりこの映画を見せられたら、人々がトリコになってしまっただろう、と想像するに難くない。

 ゴジラが生まれた経緯や、シリーズ化されて、人々に長年愛されてきた経緯については繰り返す必要もない。とにかくゴジラも60年生きてきた。

 反水爆や自然保護などの思想性をも含みながら、エンターテイメントに徹して、興行的にも成立しつづけてきたということは、絶句するに値する。称賛に値する。

 私は正直言って、このDVDを見る前は、ちょっと揶揄的な、どうせ、そんなもんだろう的な、冷やかし気分でいた。しかし、ストーリーが進むにつれて、どんどん番組の中に吸い込まれていった。

 技術的な古さには目が行くが、むしろ、それらの技術を駆使しつつ、そこに表現しようとする現場のアーティストたちのトータルな取り組みが思われて、つい、落涙しそうになった。

 ゴジラ。いいね。これからは、あまり冷やかさないでおこう。そして機会があったら、このシリーズの他の作品も見てみよう。どうやらうちの奥さんは、子どもたちを連れて、このシリーズの何作かは映画館でみているという。

 ああ、知らなかった。私は全然、こういうシリーズには関心なかったからな~~。話を聞いても、右耳から左耳へと、通り過ぎていっただけだったのだろう。私の場合は、こんなことがよくある人生だった。

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2014/09/29

「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア ジョナサン・ドーソン<3>

<2>よりつづく

【送料無料】世界のエコビレッジ
「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア<3>
ジョナサン・ドーソン/緒方俊雄他 日本経済評論社 2010/09 単行本 145p より抜粋
★★★★☆

 エコビレッジという言葉に惹かれるのはどうしてであろうか。それは個人的には、自分の生い立ちにあると思う。私が生まれた戦後の東北の農村地帯の大型農家のライフスタイルは、ある意味で、エコビレッジという概念に近かった。

 農業を基盤とした地域があり、村落共同体があり、そこに寄り添って生きる人々があり、また、私たちのような小さな子供たちが、遊び学んでいた。まずはそこが原点であり、子ども心に理想化された社会があった。

 それだけ幸せに暮らしていたということでもあろうし、また守られた優位な環境に囲まれていたということだから、必ずしも誰にでも当てはまることではない。

 その原点を切り崩していったのは、まずは高度経済成長の波の中でのバイパス工事であった。川の流れに沿って東西に伸びた村落は、南北に進捗する国道バイパス工事によって、真っ二つに分断された。そこからのいわゆる「現代文明」の進展は、良くも悪くも目を見張るものがあった。

 二つ目の切り崩しては、終戦にともなう憲法や民法の改正により、大家族、長子相続という旧民法の仕組みが崩れていったことだろう。つまり、相続により、相続人たる子は、すべて平等に相続権が与えられたのである。

 三人姉弟の三番目、二男に生まれた私にとっては、むしろ好都合な改正であったので、義務教育で受けた民法等の概念はおおいに私を鼓舞した。

 しかしながら、近隣の農家や、地域の発展を見た場合、この新民法は大家族を否定し、ひたすら核家族化を促進した。おのずと、一戸一戸の農家は機能不全化し、やがては地域の不活性化に繋がっていった。

 三つ目の切り崩しは、1970年前後に起きた「減反」という政策であろう。それまでの日本の農業は食糧不足を補うべく増産増産の連続だった。特に主食たる米は、原野を畑にし、畑を水田に転化することによって、どんどん耕作面積を広げていった。

 しかし、この減反政策によって、水田における米は生産を制限され、またそれに伴う補助金などの政策により、高価格化していった。農業そのものがイビツ化していったのである。現在のTPP問題に繋がる、重大な政策転換であった。

 この大きくは三つの出来ごとが、日本農業、東北の農村風景の、「パーマカルチャー」的要素を次々となぎ倒していった。

 さて、エコビレッジという言葉の中には、いわゆるコミューン的な要素も含まれている。上のような日本的風景の変化の中で、1970年頃から、私はカウンターカルチャーの方に身を寄せることになり、10代から20代にかけて、このコミューン的な活動に参加していった。

 ここでは詳細には触れないが、10代から仲間と共同生活体をつくり、また他のグループとの連帯も模索した。20代には、インドに渡りドミトリー暮らしをしながら仲間を増やしていった。20代後半にあたる1980年代には、アメリカの巨大コミューンの建設にも参加した。また、ブランチとしての共同生活も構成した。

 その後、私個人の家族も増えて、形としては核家族生活をいとなみながらも、30代である1980年代後半には、県内に数千坪の土地を見つけて、すぐに住所を移し、新たなるコミューン建設に着手したこともある。

 その後もずっと、自らの原点にある「理想」を求めて、コミューン的なものを模索してきたのは事実であるが、確たる基盤に出遭うことはなかった。そして、その過程において、かつての生家を包む地域環境も激変していった。

 村落共同体は失われ、農業基盤は崩壊し、人心にまとまりはなくなっていった。私は私なりに、時代とともに生きなければならず、次第に理想とするコミューン像のジオラマ化をはかり、ある種のノアの箱舟化せざるを得なかった。

 そのような状況にありながら、私を再び揺り動かす事態が起きたのは、3・11を挟む具体的な事例との接近であった。詳細は別途書いてあるので省略するが、つまりは、私の目の前に、エコビレッジでパーマカルチャー、という概念が、再び登場したのである。

 エコビレッジも、パーマカルチャーも、言葉としては、小さい頃から求めてきたものではないが、21世紀の今日的概念としては、これでいいのだと思う。地球と人間を見つめ直しながら、持続可能なライフスタイルを考える時、この二つの概念はとても有効である。

 3・11後、私は密かに、近くの開発地域に、ECOシティの可能性を見ていた。それについては、「ECOシティ」環境シティ・コンパクトシティ・福祉シティの実現に向けて 丸尾直美他(2010/05  中央経済社)の読後感として、当ブログにまとめておいた。

 しかしそのいわゆるECOシティ構想は、3・11を挟みながら、大きな可能性を持ちながらも、大型テナントが並ぶ、単なる都市化の波に過ぎないものであることが、はっきりしてきた。現代社会においては、夢は夢として終わり、経済原則の前では「理想」などは、一蹴されてしまうことが、より明白になった。

 また、最近気付いたことだが、私の自宅のすぐそばに、エコビレッジを商標とするハウスメーカーの販売店ができているようだ。名前は素敵だが、内容的には、通常の住宅メーカーである。どのように改善されていたとしても、名前の通りの、いわゆるこの本でいうところの「エコビレッジ」を推進しようという、という会社ではない。

 そんなわけで、私の夢と理想と、現実の限界と幻滅、その板挟みの中に、今突如、いわゆる「エコビレッジ」で「パーマカルチャー」という「可能性」が登場してきた。私は今60歳。すでに還暦を過ぎた老人である。孫も何人か生まれた。私に残された人生でできることは少ない。

 必ずしも、やり残したことの多い人生ではなかった。慎ましい人生ではあったが、基本的にやりたいことはやり続けてこれた人生だった。だから、現在のまま、私の人生が終わっても、悔いることは少ないだろう。あるいは、通常は、この程度の人生なのである。そういう意味で、私は満足している。

 しかしながら、今、新たなる可能性が見えてきたとしたら、私は、その「愉しみ」に賭けてみたいと思う。

 ついでに追加しておくとしたら、今夏、福島県双葉郡の「獏原人部落」に遊んだが、そこで会った仲間たちが続けて参加したのは、滋賀県琵琶湖々畔にある「山水人(やまうと)」だった。ごく最近、エコトピアとキャッチフレーズを変えたようだが、ごく最近まで「エコビレッジ」を標榜していたことも、私の魂を鼓舞した。

 前回この本を読んでいたのは、2011/02/26。3・11東日本大震災の半月前ほどのことであった。

<4>につづく

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2014/09/24

「蝶を放つ」 長澤 靖浩 <5>

<4>からつづく

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「蝶を放つ」 <5>
長澤 靖浩(著) 2014/08 鶴書院単行本: 143p
★★★★★

 一気に書き終わるつもりでいたのだが、途中で不思議な流れが合流し、こちらの最終的な書込みが遅れてしまった。

 この本には表題の「蝶を放つ」のほかに、「仙田くん」という短編小説が収められている。30頁程のものだから小品と言っていいだろう。この作品についても独立したメモを残しておくべきなのだろうが、一冊ペアになっている限り、この本は、この二編があっての一冊、と理解していいのだろう。

 前著「魂の螺旋ダンス」(2004/10 第三書館)が印象深かった私としては、今回の作品は、拍子抜けするほどシンプルで読みやすかった。意図的にそう書いたのであろうし、キャパシティの両翼を広げたという意味では、まさに二つの羽を広げて飛び立とうとする著者の様々な思いが察せられて、私の心も宙に舞う。

 この一冊を読みながら、私は、青虫が蛹になって眠りに入り、やがて背中が割れて、蝶となって空高く飛び立つ体験をした。

 空高く、そう満天の星空、そしてアンドロメダ銀河まで飛んだのだ。そのことについては別途記してある。

 本著の中にも、蝶たちが一斉に羽化して飛び立つシーンがあるが、それは、たった一人の心情として起こることではあるまい。一匹一匹の蝶たちは、それぞれが一生懸命であるだけなのだが、それは季節や条件がそろえば、おなじ仲間の蝶たちも羽化して飛び立つということである。

