「ツリーハウスで遊ぶ」 ポーラ ヘンダーソン
「ツリーハウスで遊ぶ」 (ツリーハウスシリーズ)
ポーラ ヘンダーソン(著), アダム モーネメント(著), 2006/09 二見書房 単行本169ページ
Total No.3328★★★☆☆
3年ぶりにYMSに行って、わしも考えた。自然界の繁殖はすごい。とくに当地における繁殖力は相当にすごい。A氏は当地で農業をするのは諦めたとしても、まったく足を運んでいないわけではないだろう。その足跡はある。しかしながらあの繁殖力と10年間に渡って格闘してきたというのは、私から見れば凄すぎる。
まさに未開地の開墾に似て、切り拓けど切り拓けども、直ぐにふさがってしまう大自然の生命力に圧倒されたであろう。
確かに見かけは、機械類を使って一時的に綺麗にはできる。当面の生活はそれでなんとか行けるだろう。だがしかし、一年経過すればもとの黙阿弥なのである。これはホント、シジフォスの神話のような無力感に襲われるのが当り前だろう。
三年前の私の見込みは甘かった。あの雪、あの植物たち、蔦、枝、下草、道の変化。想像以上の変わり方である。すくなくとも、あの地の最も深い位置にベースキャンプを置くのは間違いである。そこまで辿り着くのが大変になる。
まずは入り口に近い平地で開けた位置にベースキャンプを持つべきなのだ。だからA氏が開いたベースキャンプの位置は間違いではない。その証拠に不在の時間が長かったとしても、多少の手を加えれば、すぐ住めるようになる。
ただ、農業をしようという目論見だったので、立木を大分伐採してしまった。その結果、いわゆる森の生活の感覚が薄れてしまっている。どこか森の木立が必要なのだ。
だとすると、もっと林道的な周辺部に移行してもいいのだが、だとすると日当たりや電気の便が悪くなる。痛し痒しなのである。
その時ふと、A氏がツリーハウスについて触れていたことを思い出した。あの時は、私はまったく関心なかったけれど、この地においては、ツリーハウスも一考の価値があるな、と思い始めた。
下草が繁茂しようと、熊が来ようとイノシシが来ようと、あるいは招かざる闖入者たちがやってこようと、割と樹上にいれば、助かる面も多くあるのではないか。
森の生活と言えば、どうしても地上に立てたログハウスのイメージが強いが、それはともすれば、街の生活の延長を森に持ち込んだだけに過ぎないことになりはしないか。直ぐに華美になり、怠惰になり、なんのために森に入ったかわからなくなるかもしれない。
そう言った意味においてはツリーハウスは、街の生活からは切り離された空間である。YMSにおけるライフスタイルの一つとしては、このツリーハウスは考えてみるべきだな、と思った。
この本は、お気に入りの「可笑しな小屋」(ジェィン・フィールド=ルイス 2013/12 二見書房)のシリーズにある一冊である。いままではあまり親近感を持っていなかったが、ここに来て、なんだかとても気になる一冊になってきた。他に「ツリーハウス―だれもが欲しかった木の上の家」(ピーター・ネルソン 2003/06 ワールドフォトプレス)なんて本も読んでいたことを思い出した。
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