 つまり、著者が自らを青虫に喩え、蛹に喩え、そして蝶となって飛び立つことに喩えるなら、それに呼応して、飛び立つ蝶たちも多くいるに違いないのだ。

 そういう意味で言うなら、まさに私もまた見事に、この小説に呼応したといえる。

 山椒の木に産みつけられた卵は、青虫となり、蛹となり、アゲハ蝶となって、アンドロメダ銀河に飛び立った。

 蝶を放つ。

 この小説、これでいいのだと思う。

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2014/09/23

「惑星の未来を想像する者たちへ」 ゲーリー・スナイダー<3>

<2>からつづく

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「惑星の未来を想像する者たちへ」 <3>
ゲーリー・スナイダー (著) , Gary Snyder (原著), 山里 勝己 (翻訳), 赤嶺 玲子 (翻訳), 田中 泰賢 (翻訳) 2000/10 山と溪谷社 単行本: 342p

 山の椒の夜空の星空と虹のようなものが映った画像を細かいデータとともに、近くの天文台に送っておいたところ、ほぼ正式と思われる結論の返信がきた。
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 画像についてですが、お知らせいただきました情報を元に推測すると以下のように考えられます。

撮影時、月が構図の下のほうにあり、映りこんだものが月の正反対側にアーチ状に写っていること、なおかつ深夜の撮影である
ことから、月の光がレンズ表面の結露で虹のように写ってしまったのではないか。
ただ、どの程度の結露かにもよりますが、恒星像が滲んで見えないことが難点でもあります。
星の配列から、当時の時間で星図を見ると、月から約45度あたりの現象に見えます。とすれば、秋の高層雲が出ていた日ですから、
氷の雲による虹現象とも見て取れます。
感度6400の1秒程度の画像ですから、目では見えない(ある意味での虹)雲をとらえたと考えることも無理ではありません。

いずれも推測の域となります。
もし、その時の他の画像があると判定できるかも知れませんので、お持ちでしたらお知らせ願います。


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 なるほど~~~、そういうことだったんだ。オーロラではなかったことはちょっと残念ながら、納得のいく解釈である。細かい検討をしていただいた天文台のスタッフの方々に感謝申し上げます。

 でも、この文面だと、つまり月虹(げっこう)の可能性もあるわけで、そういう現象もあることを知って、あらためて天文への関心が深まった。

 
つづいて、アンドロメダ星雲についても質問しておいたが、その部分の回答は次の通り。
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次にアンドロメダ星雲のご質問についてですが、下記の通りです。

>ある友人は、あの写真の中央の高さのやや左側に見える、小さな雲のようなちょとオレンジっぽい星のようなものはアンドロメダ星雲である、とのことですが、本当にそうでしょうか。
→そうです。 (以前は、アンドロメダ星雲と呼ばれていましたが、既に銀河であることがわかっているのでアンドロメダ銀河と呼ばれています。)

>また、仙台に住んでいる人間が肉眼でアンドロメダ星雲を見るということは、よくあることなのでしょうか。
>逆に、写真に写っていたとしたら、それは珍しいことなのでしょうか。
→空が暗いところであれば肉眼でも確認できるので、簡単に写真に写すことができます。

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山の椒からのアンドロメダ星雲(中央) 渡辺誠撮影画像を加工

  こちらの回答も実に納得である。アンドロメダ銀河と名前が変わっていたとは知らなかった。

 肉眼で見えたり、写真でも撮影できる、ということではあるが、街中の我が家の二階のベランダあたりからでは、星座など殆ど見えない。ましてや、それを確認する機材や写真機などもまったくない。

 今後、山の椒に関わるにあたって、新たな楽しみが増えたということになる。すくなくとも、その辺のお勉強をすこしやり直す必要がありますな。星座と言えば、牡羊座は猪突猛進型で、バランス志向のてんびん座とは運命的な出会いをすることがあります、なんていう占いごとの方の知識ばっかりに偏っていた(汗)

 なんにせよだ。これを機会に、これからさらに「惑星の未来を想像する」 ぞーーーーー。

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「シェルター」 ロイド・ カーン <2>

<1>からつづく

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「シェルター」<2>
ロイド カーン (著), 玉井 一匡 2001/10 ワールドフォトプレス 大型本: 175p
★★★★★

 前回この本を読んで当ブログにメモしたのは2011/03/10。実に、あの3・11の前日のことだった。あのまま何事もなくことが進んでいれば、山の椒におけるプロジェクトも、もうすこし早い展開になっていたのは間違いない。

 この3年半の足踏みがなんとも惜しい気がするが、また、それも必要な旅であったのだ、と理解することも出来る。

 さて、山の椒における住居スペースの創造となると、思い出すのは、この三冊である。

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 このうち、「手作りガーデンハウス」(2005/10 学研)の部分に関しては、「男のロフト主義。」(「Pen (ペン)」 2004/0 4/15号  阪急コミニュケーションズ)や「可笑しな小屋」(ジェィン・フィールド=ルイス 2013/12 二見書房)に引き継がれて、ほぼ卒業時期に達している。

 次に思い出すのは「現代建築家による“地球(ガイア)”建築」 (乙須敏紀 2008/11 ガイアブックス/産調出版)である。何度も登場するが、この本におけるトップ・イメージは一枚の画像にある。
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 おそらくこのイメージは、現在のコンテナハウスの整備・修復が終了すれば、私の中のなにかはすっかり終息していくものと思う。あるいは、それまでの命であるようでもある。そしてその次にやってくるものこそ、このロイド・カーンの「シェルター」であろう。

 ロイド・カーンについては、3・11直後よりも、「家を建てたくなる力がわく『ホームワーク』」 ( 2005/10 ワールドフォトプレス)や、「スペクテイター」<30号>( 2014/05 幻冬舎)における紹介記事に目を通した今、カーンは、より身近な存在になったとは言える。

 山の椒に入り、火の神様、水の神様に感謝しつつ、火をおこそうとする時、持ち込んだ古新聞や段ボールの切れ端などで火をつけるより、コンテナハウス周辺に散らばっている杉っ葉をかき集めて、火つけする方が効率的である。

 杉っ葉は、逆に言えば、活用方法がなければ、掃除するだけが手間の邪魔ものになってしまう可能性もある。

 惑星地球が私たちに与えてくれているものを活用すること。そしてそれで小さな家を一軒つくってみること。これは、大きな意味を持つプロジェクトである。

 ハウスと言えばログハウスばかりに目が行くが、どうもコマーシャル化していて、金額も張る。そもそも、家作りとは、そんなに金がかかるものであろうか。

 これだけの4万坪という広大な空間を与えられた今、人間一人がひと時の生活をするための空間をつくる材料は、限りなくあると言える。

 もちろん自生している杉を切り倒してログ材にすることも可能であるし、例えば、山道の行く手をふさぐ蔦類も、場合によっては頑丈なロープ類になる。必ずしもナタや刈り払い機で切って脇によけるだけが方法ではない。

 そういう目で見れば、ススキだって、屋根を葺く材料になるだろうし、乾燥した枯れ葉たちだって、ふかふかの床やマット類に早変わりすることもあろう。

 山で暮らすのに、街から商品化された建材をドカドカ持ち込むことは、考えようによっては愚鈍である。目の前の宝の山が見えていない、ということになる。 

 そういう視点と感性が生まれてくれば、もう自然と対峙するかのような「現代建築家による“地球(ガイア)”建築」 などは目に入らなくなる。

 そんな時こそ、このロイド・カーンの「シェルター」の出番となろう。読めばなかなかヘビーであり、利用する野性がない立場においては、それこそ夢物語にすぎないが、今ポンと利用可能なフィールドがあり、家一軒を作ろうとしたら、いまこそ、この本の出番である。 

 ゲーリー・スナイダーは「地球の家を保つには エコロジーと精神革命」(片桐ユズル訳1975/12 社会思想社)で言う。

 エコロジー(ecology)の”eco”(oikos)の意味は”house”。すなわち地上の家を保つこと(Housekeeping on Earth)。 p226

 山やウィルダネスに入って、その土地であるもので、家一軒作ってみる。このワークこそが、エコロジーの原点であり、精神性に革命をもたらすきっかけをつくるであろう。その段階になれば、詩的かつ哲学的スナイダーよりも、より具体的な建築にこだわってきたロイド・カーンのこの一冊こそ、素晴らしい指南書の一冊となってくれるに違いない。

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2014/09/22

「惑星の未来を想像する者たちへ」 ゲーリー・スナイダー<2>

<1>からつづく 

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「惑星の未来を想像する者たちへ」 <2>
ゲーリー・スナイダー (著) , Gary Snyder (原著), 山里 勝己 (翻訳), 赤嶺 玲子 (翻訳), 田中 泰賢 (翻訳) 2000/10 山と溪谷社 単行本: 342p

 一枚の写真が話題を呼んでいる。と、言っても、まぁ、個人的な私の周辺的なものであるが。

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撮影・渡辺誠

 夜空にかかった天の川のような一枚。これはごく最近、行楽シーズンの週末に開かれた近場の山小屋での、数人参加のバーベキューの時の一枚である。・

 この画像をアップしたところ、FB友から、オーロラの写真ではないか、というコメントがついた。まさか、日本の東北においてオーロラもないだろうと、静観していた。私の最初の感想は「オーロラでも、太陽の仕業でもなく、高感度カメラのレンズと、月の光のコラボレーションだろう」というものだった。

 だが、しらべてみると、いやいや、その可能性がまったくないわけじゃなさそうだ、ということが分かってきた。そもそも月は太陽の光を反射しているのである。

 2014年9月11日頃、太陽フレア爆発があり、その影響で、地上においてもGPSの乱れなど、影響が数日間続く可能性があるということだ。たしかにそのニュースは、自宅に戻った9月14日の夜にはテレビで見ていた。でもでも、私たちのバーベキューとはなんの繋がりも感じていなかった。

 ツイッターで検索してみたら、片岡龍峰さんという方のコメントが目に入った。さて、この方、どんな方だろうとみてみると、「オーロラの研究者」だという。あらら、これは眉唾? と更に読むと、国立極地研究所の准教授で、NHK「宇宙の渚」テレビ朝日「奇跡の地球物語」に出演、という

 撮影した友人本人は「レンズの特性による月輪かしら」というような印象だった。バーベキューに参加した仲間たちは、この段階では、夜空の星々には目を奪われてはいたが、オーロラ話にはとんと繋がっていない。

 さっそく片岡氏のツイッターに質問すると、「月虹ぽい?月を背に撮影されました?」という返信があった。

 月虹? あ、そうか、月にも虹が立つことがあるのか、と納得しかかった。しかし、撮影したご本人は、殆ど天頂に向けてシャッターを切ったという。もっとも、あれだけしっかり星や星座が写っているのだから、専門家が見れば、何時ころにどの角度で写真を撮ったかは、わりと判断がつくのではないか、と思う。

 つまり、東の空の60度くらいのところに月があり、その時、天頂にレンズを向けたとすれば、「月を背に撮影した」とは言いにくい。

 年のため、地元の天文台のFBにも質問しておいた。天文台からはなかなか返信がこなかった。これは軽くあしらわれたかな、と思ったのは勘違いで、実は、連休明けの天文台としては、どうやら二日つづきの休館日だったようなのだ。

 きた返信はこうだった。「現在、スタッフが現象について調査しております。そこで、1点ご質問だったのですが、お写真に移っている光は肉眼でもご覧いただけましたでしょうか。」

 さてさて、これはどうだったのだろう。撮影したご本人は「見えなかったよ、少なくとも僕は見えなかった」とおっしゃっている。私も、なんだかミルキーウェイぽいものが見えたような気もするが、定かではない。星を見るために山に登ったわけじゃなかったし。

 天文台からは、続いて質問がきた。

「撮影時の様子についてさらに質問させてください。
①カメラ名、
②感度、
③露出時間、
④向けた方向・高さ。
 また、撮影時のレンズの様子につきまして、結露などしていたかどうかお分かりでしょうか。たくさん質問してしまいましたが、わかる範囲でお答えいただければと思います。

 珍しい写真のため、スタッフも大変興味深く調べております。」

 おお、少なくとも、天文台の方から「珍しい写真」とまで言っていただければ本望だ。結果はどうであるにせよ、なかなか面白い展開になりそうだ。

 撮影時間は2014/09/14 0:24:13 。場所は、宮城蔵王CCの北隣りの森の中。これだけの情報で、実際には、あれだけ克明に撮影されている星座なのだから、天文台の専門家たちには、④の向けた方向・高さなどは直ぐわかるだろう。

 カメラ名や感度、露出時間は、撮影した友人がまとめてくれたので、そのことを天文台に報告しておいた。

 はてさて、この顛末はまだ展開中である。最初にオーロラではないか、と指摘してくれた友人は、どうやら他の近隣の地点で、あの時間前後にオーロラが撮影された事実は確認できていないようだ、と追加情報をくれた。どう転がっていくにせよ、単に森の中で行われた数人のバーベキューが、トンデモないスケールで展開し始めたのは確かだ。

 また、新たなる別な友人によれば、この写真には、アンドロメダ星雲が写っているという。中段のやや向かって左側に、雲のようにかすんだ色も少しオレンジっぽい星がある。これがアンドロメダ星雲らしいという指摘である。

 はぁ、すごいことになってきたな。それがアンドロメダ星雲だとすると「239万年前のヒカリ」ということになるらしい。タイムスケールがバラバラでなにが何やらわからなくなってくるが、少なくとも、イエスキリストが2014年前に生れたとして、その1000倍スケールの昔のことである。そんなに昔の光を、今こうしてみているのだ。

 そしてまた、テラノザウルスやトリケラトプスが絶滅してから、6550万年が経過しているということだから、それらのことが起きたのは、更にその30倍も昔にさかのぼることになる。

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撮影・渡辺誠

 近くには、他の別荘地も複数あるわけだけれど、その住民たちや利用者たちは、この近年の気象の変化に驚いているという。強風や雪害などが続き、その地を離れる人が多くなっているとも聞く。

 この地球で、一体、今、何が起きているのか。

 太陽、月、星々、オーロラ、月輪、月虹、そしてアンドロメダ星雲。

 行楽シーズンの週末バーベキューキャンプは、意外な方向に展開している。いやいや、これは、本当は、目論見通り、なのかも知れない。内心、やった!と思っているのだ(微笑)

 惑星としての地球、そしてその未来は、どこにあるのか。今、想像力を掻き立てられる。

 前回この本を読んでいたのは、3・11の一ケ月前のことであった。

<3>につづく

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「野性の実践 」ゲーリー スナイダー <2>

<1>よりつづく 

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「野性の実践」 シリーズ・ナチュラリストの本棚
ゲーリー スナイダー (著) Gary Snyder (原著), 重松 宗育 (翻訳), 原 成吉 (翻訳) 1994/08 東京書籍 単行本: 270p

 アウトドア雑誌の「ウィディライフ」を創刊号から揃えているよ、という人がいる。渓流釣りにくわしくて、各地の情報を握っている人もいる。木に触れる生活がしたい、という人もいる。それぞれが個性的で、なるほどと思わせる。

 しかし、私ならそのアクセスポイントだけでは、山の椒には届かないだろう。どこか必然性がなく、動機が弱い。もし私が山の椒に届こうとしていて、しかも、今生では、これ以上のチャンスはもうこないだろう、と思うとするなら、それはこの「野性の実践」というフレーズに突き動かされているからだろう。

 何を持って野性と言うのか、何を持って実践というのかは、それぞれの範疇にある。スナイダーにしたところで、その住んでいるキットキットディジーも、本当のウィルダネスである、とは言っていない。人間の手の入った、多少なりとも加工された自然なのである。

 しかしながら、比較の問題とは言え、多少なりとも自然の方へ、大自然の方へ、野性の方へと導かれるとするならば、それは内なる野性と符号する何かを外部に求めている、ということになろう。

 山の椒にいて、ふとコンテナハウスで目が覚め、気付いて見れば、夜中の2時半。還暦男であるから、多少早い時間に寝てしまえば、それ相応の時間に目が覚めてしまうのは、至極当然のことだ。

 体を温めるためと、二度寝の薬として、マイカップに注いだ焼酎に少しの水を足して手に持ち、山の椒のベランダにでてみると、外は満天の星空である。一週間前と同じように雲ひとつない夜空である。先週と違うのは月がないこと。二十六夜であった。

 毛布にくるまり、リクライニングチェアに座って空を見ていると、実に奇妙な気分になる。こんな角度で、これほどの近くで、こんなに沢山の星を見ているなんてことは、まず今までなかった。星以外の光がないのだ。
 

 空を見ていると、視覚の片隅を、瞬間的に流星が流れていく。ほんの瞬間的なものだ。方角と長さ程度は分かるが、それをキチンと目の中心で捉えることはない。チェアに座っている数時間の中で6~7個見えた。

 それと、今回初めて気がついたのは、人工衛星ってやつは結構飛んでいるんだな、ってこと。山の椒においては、これがよく見える。大きさは他の星とほぼ同じ大きさか、もうすこし小さいのに、ある一定時間、ひとつの方向へ飛び続ける。

 流星のように一瞬で消えてしまわないから、自分の視覚の中心において、その奇跡を追うことができる。時間にして数分みていることもある。山の稜線近くなるとぼやけて、消えていく。この人工衛星も、数時間のうちに6~7個見つけた。あちこちの方向に動いていく。

 そして、当然のことだが、夜空を見ていると、数時間のうちに天球そのものが動いていく。西の山の稜線にかかっている星や星座はひとつづつ消えていく。山の木々のシルエットの中に溶け込んでいくようだ。

 そして4時半ともなると、東の空がどことなく黒から薄くなり始め、空全体が明るくなる。星の数は減り、星座も減り、やがて主だった星だけが残り、最後の最後の星も消えて、そして、朝がくる。

 その頃には、もう早起き鳥が鳴きだす。

 街にいたら、こんな早い時間から起き出すことはないのだが、森の中にいると、自然と体が動きはじめる。あれこれ仕事が見えてくる。草を刈り払い、木々の枝を払う。道を広げ、水のパイプを治す。車の位置を変え、ハウスの周囲のあれこれに手をいれる。

 友が来れば、雑草を払いながら、山道を歩く。長靴。動物よけの鈴。手に持ったナタ。からまる蔦、足元に絡みつく下草。それらを刈り払い、足を進める。友との談笑の声も、決してうるさくはない。どこまで大きく笑っても、その音を、森は吸い込む。

 今年、あるいは数週間前に生え出したような小さな植物もあれば、年輪にすれば、私の年齢をはるかに超える大木もある。それぞれにつけた小さな花たち、木の実たち。ちぎっては匂いを嗅ぎ、切りとっては食べてみる。

 あれもこれも、ここに入ってみないと分からないことばかり。行くたびに表情を変える山道、森の植物たち。

 アケビ、ホップ、栗、ササ、いまならススキが最盛期。

 ここを刈り払い、道を作ることだけが、やりたいことではない。この中にいて、歩いていることそれ自体がやりたいことなのだ。自らの中の野性が目覚める。かよわく隠れていて、もう見えなくなっていたと思っていたのに、むくむくと起き出す。

 野性の実践。このフレーズこそ、私を山の椒につれていく最大の呼び掛けである。

 この本を前回読んでいたのは3・11の9日前。2011/03/02のことであった。

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2014/09/17

「For the Children 子どもたちのために」 ゲーリー・スナイダー<6>

<5>からつづく

51ddfbr3czl「For the Children 子どもたちのために」
ゲーリー・スナイダー (著),  山里 勝己 (編集, 翻訳), 高野 建三 (写真) 2013/04 新泉社 単行本: 143p

 今はおそらくロイド・カーンでもなければ、パーマカルチャーでもないだろう。建物に意味があるわけでもなく、農業に意味があるわけでもない。今は人間に意味があるのである。人間としての生き方、そのことが問われている。

 ゲーリー・スナイダーという人を知らない人は、この本を一冊読めばいい。それでなんとなくわかるだろう。

 わからないかもしれない。しかし、それはどうしようもない。この本を読んでピンと来なければ、スナイダーなど、追っかける必要はないだろう。

 この本は入り口だ。スナイダー文学の入り口? いやいや、そうじゃなく、自分の人生と、どう取り組むか、という入り口である。

 この本のタイトルは取ってつけたようで、好きでもあるし、嫌いでもある。

 子どもたちのために? それは嘘だろう。だが、子どもとしての自分のため、というなら、納得できる。みんな、誰もが地球の子供たちだ。その子どもたちのために、というなら、この本のタイトルは、そう、その通りなのだ。

 山の椒のコンテナハウスを清掃中。今週末にも友人たちがやってくる。急いで、急いで、清掃中。カッコいいところ、みせたいよな。

 だけど、本当は、いろいろと作業が遅れている。あれもこれもしたいよ。だけど、手が回らない。

 ビジョンがどんどん湧いてくる。あれをこうして、これをああするのだ。そして、それからこうなるに違いないから、その次は、こうやるよ。

 そんなプランが、バンバンでてくる。

 いつまでも、コンテナハウスと呼びならわすのはやめよう。ここで、私はこのコンテナに名前を付けた。

 スナイダー・オフィス。

 スナイダーがオフィスつながりになることに賛同しない向きもあろう。しかし、スナイダー自身は、問題なく賛成する。

 森の中のジュラルミンの建築物は、やはりオフィスという名にふさわしい。できるだけクリーンにしよう。ほこりを払い、カビを取り、壁や屋根をデッキブラシでごしごしきれいにしょう

 空間には何もおかないことにしよう。冷蔵庫も今はあるけれど、いずれ小さいものに換えよう。絵は壁にホワイト・ターラーを架けよう。ベットはキャンプ用の折りたたみ式。椅子も二つもあれば十分だろう。これもキャンプ用折りたたみ式だ。

 ネット環境は、この前、それぞれの手持ちのセットで確認していたが、繋がらないこともないのだが、やはり、ここは、最速最新のものが似合うと思う。

 今は、大きな窓兼入口がついているが、私はもう一つ付けたい。後ろのバックエンドの空間に、窓とドアを付ける。

 そして、いつでも5~6人で飲めるようにする。

 防犯は、あまり高めなくてもいいだろう。なくなってもいいようなもので構成すればいいのだ。なくなって困るような貴重品は、それぞれが身につけて持ち帰ればいいのだ。

 ジュラルミンとスナイダー。これって、意外とお似合いだ、と私は睨んでいる。そしてスナイダーとオフィス。これも、きっと、決まりだよ。

 スナイダーの魅力のひとつは、まだ生きている、ってこと。過去の人ではない。

 もし、ここで、スナイダーを山の椒のゲストとして迎えよう、と思えば、それはおそらく、実現する。

 実現しないとすれば、それは、いつもの私の悪い癖だが、ちょっとしたことで、すぐいじけること。簡単に人に道を譲ってしまうことだ。

 ここは、もうすこし、我を通して、自己主張しようではないか。それは許されるタイミングではないか?

 想像性が爆発しているよ。

 与えられた空間、あてがわれた自由。いやだね。

 湧きあがる自由、爆発する想像性。

 ここまできたよ。そして、もうここ以上、もうないかもよ。

 だから、今日のわずかな疲れを癒しながらも、明日への作業の手順を考える。友達を笑って迎えよう。楽しもう。

 これは、ほんの始まり。そうだな、10のうちの1であり、また、その10は、100のうちの1に過ぎない。

 とにかく、今夜は、勝手ながら、あのコンテナハウスの名前はスナイダー・オフィスとしたい、と思った。

 

 

<7>につづく

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今日の気分はこの3冊<5> スナイダー、山小屋、地球

<4>からつづく

今日の気分はこの3冊<5> スナイダー、山小屋、地球

 ようやく自らの何かがまた動きはじめた気がする。ふたたび山の椒エコビレッジ構想を思うと、胸が熱くなる。

 こんな夜、三冊、枕元におくとすれば、この三冊がいいかもな。

 いまさら、めくってみるような本でもない。すでに何度も開いている。あとは、自分の血となり、肉となってくれればいいな、と思う本たちである。

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「聖なる地球のつどいかな」 ゲーリー スナイダー (著), 山尾 三省 (著) 山里勝己(監修), 1998/07  山と溪谷社

 この本の持つ意味は深い。三省つながりから読むこともできるが、今回はスナイダーの側から読みたい。スナイダーのキッドキッドディジーの3分の1とは言え、広い山の中に足の置き場を見つけた今、この本に引き込まれる度合いが深まる。

 ヨシローもスナイダーはいいと言うし、航くんのお母さんも、この本からブログの名前を取っていた。もし今、三人共通の一冊、と言ったら、この一冊に決まるかも知れない。

 スナイダーには素敵な本が多い。「地球の家を保つには エコロジーと精神革命」(1975/12 社会思想社)もなかなかいい。魂が鼓舞される一冊である。

 また「For the Children 子どもたちのために」 (山里勝己・ 編集, 翻訳, 高野建三・写真2013/04)もなかなかいい。実質、「聖なる地球のつどいかな」の続編と言える。誰がつけたか、このタイトルも実に、私の現在の心境にピッタリだ。

「山で暮らす愉しみと基本の技術」大内正伸 2009/06 農山漁村文化協会

 この本を読んでメモしていたのは、2011/02/25のことであった。あの3・11がなかったら、もっともっと私たちのエコビレッジ構想は前に進んでいた。そして、この本はもっともっと活用されていたことだろう。

 しかし、私たちの思いは、決してまっすぐには進まなかった。山の道のように曲がりくねった道になった。あの石を超え、あの大木を避け、あの川を渡らなければならない。

 ぬかるみ、暗闇、豪風、そして獣たち。私たちは、それらと遭遇し、時には佇み、時には退却、時には頓挫する。だがしかし、魂の、どこかから湧き出て来る叫びを押さえることはできない。いずれ、また歩きだすのだ。

 この本は、対象としての「山」を見失ってしまった場合は、空しい一冊となる。技術があっても、街において空想しているだけでは、ちっとも愉しくない。ジェラシーで忘れてしまいたくなる一冊である。

 しかし、暮らせる山が身近にあったとするならば、この本は、基本中の基本となる。

「現代建築家による“地球(ガイア)”建築」乙須敏紀 2008/11 ガイアブックス/産調出版

 ガイアという言葉が、もし、ジェームス・ラブロックの「ガイア理論」にのみ依存するのだとしたら、もはやガイアという言葉は実にたわいもない、歪曲された意味だけを持ってしまうかもしれない。

 そしてまた、まるで地球を蚕食するかのような現代建築の異様さばかりに目を奪われてしまうなら、この本も一体、なんたるおふざけか、と感じてしまうような一冊である。

 しかるに、私はこの本が大好きである。何かが、何かと対峙している。決して調和しているとは思わない。何かと何かの接点にこの本はある。

 この本は、カラーグラビア誌であるだけに、実に美しい。そして、大自然と、現代建築がキチンと写し込まれている。

 その中にあっても、たった一枚、私は、この写真に心奪われてきた。(p15)

Gaia

 ここにあるのは、なんだろうか。

 私は、山に入って山菜をとったり、たき火をしたり、あるいはニホンミツバチを追ったり、あるいはテント暮らしをしたり、天体望遠鏡で空を見たり、という楽しみを超えて、この一枚のような風景の中に、自分を置きたいと思うのである。

 森の中に隠れるような現代建築の固まり。その窓際に立って、いる。

 このガラス窓一枚の向こうとこちら側との対比。

 山に入って何をしたいのか、と言われれば、私の場合は、たった一枚、この写真を差し出すことも可能である。

<6>へつづく

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2014/09/10

「こども家の光」 家の光協会

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「こども家の光」
家の光協会 1959/08 雑誌 p54
Total No.3329★★★★★

 「家の光」って知っているかい? 知っている人も多いだろう。まったく知らない人も、多いだろう。 おそらく、私が生まれてきて、最初にみた「雑誌」はこの「家の光」の付録の「こども家の光」だったのではないだろうか。

 どっかの宗教団体の教宣誌のような名前ではあるが、さにあらず。これはJA、当時の農協が農家向けに積極的に販売していた雑誌である。私が子供として育つ時代は、日本の、いや少なくとも私の地域の60%以上は農家であった。

 60%とは、ちょっと控えめだ。むしろ80%とか90%と言っても可笑しくない。当時の日本は、農業国家だった。

 農家向けに農協を中心に発行されていたのが、この「家の光」である。そして、それらの農家の子供たち向けに毎月発行されていたのが、この「こども家の光」だ。

 え~~、そんなマイナーな話題?というなかれ。ずっと昔になるが、私が調べたところによると、その編集スタッフに五木寛之などがいたのだから、決して無視はできない。

 この号は1959年8月号である。ネットで検索していたら、100円で売っていたからつい落札してしまった。送金料ゼロ、郵送料80円だから180円で最近入手した代物である。

 この雑誌の他の号は、この何倍もする。なかなか手がでない。であるから逆にこの号は、あわてて落札したのだった。

 1959年8月。この時、私は5歳と5カ月。当然のことながら、この雑誌を保存しているわけもなく、この雑誌を記憶しているわけでもない。

 しかしながら、もし私が生まれてこの世にやってきて、「雑誌」というものがこの世に存在している、と気付いたとしたら、だいたいこの雑誌のこの号あたりになるのではないか、と思う。

 私の古い記憶はいろいろあるが、まずは伊勢湾台風のニュースを真空管ラジオで聞いていたことを思い出す。伊勢湾台風は1959年9月。新聞にも腰まで水に浸かって救いを求めている人々の写真が掲載されていた。そのことをしっかり覚えている。「行方不明。ってなに?」と、家族に聞いた覚えがある。

 テレビで古い記憶と言えば、正田美智子さんが結婚したあたりのこと。近くの家でテレビを買った。この結婚パレードが、我が家の近くの国道を、もう通り過ぎたのか、と聞いて、家族みんなに笑われた。それが1959年10月である。

 すくなくとも、この時代、私が生まれて一番最初に身近にあった「雑誌」は「こども家の光」である。この後は、学研で発行していたそれぞれの学年の「学習」となるのであるが、そちらは原点とは言えない。

 原点は「こども家の光」である。

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2014/09/09

映画ドラえもん「 のび太の恐竜」 フタバスズキリュウ

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「のび太の恐竜」 映画ドラえもん
大山のぶ代, 小原乃梨子、他(出演) 1980/3公開 東宝 映画: DVD 100 分Total No.3328★★★☆☆

 フタバスズキリュウを検索していたら、このビデオがでてきた。ふ~~ん、もうすでに、ドラえもんでフタバスズキリュウが登場していたのか。でもやっぱり気になるなぁ。

 ってんで、図書館から借りてDVDを見ていたら、帰宅した30近い我が息子が、ああ、この映画ね、と、のたまう。これ、ドラえもんの第一作だよ。へぇ~そうなのか。ドラえもんの映画はここから始まったのか。

 「このビディオ、擦り切れるほどみたなぁ~~」。うん? なになに? わが息子が、小さい時にこのビデオを見ていたとしたら、それを与えていたのは、この私なのであろうか? そうでしょうねぇ~と息子は言う。他の人は思いつかない、とも。

 なんだ、我が家では何度もこの映画が上映されていたのだ。気付いていなかったのは私だけだったんだ。だって、恐竜なんて、ちっとも関心なかったもん。

 しかるにだ。私は、現在2歳半の孫と、このDVDを一緒に見る。いや、孫にかこつけて、私が見たいために、私が借り出してきたのだ。

 はぁ、世界は一巡してるなぁ~~~~~。

 遅ればせながら、現在チキンの骨でフタバスズキリュウの20分の1スケールの骨格モデルを製作中。

 あ~~、何にも知らなかったのは私だけなんだ~~。

 

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2014/09/08

「蝶を放つ」 長澤 靖浩 <4>

<3>からつづく

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「蝶を放つ」 <4>
長澤 靖浩(著) 2014/08 鶴書院単行本: 143p
★★★★★

 読みだしてみれば、最後まで一気に読んでしまう作品である。不必要に長い、どちらかと言えば難解とも言えるような小説に何本も付き合わされて、自称小説嫌いを公言している私としては、ああ、この「程度」の小説なら読める、といえるほどの作品である。むしろ「小品」とさえ言っていいのかもしれない。

 時代背景や、うろ覚えに知っている著者の家族環境や職歴、海外渡航歴から考えると、これは、自伝的小説と言っていいのだろう。91歳の祖母がおり、その子であるおそらく60台の男性の死にまつわる話であり、さらにその子、40前後と思われる主人公の、内面的な逡巡である。

 小説や映画のストーリーやオチは、ネタばれになるから書かないのがルールなのかもしれないし、そんなことはまったくないのかもしれない。そんなことも知らないが、そもそも私はストーリーをダイジェストするような能力はあまりない。

 むしろここでは、いくつかの印象的な部分(つまり自分で付箋をつけたところ)の一部を抜き書きしておく。テーマは「蝶」である。

 ・・・・今、その丸椅子の縁には、紋白蝶が一匹止まっていた。力なく羽を開いたり閉じたりしている。僕は地面にしゃがみこむようして、その蝶に顔を近づけた。蝶は芥子粒のような眼で、じっと僕の顔を覗き込んだ。と、次の瞬間には舞い上がった。そして、風に流されて上昇していき、すぐに見えなくなった。p20

 この小説で一番最初に蝶がでてくるシーンである。もうこのシーンだけであとは蝶はでてこないのかな、と思っていたが、やっぱり最後まで、メインは蝶にテーマがある。ここでは、自然界のごく目にふれる蝶である。

 このシーンを読んでいて、私は蝶とは最近こういうふれあいはないが、ちょっと前に、我が家の屋根に巣食ったコウモリの幼鳥との体験がある。屋根からポタリと軒下に置いていた黒い、カエルほどの固まり。2歳児の孫が見つけ、チリトリと箒を持って片づけようと近づいた私に気付いて、飛び立っていったコウモリ。

 私はこの時、「蝶」を放つ、ではなくて、「コウモリ」を放つ、というテーマもあり得るな、と感じたのだ。私の中の蝶は、未来志向で、天上界志向である。見るからに美しい。しかし、「コウモリ」は、私の中では、過去回帰であり、広大な暗黒を意味する無意識界とも繋がっているようだ。

 僕の頭蓋の暗闇の中で、父の体はめらめらと燃えている。細胞のひとつひとつがふつふつと泡立ち、気化しては空気中に舞い上がる。その陽炎の中に無数の透明な蝶の姿が見えた。蝶たちは淡い虹色に耀きながら、次々と揺らめき舞い上がる。そして乱舞しながら、空に吸い込まれていく。p46

 ここにおいては、すでに蝶は比喩として使われ始めている。だが、まだ対象物、他者としての、他者の内面、あるいは「魂」の象徴として使われている。つづいて次のような表現がある。

 やがてその空から、蝶の鱗粉がさらさらと降ってきた。無数の細かな粉が鋭い光を放ちながら風に舞い、地上に降りそそぐ。p46

 う~ん、ここはちょっと先走りなのではないか。きっとそれを現象として、第三者における内面の展開として、著者が見たわけではないだろう。むしろ、そこは、自らの願望としてでてきているのかもしれない。そうありたい、そうあるべきだ。そこには著者の「意思」が働き始めている。

 一斉に羽化して飛び立つ蝶の群れが、僕の脳裏をよぎった。 p67

 作者は、一斉に羽化して飛び立つ蝶の群れを、見たことあるだろうか。私はない。ただ、一斉に羽化して乱舞する蝶の一群は見たことある。

 小学生の頃、まだ化学肥料や農薬の使用は一般的ではなかった。母親の実家である農家では屋敷の周りに大きなキャベツ畑を持っていた。上手に作られたキャベツにはたくさんの青虫がつき、やがて晴れた日に、一世に羽化して、キャベツ畑は紋白蝶に埋め尽くされた。

 しかし、あの蝶の一群は、一斉に飛び立ってはいかなかった。いつまでも、きっと、おそらく夕方まであのキャベツ畑を乱舞していた。エサから離れることはできない。

 一斉に飛び立つ蝶のイメージは、ある個人、ある個体が、分化され、さらに粉々に細分化されて、それぞれが単体の生命体となり、全体として昇華されるイメージであろう。これは、他者の上に見た現象ということではなく、他者にも希望し、自分にも願望する、著者の根源的な志向性であろう。

 雨合羽に身を包み、じっとして雨に打たれていると、僕は自分を一匹の蛹のように感じた。時機が訪れれば背中を割り、羽を広げて飛んでいける。だが今はまだ石のように押し黙っている。

 もしかすると僕はこのまま本当に石になってしまうかもしれない。蛹のまま死んでしまわないためには生まれ出ようとする強い意志が必要だと思えた。p87

 ここで初めて蛹がでてくる。著者は青虫ではなくて、蛹から自らをこの小説の中に登場させている。青虫はどうしたのか。青虫は蛹になるために葉っぱを食べるのではないか。蛹にならないまま青虫は燕や他の鳥たちのエサになってしまうこともあり得る。それは青虫の死である。

 もし、蛹の到達点が蝶だとして、蝶は、蝶になればそれで万々歳なのか。蝶は蝶で、次なるステップへの、待機段階ではないのか。著者の繰り出してくるイメージと葛藤する、一読者としての自分がいる。

 雲に映った僕の影の周りを無数の蝶が羽ばたいている。何千何万という光る蝶の群だ。蝶の群は螺旋を描いて旋回しながら、いったん空高く舞い上がったかと思うと、錐揉みしながら、虹色の門の奥に吸い込まれていった。p98

 ある意味、長い間、そう生まれてからずっと主人公を呪縛していた「父」は、こうして純化される。純化されてみれば、「父」とは、勝手に自分がもっていたイメージであり、その呪縛とは、自分が自分を縛っていた限界性なのであった。今、そこから解き放たれようとしているのは自分であり、蛹として脱ぎ捨てるべきは自分自身であった。

 がっがっと瓦礫を踏みしめながら下山道を歩き出すと「そうや、もっと自分の中の蝶を解き放たんとあかん」と急にはっきりと感じた。その仕事は始まったばかりで、これから僕は一生をかけて自分の中の蝶を羽化させつづけなければならないのだ。p98

 主人公はおそらくアラフォーのごく当たり前の家庭環境にある中年男性である。この男を蛹の中で既に死んでしまっているのか、今まさに背中を割ろうとしているのか、判断するのは難しい。盛んに青虫として葉っぱを食んでいる段階ではなさそうだ。

 この男、すこし遅すぎないか、と心配になる。遅れている。羽化する季節はもう過ぎたのではないか。もうすこし早く気付くべきだったのではないか。

 僕の細胞の一つ一つに閉じ込められている無数の蝶・・・・。たとえそれがどんなに醜い羽を持っているとしても、すべての蝶を羽化させ解き放ちたい。そう考えると体中の細胞が一斉にふつふつと沸き立ち、光を放った。(了) p99

 この部分は、主人公の述懐であろうし、私小説(といっていいのかどうか)の書き手としての著者自身の述懐でもあろう。そして、おそらくすでに50歳を超えているだろうと思われる著者は、まだ、このような小説的空間で十分に羽を伸ばして切っているようには思えない。

 蝶として羽化しただけでは、まだまだだ。そして、蝶のあとに、何がくるの、という、さらなる問題意識が、いずれ著者に舞い降りてくるだろう。

 やがてその空から、蝶の鱗粉がさらさらと降ってきた。無数の細かな粉が鋭い光を放ちながら風に舞い、地上に降りそそぐ。p46

 本当にそうか。そんなきれいごとで行くか。今のところ、私にはわからない。だが、このようなイメージだけでは、私には納得できない。ここをさらに、さらに、新たなるフォーマットで描ききっていく必要があるだろう。「たとえそれがどんなに醜い羽」であったとしても、著者はその羽化に立ち会っていく必要があろう。

 スタートはこれからだ。

 この本には、もう一遍「仙田くん」という更に短い小説がついている。

<5>につづく

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「蝶を放つ」 長澤 靖浩 <3>

<2>からつづく 

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「蝶を放つ」 <3>
長澤 靖浩(著) 2014/08 鶴書院単行本: 143p
★★★☆☆

 蝶を放つ、蝶を放つ、と呪文のように繰り返して見ると、私の中に、もっと他の、いくつかのイメージがあることが分かってきた。一つは、かれこれ私が十歳の頃のことである。

 当時は、1960年代の半ば前、東京オリンピックが日本経済に火をつけようというタイミングであったのだろう。私が生まれた農村地帯は、川の流れにそって、西から東と、つまり奥羽山脈から太平洋へと流れる用水路にそった形で集落ができていた。

 その東西の集落は、南北に走る国道パイパスに真っ二つに裂かれることになる。南へ行けば、そこは東京である。そして、北へ北へと走っていけば、そこは青森や北海道に続くはずだった。

 自家用車の数もすくなく、モータリゼーションが爆発する寸前の出来ごとであった。まだヒッチハイクは少なく、自転車で旅する、いわゆるサイクリングというものが流行っていた。ある時、その少年、とはいうものの私よりも5歳か7~8歳も上の高校生だった。彼は、山形から自転車でサイクリングで登場した。

 夕方になり彼は、テントを張るために我が農家の敷地を貸してくれと言ってきた。それは構わぬが、どうせなら、家の中にお泊まりなさいと、家族みんなで接待したのだった。その風景は、とてもなごやかなものだった。彼は翌日になって旅立った。私はその山形の高校生を好きになった。

 それは夏休みのことであった。私は別に昆虫採集が大好きな小学生でもなかったが、とりわけその時は、いろいろな蝶を捕まえた夏だった。その中でも、特に変わった蝶がいた。なにか葉っぱに似せて自分の羽を作っている蝶で、おそらく図鑑かなにかで調べれば分かったのだろうが、私は、あの高校生に「質問」をしてみたかった。

 私は三角に折ったロウ紙に蝶を挟み、封筒で彼に送って、この蝶の名前を調べてほしい、と書こうとしていた。しかしその時、まだ40過ぎだった母親は、それでは、蝶の身体の部分が郵送途中でつぶれてしまうので、羽だけを取って、それだけを送るように言った。当時10歳の私は、その母親の言葉に逆らうようなことはまだできなかった。

 私は、葉っぱに似た蝶の羽だけを二枚、封筒に入れて、彼に手紙を書いた。考えてみれば、何故にそんなことを考えたのか、今となっては定かではない。しかし、彼は、東西に並んだ集落を、真っ二つに割った南北に走るバイパスの、南から走ってきたのだった。

 つまり、私から見た彼は、東京方面からきたマレビトだったのだ。なにか私の知らない未知の、未来の世界からやってきた少年に思えた。だから、彼に、何事かを話しかけたかったのだろう。私はあの時、彼に羽だけの手紙を送ることによって、たしかに、蝶を「放った」ような気がする。

 ただ、あの手紙には、返事はこなかった。

 もうひとつ、蝶を放つ、で思い出したことがある。私はそれから数年経過して、謄写版刷りのミニコミ小冊子を作ったことがある。16歳高校2年生の時のことだ。私はもう、あの時のヒッチハイクの山形の高校生と同じ年齢になっていた。

 内容については、すでに当ブログにも少し書いたが、結局12号で終刊となった。その時の最期の表紙がこれである。

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 大きさはB5版のザラ紙を更に二つに折った中綴じである。およそ98頁。表紙は、色つきラシャ紙に謄写版で字を刷り、羽の部分は、ゴム版画でスタンプした。1972年3月、私はこの号で個人ミニコミは卒業し、共同でつくる「時空間」へと「変態」していった。

 私はこの時もまた、「蝶」を「放った」のではなかっただろうか。

 さて、私にとっての「蝶」とは何だったのか。

 そして、「放つ」とは・・・・

<4>につづく

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2014/09/07

「蝶を放つ」 長澤 靖浩 <2>

<1>からつづく

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「蝶を放つ」 <2>
長澤 靖浩(著) 2014/08 鶴書院単行本: 143p
★★★☆☆

 早い、もう届いた。さっそく読んでみようかなぁ、と思ってパラパラめくってみると、割と、スカスカの字面である。前回の。「魂の螺旋ダンス」 (2004/10 第三書館)は、巻末の参考文献の羅列を見てもわかるように、なかなか難解そうなイメージの一冊だった。

 今回は、高校生時代に読んだ「赤頭巾ちゃん気をつけて」を読んだ時のように、文字が大きく、行間は広く、文面もそう難解きわまる、という程でもなさそうだ。これなら、苦手な小説もよめるかもなぁ。

 腰巻には、なにやら芥川賞作家が推薦の弁を述べておられるが、こちらはとかく勉強不足で、何賞かに賞を取ったなどと言われても、チンプンカンプン。というか、そういう賞をもらったとかいう作家の意見にまるで同調できないことも多いので、あまり気にはしないことにする。

 ところで、この「蝶を放つ」というタイトルは、どういう意味を持っているのだろう。などと考えて始めている時に、ちょうど、バーベキューを今度の週末にやろうよというお誘いがあった。いろいろ古い文献をひっくり返しているうちに、ある一つの符号を見つけた。

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 3・11直前、私(たち)はあるひとつのプロジェクトに取り組んでいた。あるスペースを、もっと活用して、より意義のある参加のしかたができないか、というものである。そこにはいくつかのキーワードがあり、もともとは、「山の椒」という名前のつく、しぜん菜園だった。

 その山の椒というネーミングは、どこから来たのかと言えば、その土地に自生している山椒の木からのインスピレーションだと住人は言った。なるほど、そうなのか。そして、それにシンボルマークを考えていたデザイン担当のHさんは、上のような蝶をイメージしたマークを提案した。

 山椒の木には、アゲハ蝶の幼虫(そう、あの特急列車のような毛虫だ)が寄生するという。山椒の葉を食んで、幼虫は大きくなり、山椒の木から巣立っていくのだ。

 いったんは出来上がった第一案のこのマークデザインは、実はあまり活躍することはなかった。2010年暮れから企画が始まっていたこのプロジェクトは、実は2011年に起きた3・11大災害で、形としては頓挫してしまったからだった。

 山椒の木に寄生していたひとつのプロジェクトは、見事に成長したとは決して言いがたい。ほとんど仮死状態になってしまっていたのだ。それはひょっとするとサナギになって固まっていた、とも言えるのかもしれない。

 幼虫というものは、いつサナギになって、そしてどのくらい時間が経過したら、そこから飛び出して蝶として羽ばたいて独立していくものなのだろう。

 この山の椒、そもそものネーミングは「しぜん菜園」である。そこに後から押しかけた私(たち)は、「エコビレッジ」という概念を追加することによって、何事か自分たちの参加できるスペースを見つけようとした。

 しかし、その試みが効果あったのか、逆効果だったのかを確かめる間もなく、私(たち)は3・11に遭遇した。サナギ化したこのプロジェクトが目覚めるまで、3年半の時間が経過した。いや、本当に目覚めたわけではない。目覚めるきざしが見えてきた、という段階である。

 ところで、このサナギからでてくる蝶は、ひとりでに飛んでいくものだろうか。それとも、「放たれる」必要があるのだろうか。「放たれる」必要があるとするならば、それは「誰」に放たれることになるのだろう。

 私は、蝶は、一人でに「飛び立って」いくものだと思う。それは蝶の意志なのであり、幼虫である毛虫やサナギは、蝶として飛び立っていくための準備に過ぎない。それはもともと仕組まれた大いなる「方向性」なのである。

 すくなくとも、山の椒は蝶として飛び立つ季節が訪れてきているようだ。すくなくともその気配を感じ取っている。はて、この蝶としての「山の椒」は、しぜん菜園としてのもとのサヤに収まり続けたいという「意思」を持っているのだろうか。それとも「エコビレッジ」(あるいはさらに別な何か)への変身(トランスフォーメーション)を期待しているのだろうか。

 そこにある「主体」は、一体なんだろう。

 さて、この小説において、「蝶を放つ」とは一体何事であろう。蝶を放つとは、成虫となった蝶を一度とらえておいて、そしてもう一度「放つ」のだろうか。それはまるで、夏休みの子供が、一度虫網で捕まえた蝶を虫カゴに入れ、あとからまたその虫カゴをあけて、蝶を空へと「放つ」のであろうか。

 文章としては、そのようにも読める。

 もし、サナギから羽化して蝶になっていく瞬間を手助けして、空へと舞い上がるのを手伝うとするのなら、その時、「放つ」という言葉は、あまり適格ではないと感じる。

 なんであれだ、このタイトルが、結局はどのような比喩を含んでいるものか、今はわからないにせよ、蝶を「放つ」とは、かなり傲慢な言葉なのではないか。

 蝶を捕まえておいて、そして放つ、それは一体、誰?

<3>につづく

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「バックパッカーズ読本 保存版」 旅行情報研究会

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「バックパッカーズ読本」保存版
旅行情報研究会(著), 『格安航空券ガイド』編集部(著) 2014/7 双葉社 単行本 288ページNo.3329

 ぶらりと立ち寄った図書館の入り口にある新刊本コーナーにこのような本があると、やはりすまして通り過ぎることはできない。まずは手にとりパラパラとめくり、そして借り出すことに。読みだすまでは時間がかかったが、やはり、この手の本は面白い。なんだか、魂をくすぐられる。

 私は現在60才。旅を始めたのは16歳の時だから、もうだいぶ前のこと。高校生だった私の最初の旅は自転車の旅だった。通学用の自転車に、体育の時間に使う運動着を着て、後ろに最小限の必要物を積んでバイパスを走り出した。

 自転車の旅も快適だったが、結局は山越え峠越え、長距離となると、自転車まるごとトラックの荷台へとヒッチハイクということが多くなり、次回からは、結局バックパックひとつの旅となった。

 世界を渡り歩いてきた猛者どもの前では、私の旅などほんの可愛いものだが、それでも、こうして還暦も過ぎてみると、旅に費やした日々と言うものは、ほんの短い日々ではあったが、わが人生の中でも、極めて重要で貴重でリマ―カブルな日々である。ぜひぜひ若い人々にも旅を進めたい。

 って、今の自分だって、本当は旅が必要なのかもしれない。

 この年になって、いまさら国内をバックパックでヒッチハイクはしないだろうし、ローカル線を乗り継ぐような旅なら、いまさらバックパックはないだろう。軽めの荷物を肩にかけるか、小さな車のついたバックを引っ張るスタイルがせいぜいだ。

 ましてやヒッチハイクなんて考えもつかない。せいぜい、ベーシックハイブリット車で軽く荷物を詰めてお出かけ、ってスタイルだろう。もっとも、最近は、近場の日帰り温泉まで足のを伸ばし、帰り道にある道の駅で晩飯の材料を仕込み、家に帰って、ハイ、お休み、っていうのが近年の旅のスタイルになっている。

 だが、しかし、それでいいのか、という、魂の奥から声もあることは確かなのだ。

 この本、いろいろ書いてあるが、私は結局、なんだかんだ言っても、旅におけるネットやWiFiの繋がり具合や活用状況が書いてあるところが一番気になった。ノマドという言葉が今でも流行っているかどうかしらないが、現在の私はノマド環境が好きであり、また必需品でもある。

 おそらくノマド環境があれば、まず私の仕事の80%はできる。だから、地球上、どこにいようと、ノマド環境さえあれば私は仕事ができ、生きていける可能性は80%あるということだ。残り20%も、実は非常に大切なのだが、それはそれ次に対策を考えればいいだろう。

 残っているスタッフ(って、つまり家族だが)に多少の無理をお願いするとか、帰宅してから処理すればいいことなのだ。なにも一年中バックパックして、もうオフィスに帰らないというわけでもない。

 すくなくとも、この本を読む限りにおいては、世界中どこでも(という表現をとりあえずしておく)ネット環境は整いつつあるのであり、あとは、旅する本人の意思ひとつである、ということがわかる。そしてまた、この本においては、ネットを忘れて旅をすることも勧めているが、ああ、それもいいだろう。だが、それは私にとっては、ほとんど生存権を失ってしまうことだ(笑)。

 このバックパッカーズ読本は、日常の生活を振り返ってみることにも役立つし、例えば街の喧騒を離れて山のエコビレッジで暮らす自分の夢のスケッチにも役に立つ。すくなくとも30リットルのバックパックに詰まる程度の荷物で、人は十分に生きて世界中を旅することができるのだ。なにも車いっぱいいっぱいに余計なものを埋め込んで旅する必要もない。

 この本、似たようなタイトルで何冊かでている。シリーズ化しているようだ。この本が人気本になる意味がわかるような気がする。人間には旅が必要であるし、また人生は旅だとも言える。その旅にいかに上手に、そして無理なく快適に出発できるかは、いかに人生を生きるかの鍵でもあるのだ。

 自分の人生の再チェックのリトマス試験紙に、この本は適格であると思う。

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2014/09/06

「ツリーハウスで遊ぶ」 ポーラ ヘンダーソン

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「ツリーハウスで遊ぶ」 (ツリーハウスシリーズ)
ポーラ ヘンダーソン(著), アダム モーネメント(著), 2006/09 二見書房 単行本169ページ
Total No.3328★★★☆☆

 3年ぶりにYMSに行って、わしも考えた。自然界の繁殖はすごい。とくに当地における繁殖力は相当にすごい。A氏は当地で農業をするのは諦めたとしても、まったく足を運んでいないわけではないだろう。その足跡はある。しかしながらあの繁殖力と10年間に渡って格闘してきたというのは、私から見れば凄すぎる。

 まさに未開地の開墾に似て、切り拓けど切り拓けども、直ぐにふさがってしまう大自然の生命力に圧倒されたであろう。

 確かに見かけは、機械類を使って一時的に綺麗にはできる。当面の生活はそれでなんとか行けるだろう。だがしかし、一年経過すればもとの黙阿弥なのである。これはホント、シジフォスの神話のような無力感に襲われるのが当り前だろう。

 三年前の私の見込みは甘かった。あの雪、あの植物たち、蔦、枝、下草、道の変化。想像以上の変わり方である。すくなくとも、あの地の最も深い位置にベースキャンプを置くのは間違いである。そこまで辿り着くのが大変になる。

 まずは入り口に近い平地で開けた位置にベースキャンプを持つべきなのだ。だからA氏が開いたベースキャンプの位置は間違いではない。その証拠に不在の時間が長かったとしても、多少の手を加えれば、すぐ住めるようになる。

 ただ、農業をしようという目論見だったので、立木を大分伐採してしまった。その結果、いわゆる森の生活の感覚が薄れてしまっている。どこか森の木立が必要なのだ。

 だとすると、もっと林道的な周辺部に移行してもいいのだが、だとすると日当たりや電気の便が悪くなる。痛し痒しなのである。

 その時ふと、A氏がツリーハウスについて触れていたことを思い出した。あの時は、私はまったく関心なかったけれど、この地においては、ツリーハウスも一考の価値があるな、と思い始めた。

 下草が繁茂しようと、熊が来ようとイノシシが来ようと、あるいは招かざる闖入者たちがやってこようと、割と樹上にいれば、助かる面も多くあるのではないか。

 森の生活と言えば、どうしても地上に立てたログハウスのイメージが強いが、それはともすれば、街の生活の延長を森に持ち込んだだけに過ぎないことになりはしないか。直ぐに華美になり、怠惰になり、なんのために森に入ったかわからなくなるかもしれない。

 そう言った意味においてはツリーハウスは、街の生活からは切り離された空間である。YMSにおけるライフスタイルの一つとしては、このツリーハウスは考えてみるべきだな、と思った。

 この本は、お気に入りの「可笑しな小屋」(ジェィン・フィールド=ルイス 2013/12 二見書房)のシリーズにある一冊である。いままではあまり親近感を持っていなかったが、ここに来て、なんだかとても気になる一冊になってきた。他に「ツリーハウス―だれもが欲しかった木の上の家」(ピーター・ネルソン  2003/06 ワールドフォトプレス)なんて本も読んでいたことを思い出した。

 

 

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「蝶を放つ」 長澤 靖浩 <1>

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「蝶を放つ」 <1>
長澤 靖浩(著) 2014/08 鶴書院単行本: 143p
Total No.3327★★★☆☆

 著者紹介にはこうある。 長澤靖浩 1960年大阪生まれ。大谷大学大学院修士課程修了。大阪府公立学校教諭。2013年心停止による臨死体験を経て、本格的に小説を書きはじめる。

 これだけでは、当ブログとの接点はいずこにあるのかはっきりしない。評論なのか、フィクションなのか、随筆なのか・・・・。現在のところの推測では、これは小説である。どこかにそう書いてあったかもしれない。

 この本がでるよ、でたよ、というアナウンスは著書の書込みで気付いていた。もうかれこれ10年以上にも渡るSNSつながりである。積極的な著者の紹介でなんとなく知ってはいた。でも、この度は、直接私の頁に紹介があったので、これは読んでみないと、と思った。 
 実は、彼の本は以前に読んだことがある。「魂の螺旋ダンス」 (2004/10 第三書館)。2004年に出た本ではあったが、それに遅れること2年後の2006年、ブログを始めた私は、話題を求めて、読書ブログのような模索を色々していた。その時に、そう言えば、こういう本もあったなぁ、と、ほとんどモノローグ的にメモしておいたものだった。

 テーマは複合的で、当時の著者がいろいろ思っていることをまとめて、いわゆる新しい哲学でも打ち建てるような勢いで書いてあるものである。

 きちんと解読できる人が読めば、それなりの位置づけになるのであろうが、私なぞが読むとなると、当時はとにかく、Oshoに触れているあたりが、アクセスポイントとなった。そう、彼は、Oshoのサニヤシンなのである。

 残念ながら、私は面識はないが、複数の共通の知り合いがいて、それとなく人物像は分かる。一番のイメージは、Oshoのサニヤシンでありながら(というフレーズも変だが)、この方は結構特徴的である。まずは、論理的であることを良しとしている傾向があり、自らの感性を表現するに、論理的に装飾することに長けている。悪く言えば、理屈っぽい。

 二つ目には、Oshoのサニヤシンでありながら(と、また出た)、Oshoに「批判的」である。なにごとかに批判的であることは、なにかに対しては肯定的であるわけだから、別段に特徴的とは言いにくいが、ことOshoに対して批判的言辞を投げつけることを良しとする傾向のある、何人かのサニヤシンがいる。そして、それはそれとして、それはそれでいい。

 ただ、私自身は、Oshoに対して批判的な言辞をぶつけることで何かが解消されたり、進展したり、展開したりすることはないので、その人々の振る舞いとはちょっと違った傾向があり、それらの人々に対しては関心があっても、一定の距離を持ち続けてきた。

 一番のOsho批判の急先鋒に立っていた人々も、今は亡くなってしまったり、舌鋒を和らげてしまったり、あるいは、その論点自体が、ちょっと古いモノになってしまっている(と思わない人もまだまだ当然いる)傾向があり、あまり表にはでてこなくなってしまっている2014年現在である。

 はてさて、前著を踏まえた上で、著者は今回、どのような論点を展開しているのであろうか。著者じきじきの御案内とあれば、まずは一読、拝読せねばなるまい。

 最近の私は、というか、もうかれこれ10年以上になるが、本は読んでも、ほとんどが図書館からの借り物か、いままで自分が手元に置いていたものが中心になっている。新刊本を買うという風習はなくなりつつある。

 自らの余命を考えると、あんまり古書類を増やして、私が逝ってしまったあとに遺族に迷惑をかけてもいけないので、できるだけ立ち読みや借りて読んですますことが多くなっているのである。

 今回もまた図書館から借りて読もうと思ったが、残念ながらこの本は、この数週間内に出たばかりの本である。備えてある図書館はない。どうやら国会図書館にもまだ納められてはいないようだ。

 かと言って、新刊本として地元の図書館が購入してくれるかな、と期待していたのだが、どうやら、新刊本購入リストからは漏れてしまったようだ。読めるようになるとしても、借りるなら、当面先になってしまうことになる。

 まぁ、ひさしぶりに知人の新刊本を購入するのも悪くあるまい。たまたまチェックしてみると、当ブログのアフェリエイトの残ポイントが、この書籍の値段と殆ど同額であった。つまり、この本を読んでください、と言っているかのようだ。まぁ、当ブログを書き続けていることの報酬みたいなものだ。

 さっそくネットで手続きをとった。近日中に配送されてくるだろう。多少時間がかかるだろうが、いずれ手に取って読むのはすぐのことである。それまでの準備として、このメモをまずは残しておく。

<2>につづく

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2014/09/03

雑誌「マージナル」 漂白・闇・周辺をめぐる 現代書館

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「マージナル」 vol.1 特集:サンカ「三角寛」who
1988/05 現代書館単行本: 240ページ
Total No.3323~3326★★☆☆☆

 石川裕人(ニュートン)蔵書市の第25~28弾。この本に手を伸ばしたのは、80年代中盤にニュートンがやっていたお店の名前が「マルジナリア」だったからだ。きっとそこには何かの関連があるはずだという読みは当たらずとも遠からず。しかし、お店のほうが先で、この雑誌のほうはあとから創刊されている。

 1987/09 カタツムリ社「センダードマップ」 もうひとつの生活ガイド〈仙台・宮城版〉にはこのように紹介されている。(p214)

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 このマルジナリアという言葉は、一枝さんに確認したところ、ネーミングの元は、この雑誌ではなくて、先立って出版された澁澤 龍彥の1983年頃に出た「マルジナリア」にあるらしい。確かにこの本はニュートン蔵書市にもでていて、何種類かバージョンがあった。私は、すっかりこの雑誌と共に入手していたつもりでいたが、どうやら買いそびれたらしい。

 古雑誌はなかなか読めないけど、有名作家の著作なら、図書館でもなんとか読めるだろう。後日、渋澤御大の本も読むことにしよう。

 書籍類には購入年月日を鉛筆書きしていたニュートンだが、この「マージナル」にはメモはない。としても、出版直後に購入しているだろうことは間違いない。

 マルジナリアとは、境界、という意味だとニュートンから聞いていた。この雑誌のサブタイトルは、「漂白・闇・周辺をめぐる」となっている。80年代的キーワードとなる一群かもしれない。すくなくとも、今回一緒に買い求めてきた中上健次の一連の作品が、このキーワードと連動してくるのではないか、と思う。

 このお店、どの位続いたのか私は分からなかったが、一枝さんは「3年位続いたのではないかしら」とおっしゃっていた。

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「GODZILLA ゴジラ」 監督: ギャレス・エドワーズ出演:渡辺謙

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「GODZILLA ゴジラ」
監督: ギャレス・エドワーズ出演:渡辺謙 音楽: アレクサンドル・デスプラ挿入歌: Breakfast in Bed、 Requiem、 (You're the) Devil in Disguise他
 初公開: 2014年5月8日 (ロサンゼルス) 3D映画    上映時間: 123分 Total No.3322★★★☆☆

 テンコさんから、伊福部 昭の世界~「ゴジラ」を生んだ作曲家の軌跡~という番組の紹介があった。なにやらこのNHK番組の音入れにタクローも参加しているそうで、おお、そう言えば気になっていた番組だった、と気がついた。

 「8月30日放送の再放送が、9月5日の深夜0時からあるのでお知らせします。Eテレです」だとか。これは早速録画予約しておかなければ。

 そういえば先日みた雑誌Pen(ペン) 2014年 7/15号「ゴジラ、完全復活!」 の中にも、たしかこの人が紹介されていたなぁ。ということで、まだシネマコンプレックスでは上映が続いているので、「GODZILLA ゴジラ」見てきました。

 映画館で映画を見るのは久しぶりであるが、ましてや3Dメガネをかけてみる映画など、今回が初めてだ。興味シンシンではあるが、ウィークデーの午後のシネマコンプレックスはほとんど貸し切り状態。よくまぁ、これで採算が取れているもんだ。

 正直言って、最初からあまり期待していなかったのだが、その音響効果と、さすがの3D画像に圧倒されて、次第々々に映画の中にのめり込んでいく。ストーリーもまずまずなかなあ、と一観客としては「協力」ぎみ。

 だがやっぱり途中で、私の中ではなにかが破綻して、挙句の果てには、最後の数十分間は眠ってしまったようだ。最後のシーンはしっかりみてきたけれど、なんだかなぁ~。

 人間の現代文明の迷妄と、古代生物の愛ある知性、というコンセプトは、それなりに受入れるとしても、科学的チェックから言えば、そうとうに杜撰なストーリーなのではないだろうか。

 怪獣と恐竜は違うけれど、まずゴジラは陸上生物なのか、海洋生物なのか、はっきりしない。もちろん空飛ぶ生物ではないようだが、それでも、あの体で海に潜っていくのは、ちょっと納得がいかない。私はいま、福島第一原発から程近い福島県双葉郡で発見されたフタバスズキリュウ模型制作に取り掛かっているので、実にそう思う。

 ヒレがないじゃないか、何をエサにしているんだ。呼吸は・・・? シロートはシロートなりに、納得感が欲しい。どうも説得されていない。

 それにだ、この「災害」映画、3・11を経験したあとになってみれば、どのシーンも、結局は造り物ではないか、と思ってしまう。どれほどの3D効果を狙ったとしても、本物の大自然の猛威には太刀打ちできない。 

 そもそも、災害をこんなにしてまで再現してみる必要があるのか。いくらハリウッドだとしても、こんなことを「娯楽」にしていいのか。もともと日本映画ではあったが、私自身はやっぱり、こういう映画はお好みではありませんなあ。

 円谷監督のシリーズとしては小学生時代にみた「ウルトラQ」には度肝抜かれたけど、そのあとの「ウルトラマン」にはあまり感心していなかった。

 これだけの「大作」の割には、あのゴジラ、いかにも人間が入っています、というような縫いぐるみの形態を継承している。おそらくCGも多用されていることだろうが、「伝統的」なゴジラスタイルを、あまり変えることはできなかったのだろう。

 そういう意味では、「ジュラシックパーク」のほうが一にも二にもリアリティに溢れている。ゴジラの対戦する「怪獣」も、これまた人間の縫いぐるみ風に作ってあって、なんだかなぁ・・・・。

 とくにゴジラのほうは、テーマとして放射線のことが絡めてあるので、どうも、その捉え方に違和感が残る。そして、もし本当にそのテーマに取り組むとするのなら、現実の、この原発事故をどうとらえるかを、しっかり押さえないといけない。

 そういった意味では、そもそも期待はしていなかったが、やっぱりな、という内容だった。

 もっとも、最後の数十分は寝てしまったので、どのような展開だったのかは見逃した。というか、縫いぐるみ(風)の怪獣の取っ組み合いなんて、見ていたって、しょうがない。昔のプロレスの動画でも見ていた方が、ドキドキする。

 映画を評価するに、興行成績がどうの、というスケールがあるらしいが、この映画がどのくらい観客を動員したか、どれほど興行利益があるのかないのかしらないが、やっぱり、私は映画なんかより「現実」のほうが「面白い」と思う。

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